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  • 小野崎氏の故郷は瑞竜小野でもある。その地域の皆さんがやってきた。瑞竜白鷺会文化部の人たち。沼田代表をはじめ15名の皆さん。茨城新聞の小田内さんも加わった。小野崎氏と小田内氏は同じ二つ巴の家紋である。額田城主の弟分が向山の小田内郷に入り、小田内を名乗ったとある。毘盧遮那寺、額田神社、阿弥陀寺を回って帰途に着いた。額田城郭の広さ、額田神社の山車にびっくりしていた。額田神社総代長原公史さんの協力も山車会..

  • 額田城跡へ観光客がやってくる。本日、10時、瑞竜白鷺会文化部の皆さんがやってきます。昨日は太田史学会の役員の皆さんが下見にやってきました。11月17日にはひたちなか万歩の会の皆さんが10キロのウォーキングに挑戦し、額田駅に集合します。40名の方々が額田を歩きます。出会ったら挨拶して迎えてください。額田城跡保存会の方々がアマ酒を沸かしおもてなしをするという情報が武藤博光会長のほうから得ています。当日..

  • 農作業の藁やくさ、林業者の枯れ木や小枝を燃やすことは認められています。また、神社仏閣のしめ縄やお札類も燃やすことを認められています。庭先の落ち葉や小枝等の焚火も認められています。植物を燃やすことはCO2を燃やして排出することは認められています。オゾン層の破壊にはつながりません。ビニールや発泡スチールのようなものを燃やすことは禁じられています。相手が農林業従事者か否かも判断の基準です。農業従事者も洗..

  • 茶は服のよきように点て炭は湯に沸くように置き冬は暖に夏は涼まいつき敷く花は野の花のように生け刻限は早めに降らずとも雨具の用意相客に心せよこれをおもてなしの利休の7則というそうだ。観光ボランティアガイドを含め、額田の人たちの顧客を迎える姿勢について考えさせられる。額田に団体客が毎月来るようになった。これをどうしていくかを考えねばならない。この原則から言えば普段着で自然体でごく当たり前のことを方言丸出..

  • 第4次伊藤博文内閣を総辞職に追いやった東京地検検事本田桓虎のルーツは額田北郷であるが上京して消息は不明であったがこのほどネット上からわかることができた。花谷守正 氏の情報より参照: 祖父の本田桓虎は茨城県那珂郡額田北郷において本田與八の長男として慶応2年(1866)7月25日出生、その後伯父兵七の養子となる。明治17年10月司法省法学生を拝命、次いで東京帝国大学に入学、同26年仏法科を卒業後司法省..

  • 戦国大名佐竹義宣について調査、義宣の母(義重の室)と伊達政宗の父とは、兄妹にあたる。よって、伊達政宗とりあえず従兄であることが分かった。義宣は江戸時代の1633年まで生きた。63歳で亡くなっている。父義重は鬼義重と綽名されるほど勇将ぶりを発揮して北関東に強大な勢力を築き上げた。義宣の弟に会津の葦名盛重がいる。盛重は佐竹から養子に入る。名族葦名氏の佐竹氏への従属の表れでもある。後に葦名盛重は改易とな..

  • 来たる11月14日に常陸太田市の小野崎氏の本拠地瑞竜小野より老人会の皆さんがやってきます。地元から出た小野崎氏が活躍した額田小野崎氏の居城を見たいという意図のもと訪問してきます。

  • 現在常陸太田市の郷土資料館『梅津会館』において佐竹企画展『小野崎一族と 薩都神社』を開催しています。額田小野崎氏についても展示中。本日同会館において10月14日(日)午後1時30分から開催する講演会については 駐車場が狭いにも拘わらず,聴講者はかなりの員数になると思われ混雑が予想されましたが立ち見であり、残念ながらも聞き取れず、途中やむなく戻りました。せっかくの講演会でしたが入りきれないほど集ま..

  • 本日、額田城跡の管理作業を実施しました。過日の台風による倒木の片付けや、草刈作業です。今回は、額田地域外からの多数の参加により、より広域な範囲の清掃作業ができました。■遊歩道が心地よい遊歩道は、台風の影響で小枝などが散乱した状態でしたが、NukadaGirls(おばちゃん達)のいつもの連携プレイにて、すばらしくきれいになりました。散歩が気持ち良くできます。■ヒイラギが無残天然記念物 推定樹齢:約2..

  • 先日、発見された額田城主小野崎穐昭通の直筆の手紙の画像です。木田余氏へのあて先が書かれています。

  • 石川啄木の短歌で『故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く』という短歌があるのですが、この詩については上野駅に行けば故郷の方言に接することができる。ていしゃばと呼んでいるところが幼期を思い浮かべる。その当時、額田駅は有人駅であった。駅舎に何人かが働いていた。改札口で切符切りの人が立っていた。向かいに通運の倉庫があり、芋俵が高く積まれていた。乗用車がない時代で停車場は賑わっていた。いつ頃か..

  • 日頃からの額田城跡管理作業でのチェーンソーの腕を買われ、額田神社に併設される淡嶋神社鳥居を直撃した倒木の撤去を行いました。淡嶋神社の鳥居は、先日の台風により鳥居近くの大木樫の枝が折れ、鳥居に直撃し無残な姿となってしまいました。枝の大木はワイヤーで吊りながら丁寧に切断して、除去しました。宮司はじめ総代、氏子の皆さんも大汗かいて撤去作業にあたりました。たいへんご苦労さまでした。後の鳥居修理がたいへんだ..

  • 10月7日、額田地区の敬老会が額田小学校体育館で開催されました。当保存会の相談役の原御夫妻様をはじめ、理事の中島様、小川様、澤山様、永井様等多数が敬老のお祝いを受けました。海野那珂市長様多数のご来賓方々よりご祝辞を頂きました。終始なごやかに敬老会イベントを楽しんでおられました。本当におめでとうございます。また高齢であるにも係わらず、毎回の額田城跡清掃活動ほんとうにご苦労さまです。

  • 水戸市、那珂市、常陸太田市合同開催の黄門ウォークが10月6日の7時半から実施されました。那珂市の休憩地点は清水洞の上公園、菅谷まがりや、阿弥陀寺、額田城跡とが中継ポイントとなり、観光ボランティアガイド那珂のメンバーらが対応いたしました。2年間、雨天中止で3年ぶり、懐かしい顔ぶれが見えました。清水洞、根本正、阿弥陀寺、額田城跡について説明をし、来年の再来を楽しみに帰途に就きました。なお、今回の参加人..

  • 9月4日、ふれせん五台で講演会が開催されました。講師小田部一彦による那珂市4回目の講演です。なか環境市民会議会長海野宏幸氏、額田城跡会長武藤博光氏からそれぞれの会の課題等の連絡事項の発表もありました。主催は那珂市元気一番歩く会(植田實会長)でした。講演内容次の通り。本日はお忙しい中ご来館いただきましてありがとうございます。本日のテーマは悠久の那珂と命という大きなものを掲げました。あまりに大きなタイ..

  • 先日の台風の影響により、額田城跡遊歩道に倒木が数箇所。応急的にチェーンソー切断して撤去しました。・片庭橋近辺、・本丸への順路途中、・ヒイラギ近辺2箇所(計4箇所) です。思いの他、大木が倒れていました。チェーンソーで切断するも、重量があり撤去にはたいへん苦労しました。これにより遊歩道に障害物はなくなりましたが、多数の小枝が散乱してますので、注意してご散策ください。

  • 額田城跡は県下随一の城である。東京ドームの21,5倍は面積で名古屋城に匹敵する。ちなみに江戸城(皇居)は東京ドームの25倍であるから地域住民として誇って良い城でもある。名城をめぐる伊東潤氏は戦国時代の県下随一の城と記している。この城に県下随一の柊の木がある。近くの鹿島八幡神社に茨城県最古の山桜がある。直径が乗用車の幅を超えているのだ。神社の参道の中ごろにある。この参道も鹿島神宮と肩を並べる長さで4..

  • 那珂市、水戸市、常陸太田市の合同開催の水戸黄門ウォークが10月6日開催される。常陸太田から11時に、水戸から1時に阿弥陀寺に到着する。阿弥陀寺、額田城跡を歩く予定だ。那珂市地区では五台の清水洞の上公園、曲がりやが休憩場所でもある。昼食は曲がりやとなるが昨年1昨年と雨で流れた催し、今年こそ晴れてほしい。

  • 魅力度47番目からの脱却を目指している茨城県、観光客は19番目だという。せっかく観光客がきてもレピートがないという話だ。茨城の県民性なのか。タクシーに乗っても、いいところありませんかの問いに「なにもありませんねー。」と答える。何気なく答えてしまう。県民性なのか。素晴らしい額田城はどこですかの問いに「何にもねーよ。」と答える地域性では観光客も寄り付かない。偕楽園は日本一の都市公園だそうだ。ニューヨー..

  • 観光ボランティアガイド那珂の第4回講演はふれせんごだいで10月4日午前10時から午前11時半の開催予定です。テーマは『悠久の那珂と命』 那珂元気一番歩く会の要請によるもの。講師は小田部一彦観光ボランティアガイド那珂会長によるもの。

  • 9月28日、茨城県歴史館において茨城県主催の明治150周年記念講演会が開催された。講師は永井博氏、弘道館と偕楽園というテーマでの胡淵であった。江戸時代の日本一の藩校と梅だけではなく、四季の季節の花を植え、開園したという徳川斉昭についての設立の意図を話された。マルチにスト斉昭の優秀性を強調した弘道館と偕楽園の設立であったと。

  • なか環境市民会議では会報第4号が発行された。海野宏幸会長はその中で4年前に発足し、アジェンダ21を那珂市独自に策定、那珂市に各戸配布してきた取り組みを述べ、今後の具体的実践を力説した。多様で息の長い活動を推進すべく働きかけをしている。5月26日、30年度総会を開催、次年度より個人会費を100円から500円に値上げすることが決定されている。6月には県多様性センターの呼びかけに応じ、特定外来植物オオキ..

  • 昭通から木田余氏に宛てた手紙には木田余氏を信頼し、任せるので噂など気にせず、思う存分働いてくれとの処遇としては優遇した手紙で、米崎や島の領地を与えた手紙である。私の意見としては1550年から1560年時代は小田氏に仕え、土浦の地域を任されていた。土浦の木田余城主であった。信田郡からの名主たる信太氏(しだし.).を名乗った。小田氏の中では執事格で家老職に相当する地位にいた。佐竹との闘いや江戸氏の戦い..

  • 本日瓜連のラポールで小野崎昭和通の直筆の手紙の説明会が開催された。茨大の高橋修教授ほか2名の講演であった。額田城跡の保存会員や観光ボランティアガイド那珂のメンバーが多数参加した。会場は満員で盛況であった。

  • 本日、雨のため 明日(8:00〜10:00)に順延となりました。

  • 12月15日午前10時、太田史学会の50名が額田の観光にやってきます。額田城跡を中心に歩く予定ですので、おもてなしの心をもって迎えましょう。太田史学会は常陸太田の歴史を研究するグループです。常陸太田の歴史は佐竹、徳川と大きくかかわります。額田もその時代関わってきましました。切っても切れない常陸太田との関連性、改めて、観光ボランティアガイド那珂としても事前準備として学習しましょう。

  • 久慈川物語  茨城県北部には久慈川が北西から東に流れ太平洋に注いでいる。江戸時代の流路変更により今の久慈川に近い形になったが、戦国時代は蛇行を繰り返し、多くの河岸段丘を作り出していたといえる。常陸風土記によると日本武尊が河岸段丘の一つを指さし、鯨の頭のようだといったことから久慈という言葉が出たほど、下流には河岸段丘は多かったという。その流れに魚貝類がたくさん生息していた。私の小学生であった60年前..

  • 土浦市にある地区名であり、額田城陥落の記にも、今回の木田余氏宛の殿様の手紙で同一人物とみられている。その後額田から落城を機会に去っていったとみる。消息はつかめてないが関連性はあるのではなかろうか。

  • 本日の茨城新聞をご覧ください。茨城新聞に額田城主の手紙が発見され、本物と鑑定された。この記事により、また、額田城がクローズアップされた。家臣である木田余氏にあてたものである。東京の古本屋で見つかったという。昭通の自筆であり、初めての発見である。9月17日から那珂市歴史民俗資料館で公開され、当日、瓜連のラポールで茨城大学教授の高橋修氏の講演が開催される。詳細は茨城新聞で。

  • 平成8年の額田まつりを撮影したビデオテープを探しています。現在は出車していない高岡地区の山車が写っている貴重なビデオです。関係各方面に問い合わせておりますが、今現在消息不明となっております。お心当たりのかたは、下記まで連絡ください。電話:080-5019-2157メール:shouichi72@gmail.comFAX:029-295-8137宮 崎 昇 一(当ホームページ管理人)

  • 額田城跡イメージ図はプレジデント社の情報として相田氏から得たものであり、公共性のものとして取り扱いを慎重にとのことで本件のみの掲載であり、コピーをすること固く禁じられています。プレジデント社の協力のもと、作成されたもので転用が禁じられていますので、その意をくみ取りご覧ください。掲載責任運営者 小田部一彦

  • こんなごみの仕分けになっているんだ。 <一般廃棄物収集・運搬>  [生ゴミ・空カン・空ビン・ダンボール・会社・店舗・家庭ゴミ・引越ゴミ・粗大ゴミ] <産業廃棄物収集・運搬>  [木くず・燃え殻・汚泥・廃油・廃酸・廃アルカリ・廃プラスチック類・紙くず・繊維くず・   動植物性残さ・ゴムくず・金属くず・ガラスくず・陶磁器くず・鉱さい・がれき類] <特別管理産業廃棄物収集・運搬>  [汚泥・廃油・廃酸・..

  • ・温暖化に起因すると思われる最近の災害  今年の夏は梅雨明けも過去最も早く、水不足も予想される状況でしたが、7月  上旬、西日本で豪雨被害が発生、改めて気候変動の一因を見た感がします。  1週間で1300mlを越える異常降雨で河川の氾濫・土砂崩れ等の甚大な被害が発生生活が一変するのに驚愕しました。2005年8月29日アメリカ南部に上陸したハリケーン・カトリーナでは家屋の倒壊等で1800人以上の犠牲..

  • 先頃のロータリーの講話において環境問題を考えるというテーマで実施しました。地球上で起こっている災害やサンゴの白化現象、外来特定生物の除去等多岐にわたる講話です。地球規模での自然化の変化について私たちも認識を新たにしなければなりませんね。

  • 前回の記事で腹を大きくして幼稚園跡地会場の式にきたと載っておりましたが改めて皆様のアドバイスもあり救急車を呼んでいただき命を取り留め生還してまいりました。その間、運営者からの記事はありませんでしたがそのまま入院して医療対応をされていたのでした。本日からまた再開をいたします。膀胱性腹膜炎という診断名でしたが改めて命を支える人たちに感謝したいと思います。杉田玄白や前野良沢から現在まで医療技術はこれほど..

  • 額田地区まちづくり委員会主催の「額田コミュニティ広場完成記念式典」に、額田城跡保存会でも出店のご協力をさせて頂きました。 出店内容は、おにぎり、漬物の無料サービス、刃物(家庭用包丁等)研ぎ、刈払機・チェーンソーのメンテナンス・修理、ソーチェーン目立て等です。おかげさまで、おにぎり、漬物は百食分用意したのですが、開店と同時に完売です。また刃物研ぎが思いの他大盛況で、約50丁分の研ぎ依頼があり、研ぎ士..

  • 本日、多数のボランティアの皆さんにご参加していただき、本丸の草刈り、二の丸の花壇の手入れおよび草取りなどしていただきました。暑い中、たいへんありがとうございました。今回は初の女性刈払機使い手の方にご参加いただきました(すばらしいです)。また社会福祉協議会のご協力により学生の皆さんにもご参加いただきまして、簡単な感想文をご記入していただきましたのでご紹介させていただきます。那珂高校3年 Kさん保存会..

  • 前回記事の伊東潤氏改めて紹介しよう。小生長期入院していたのでこの著作を知らなかった。『#ライトマイファイア』本日6/22発売!「よど号ハイジャック犯の中に公安がいた」という大胆な仮説を元に、予想不可能な展開の物語が始まる。あの熱い時代は何だったのか。過去と現代が結び付く時、巨大な陰謀が明らかになる! 。検索したら、このような記事にであった。拡散希望とのことで、那珂市の多くの額田城関係者ほかにお知ら..

  • 『歴史人』5月号を皮切りにこのほど横浜銀行の浜銀総合研究所のBest Partnerに掲載された、額田城の掲載はここ10数年の額田城跡保存会や観光ボランティアガイド那珂等の地道な活動の成果と思われる。那珂民俗資料館の額田城と伊達氏とのかかわりを取り扱ってきた役割も大きい。10数年前、ジャングル化していた額田城跡が全国規模になり、茨城県最大の面積を誇る城として紹介されるなど誰が予想したろうか。執筆者..

  • 瓜連常福寺山野辺家墓地がある。東京から同級生が来てその話になった。行ったことないから説明してくれとのことで掲載に及んだ。水戸徳川家の代々家老も務めた山野辺氏のゆかりの人たちが出羽の国からやってきたわけでもある。常福寺は徳川家康、家光から100石の朱印状により寺領を与えられた。徳川家菩提寺の芝増上寺から常陸国本山の命を受けている。水戸徳川家も菩提寺として保護した。山野辺義忠は出羽の最上義光の4男であ..

  • 悠久の額田から那珂へ西暦の年号ができて400年サイクルで大災害が起こってきた。大化の改新の頃、900年の平安時代、承久の変のあった1300年、光圀がなくなって7,8年後1708年、そして次は2100年となるとあと70年後にやってくる。一級河川が崩壊するような水害がやってくる。こんなテーマでNHKのテレビを見ていた人は何人いるでしょうか。ここ10年で気候は大きく狂って変化している。北極の氷河が溶ける..

  • 5月はじめの毘盧遮那寺の牡丹
    8月8日額田毘盧遮那寺ではお施餓鬼が行われた。お施餓鬼とは、お盆の時期に行われることが多い仏教行事の一つです。 餓鬼(がき)とは、俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指します。 施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことで餓鬼の供養を行う法要行事です。毘盧遮那寺に続き引接寺、鱗勝院..

  • これからの額田額田に生きて71年 昨年より茨城県知事より明日の茨域を考える会のメンバーを委嘱されている立場から私なりにふるさと額田を考えてみた。1,有形無形の文化遺産の維持と広告宣伝2,額田城の公園化3,自然対策 県有数の樹木の保持額田城跡198種の植物の維持観光シーズンと花対策さくら(額田城跡、阿弥陀寺、額田神社、額田小学校)、バラ(中野ガーデン)、ボタン(毘盧遮那寺)、アジサイ(額田城跡、毘盧..

  • ニュースとしては遅いが曲がり屋へオオクリッジからお客様がやってきた。ウエルカム サンキュウ フォーカミング 慣れない英語でのあいさつである。1862年曲がり屋が建った。リンカーン大統領が奴隷解放宣言をした年。侍がちょんまげをしていた時代だ。その2年前桜田門外で雪を真っ赤に染める事件がおきた。ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする。曲がりやが残念ながら工事中だったが懸命に説明をしたがどこまでわ..

  • 第30回額田まつりも、盛大裏に終了しました。古式豊かな祭礼行列をご覧いただけたでしょうか?祭礼行列のもとになる資料として、「額田まつり大祭礼絵巻」があります。現在はご当地、額田小学校に展示されていますが、2015年に那珂市立図書館で開催された、「額田まつり今昔物語」展のようすをYoutubeで見ることができます。そちらも覗いてみてください。→茨城新聞記事「額田まつり今昔物語」展

  • 悠久の額田を書いてきて何年になるか。古代。奈良時代、平安、南北朝、戦国、江戸、とつずってきた。長年にわたる人類の継承。2週間にわたる個人的にがんとの闘い。がんの除去に成功し、再び、筆をとる喜びに今浸っている。ドクター看護師、患者の同僚、そんな人たちに支えられ生還した。私を生んだ父母、そして祖父母、曾祖父母、そんなな人のことを考える機会を得た。6時間の手術に立ち会った娘、病院まで車で運んできた同僚、..

  • 第30回額田まつりは、7月29日(日)晴天のもと、盛大に開催され、多くの方のご来場をいただきました。ありがとうございました。

  • 7月28日(土)開催予定だった額田まつりは、台風による悪天候が予想されるため、翌29日(日)に順延されました。タイムスケジュールは変わりません。ご来場お待ちしております。詳しくはこちら→

  • 本日、二の丸の花壇の手入れ、二の丸付近のお堀の草刈、片庭橋周辺の草刈を実施しました。広範囲に渡る草刈です。猛暑でした、30分程で汗びっしょりになります。特にお堀の中の草刈は風通しも悪く、体力の消耗が激しいですので適度の休憩と水分補給が大切です。尚、本日は水戸森林クラブの方にもご参加いただいたので作業が思いのほか捗りました。休憩時のキューリ、ナスの漬物が絶品でした。毎回ご婦人の皆様が自前で作ったもの..

  • 額田まつりは、額田地区のそこかしこに白い額田大祭礼の文字の入った旗がひらめき、祭りの準備が進められ、祭りの事前会議も終了。地区ごとの太鼓の練習の音があちこちから聞こえてきています。小学生の太鼓の練習も佳境に入り練習に余念がありません。掲載の絵は地元の小学生により書かれたものです。→まつり日程

  • 額田城跡保存会は、いきいき茨城ゆめ国体(那珂市)の平成30年度花いっぱい運動ボランティアに参加しております。本日、那珂市瓜連支所にて、プランタ、培養土、苗等の配布があり、引き取りに行ってきました。当保存会の有識者がたくさんおりますので、大量のプランタ数となり軽トラいっぱいとなりました。引き取り者の団体、個人のなかでもかなり目立つ量でした。きっと花いっぱいに咲かせることでしょう。花苗は、バーベナ、ペ..

  • 本年度、当額田城跡保存会活動にご賛同頂きまして、セブン・イレブン記念財団様より助成金を頂きました。おかげさまで刈払機を購入しました。

  • 長年 額田城跡を案内していると多くの団体のお客様が来たものである。10年となると、他地区からのお客様が多いことか。那珂市は地元であるが、結構日立地区の方も見えている。日立製作所、日立電線のOBで組織している歴史同好会、日立ウオーキングクラブ、塙山まちづくり委員会、諏訪老人会、。常陸太田から峰山中同窓会、西小沢小同窓会、太田一高同窓会、黄門ウォーク太田組、水戸から国田まちづくり委員会、黄門ウォーク水..

  • 写真は、休憩タイムです。
    本日、二の丸周辺の管理作業を実施しました。花壇、植え込みの刈り込み、さらに刈払機での草刈作業です。雨上がりのタイミングでしたので非常に湿度が高いなか、みなさん汗だくでの作業です。また本日第三自治会の方もご参加いただき、思いのほか綺麗になりました。

  • 額田城跡、毘盧遮那寺、中野ガーデンを訪れた際に口々に「きれいね。」「いろんな花があるのね。」と女性陣。特に額田城跡では保存会のメンバーの植樹のおかげで多くの花が咲いている。まさしく見ごろである。今回は額田地区のアジサイ巡りは女性だけの団体であったが女性特有の感性に触れた。文章一つをとっても男子の場合は色がないと昔から言われている。女性の場合は色があるから、文章から情景が見とれる。改めてその感性に納..

  • 本日で71歳を迎えた。サンタクロースではないが、靴下が届いた。高齢化社会は他人事であったものが当事者になってしまった。誘われて高齢者クラブ三好会に入会した。額田神社の清掃、カラオケ大会、高齢者のスポーツ大会と参加してきた。。ひだまりの施設の庭園整備をつづけて4年になる。一人ですると苦痛な作業もみんなでやると爽快感がある。あるとき、環境市民会議のメンバーに誘われてオオキンケイギクの除去作業にさんかし..

  • 6月29日、那珂市のつるし雛の会のメンバー10名が額田の観光巡りにやってきた。毘盧遮那寺、鹿島八幡神社、額田城跡、阿弥陀寺、引接寺、鱗勝院、中野ガーデンのコースの約4キロを歩いた。極暑の中であったが、涼しい風が吹き、暑さの割には心地よかった。案内のガイドから古代、鎌倉、江戸時代、そして明治と悠久の額田のスケールの大きさに驚いた1日であった。毘盧遮那寺のアジサイ、額田城のアジサイの花の美しさにみとれ..

  • おもてなしという言葉はオリンピックの東京誘致で一躍クローズアップされました。茨城県も数年前からおもてなし県民条例ができ観光客の誘い込みに力を入れてきています。額田城跡に単独で来られる環境客が増えてきました。東京、横浜、会津から来たといい、他県からのきゃくがふえてきました。佐竹氏や小野崎氏を祖先に持つ方や城巡りのガイドブックから、インターネットから見てきたという中学生、来訪理由はいろいろです。口々に..

  • 本日、額田城跡の南側(千石田側)の紫陽花周辺の広域について、清掃作業を実施しました。雑草の伸びる時期なため、うっそうとしたセイタカアワダチ草が乱立。足元は悪く、難関の作業となりましたが、 参加人数も多く、広域に渡りきれいすっきりとなりました。紫陽花は、今が見ごろです。

  • 6月9日第1段階除去作業を終え、その後、那珂市が業者依頼してほぼきれいになりましたが、小学校よりの沿道を2袋除去し、最終的に海野,小田部の両名で焼却作業までして、残らず除去いたしました。種ができている段階でこれを放置すると来年も繁殖してしまいます。この地域だけでなく、各自、自宅付近にあれば抜いてビニール袋に入れ、焼却に回しましょう。

  • 7月13日、那珂市と姉妹都市であるオークリッジ市から夏休みを利用して曲がりや等へやってきます。昨年も中学生の一行がやってきました。英語でみのをどう表現していいのか。囲炉裏端の弁慶をどう説明するのか昨年も苦労しましたが。昨日、那珂市の観光課より案内依頼が観光ボランティアガイドにありました。いまから和英辞典との取り組みが始まります。通訳はついているのですが極力英語で案内できればと今から準備しています。

  • 先日、特定外来種生物に指定されたオオキンケイギクの除去作業をいたしました。法律で定められ栽培が禁止されています。黄色の可憐な花であり、何でという方もいらっしゃるかもしれません。特定外来種は繁殖力が強く、日本固有の生物に害を与える可能性を秘めています。オオキンケイギクの種が自動車に付いて運ばれ、繁殖されるとのことです。日本の固有の植物なでしこなどが将来なくなる危険性をはらんでいるとしたら、大変です。..

  • 古希をこえて思うもの 観光ボランティアガイド那珂メンバーの独り言、現在、那珂市観光案内人を10年もしている。10年もやっていると色んな観光客が来る。小学5年の担任の先生が90才を過ぎて一緒に歩いた。「大丈夫、先生。」「大丈夫だよ。」力強く返ってきた。額田中学の3級先輩が鎌倉の仏師となり仏像を彫っているが額田まつりの山車の彫刻に驚嘆していた。「ふるさとにこんな彫り物あったんだ。」芙蓉城郭研究会の方々..

  • 第30回額田まつりは以下の日程で開催されます明治初期から現代までの歴史を刻む各町内の山車と、地元お囃し連の華やかなお囃子演奏をお楽しみ下さい!多数のご来場お待ちしております平成30年7月28日(土)開催(雨天:29日(日)順延) 宮出式(神事) 10:00〜 額田神社 山車神幸   13:00〜15:00 額田神社〜太田街道(旧道・歩行者天国)〜御仮屋【額田公民館】 山車還幸   17:00〜19..

  • 額田城跡ボランティア清掃は 本日 雨のため 明日の6/17 に延期となりました。

  • 稀勢の里が本調子じゃない。茨城県民としては気が気ではない。相撲が始まっても稀勢の里が休場であると、身が乗らない。牛久に住んだ私にとって、萩原の時代から馴染みがある。番付け表をもらっては額田の居酒屋に貼っていただいた。十両萩原の時の後援会長が。牛久市長の池辺さんであった。萩原から稀勢の里に四股名をあらためて更に強くなって横綱まで這い上がった。ところで、茨城出身の歴代の力士を遡るとたくさんの関取を見て..

  • なか環境市民会議では、茨城県の「特定外来生物除去・啓発イベント」の一環として、6月9日(土)、オオキンケイギクの除去作業を実施いたしました。高齢者クラブ三好会(額田)の協力を得て、額田東郷より国道6号線二軒茶屋十字路までの街道沿いで、高速道路の上付近を作業しました。なぜオオキンケイキクが害を与えるのかとの質問、法律で禁止さるほど悪いのか。疑問ばかり。答えは秋の七草等がなくなると言われれば何も言えな..

  • 額田には、店名に「額田藩」を冠した食事処がある。 「額田藩梅乃家」である。 店内には、かつて茨城新聞に掲載された写真入りの記事が、高校の先輩方の手によって飾られている。 このほど額田藩の存在がクローズアップされてきたことを契機として、地元の観光資源を宣伝すべく新商品「額田藩しゃも(軍鶏)がらラーメン」を開発した。 江戸時代、額田藩の当主は徳川光圀の弟である松平頼元であり、光圀も額田に隠居ならぬ書院..

  • 終戦の翌々年に生まれた私たちは1クラス56〜7名と多かった。当時は今のグランドの体育館側が額田中学校、砂場側が額田小学校と同じ敷地に建っていた。中央に額田神社に繋がる道路があり、分けていたのである。職員室前にもちの木があり、その西側に大きなイチョウの巨木があった。のちに中学校は神崎中と統合し、那珂二中となり、今の場所にもちの木が移植された。私たちが小学生の時は男子は学生服を着ていた。夏は霜降りの半..

  • 額田まつりは、明日の地域社会を担う子供たちとともに、地域に残された優れた文化遺産や歴史を伝承し、確かな人間関係を構築し、地域全体の強調と連帯感を深め、健康で活力ある町づくりを目指し実施しております。今年も7月28日に開催されます。裃(かみしも)行列や2基の神輿と町内からの屋台(だし)が出、賑やかに展開されます。そのため、子供たちは太鼓の練習に奮闘中です。このまつりは、天保4年1833年磯くだりに変..

  • 船渡(ふなと)部落は亡き冨岡銀二郎氏がよく語ってくれた所でもある。久慈川の対岸の河合地区に堤防が作られるまで、額田岸には多くの人たちが居住していた。いわゆる船渡部落である。江戸幕府時代まで軍事上の考慮から重要な街道の河川への橋を架ける事が許されていなかった。水戸と岩代の棚倉を結び仙台青森を結ぶ棚倉街道は、江戸後期には参勤交代の街道でもあった。昔は幸久橋は無く、久慈川は舟で人や馬を渡した事実から部落..

  • 山形県山辺町より26名が6月3日、常福寺(那珂市瓜連)に先祖の霊を訪ねてやってきた。お墓参りの旅でもある。水戸徳川家の代々家老も務めた山野辺氏のゆかりの人たちが出羽の国からやってきたわけでもある。常福寺は徳川家康、家光から100石の朱印状により寺領を与えられた。徳川家菩提寺の芝増上寺から常陸国本山の命を受けている。水戸徳川家も菩提寺として保護した。山野辺義忠は出羽の最上義光の4男であったが家督相続..

  • 各月の第3土曜日(午前)に清掃ボランティアを実施します。那珂市全域から多数の参加者を募集しております。 当清掃は無償のボランティア活動になります(2時間の作業)。詳しい内容はイベントスケジュールをご覧ください。 また、有償による清掃活動については、後日、那珂広報紙等にての募集を予定しております。

  •  本日、額田城跡の片庭橋付近の草取り、および遊歩道(桜通り)の刈払機での草刈りを実施しました。NukadaCleanGirlsの皆さんが 菖蒲園の除草および土手の草刈りを いっしょうけめいやりました。たいへんきれいになりましたよ!

  • なか環境市民会議では、茨城県の「特定外来生物除去・啓発イベント」の一環として、来る6月9日(土)に「オオキンケイギクの除去作業」を実施いたします。高齢者クラブ三好会(額田)の協力を得て、額田東郷より国道6号線二軒茶屋十字路までの街道沿いで、作業を予定しております。集合場所は那珂市中央公民館です。申込み不要、当日参加大歓迎です。多数のご参加お待ちしております。お問い合わせは、なか環境市民会議 部会長..

  • 6月29日に那珂市のつるしびなのサークル『つるし美なのかい』が額田城跡をはじめ額田神社や阿弥陀寺等の史跡めぐりを予定されている。

  • 額田地区を南北にを通り抜ける国道349号線は、別名太田街道と呼ばれ、江戸時代まで遡れば、棚倉街道と呼ばれていた。しかし江戸時代の棚倉街道は、額田地内において、今の国道349号線とは違ったルートを辿る。何故なら、額田城の南の低地は今は干拓された田園風景なのであるが、江戸時代には有ヶ池という大きな沼が存在していたからである。そのため、水戸から額田坂下まで来た街道は、有ヶ池に行く手を遮られ、そこから東方..

  • 墳丘より真弓山・高鈴山を望む
    伊達古墳を久し振りに訪問してみた。雑木林の中を、篠竹をかき分けながら進み現地へ到着。北側に久慈川を挟んで遠く高鈴山の頂きを展望できるこの場所に立ち、ここに墓を造った古代の人々の思いが分かるような気がした。その足で、那珂市歴史民俗資料館を訪れ、伊達古墳から出土された「舟形石棺」に接した。さらに、伊達古墳をはじめ、新地古墳や森戸遺跡などから出土された石器や土器に接し、遠く古墳時代の悠久の歴史に浸った。..

  • 伊達政宗が額田城主小野崎昭通(あきみち)に宛てた密書が見つかって数年経つ。その伊達氏のルーツは……。額田地域にも伊達氏との関わりの痕跡が……。そんなことを少し書いてみました。「伊達氏と額田」のページへ

  • 7月7日(土)、那珂市の南の玄関口「清水洞の上(しみずどうのうえ)公園」で「ほたる観賞会」が行われます。初夏を迎えるこの時期に、幻想的な光が公園内に優しく舞います。水辺に儚く輝くホタル……。是非、ご来場下さい。(入場無料)お問い合わせ:清水洞の上自然を守る会事務局   幹事長:江幡 090-7708-8662   担 当:根本 090-7193-6044清水洞の上公園「ほたる観賞会」のご案内.pdf

  • 那珂市中央公民館講座「文化財めぐり」が、6月14日(木)の第2回講座「那珂市内の社寺祠堂をめぐる」で、額田神社を訪れます。山車倉庫の見学をしていただきます。

  • 5月5日(土)、五台・芳野地区の方が中心となって活動している『元気一番歩く会』のメンバー11名が、額田地区の歴史散歩にやって来ました。毘盧遮那寺での、渡邊真玉大僧正解説付きの大般若経(県指定文化財)600巻特別閲覧。そして、鹿島八幡神社(額田神社)の真榊の大木、茨城最古の山桜の大木見学と、一同からは何度も驚きの声が……。また淡島神社での、ウグイスや眠りウサギの精緻な彫刻にもビックリ!額田まつりの歴..

  • 4月末茨城新聞に掲載されたぼたんが満開。真言宗豊山派総本山長谷寺(奈良県)にならい、20年前に植えられた。200本もの花が咲き誇る様を見られるのは、近郊ではここだけかと思う。本日は雨、花が重たいぼたんは雨に弱い。一夜にして駄目になるのが心配だ。今年は開花が早かった。5月5日に訪れる「元気一番歩く会」の皆さんために、少しは残ってくれればと祈る思いである。それをお寺の大僧正に話したら、県指定文化財の大..

  • 今年度の支援事業活動は、観光かるたの増刷、倭文機(しづはた)「手しごと」の会との共催による観光かるた展示、更には額田紅花会との共同による、鈴木家住宅での4月〜8月中旬までの紅花栽培と5日間の鑑賞会の開催等、活動が長期間に渡った。かるた会も菅谷まちづくり委員会、額田サタデースクール、市内小学校・学童保育所等々で行われた。11月の一乗院での大かるた会には、多数の参加を得て市民が楽しむことができた。近々..

  • 5月12日(土)に額田城跡にて、額田城跡保存会(会長武藤博光氏)の総会が開催されます。前年度の活動実績や会計報告、今年度の活動予定や会計予算などが協議される予定です。

  • 5月5日(土)、元気一番歩く会(代表内藤様)が額田城跡、額田神社等の観光めぐりを致します。10名の参加で観光ボランティアガイドが案内の予定です。

  • 4月7日、那珂市文化協会のサークルである文学の会(小森会長)主催の観光かるた会が開催されました。文学の会は、川柳の会・万葉の会・読み聞かせの会の合同にて、額田町内の梅乃家食堂にて開かれました。また、観光ボランティアガイド那珂の小田部会長の講習もありました。

  • 『額田城跡 歴史を刻む散歩道』の読み札で親しまれている額田城跡、常陸地区・水戸地区・東海地区からの観光客・団体が毎日来ている。那珂市の団体も、那珂市川柳の会・万葉の会・読み聞かせの会が3月に訪問いただいた。トップページからの360度空撮全景をお楽しみ下さい。

  • 『阿弥陀寺のしだれ桜と鐘の音』阿弥陀寺のさくら祭りも3/29〜4/5で終わった。今年は開花が例年に比べて7日ほど早かったため、花の散るのも早かった。にも拘わらず1万人を超える観光客で賑わいを見せた。その時の360度の光景が見られるシステムが完成しました。トップページから入れますので、お楽しみ下さい。なお、システムは市民活動支援資金からの補助事業で作られました。

  • 平成30年7月28日(土)に、額田神社を中心とする3年に1度の額田まつりが開催されることが決定されました。額田地区の山車や神輿が勇壮に披露される様は、江戸時代からの歴史的行事です。大正9年に13台の山車が見えて、賑わいを見せた様子が写真に残っており、素晴らしい祭だったことが証明されています。いま造るとしたら1台1億5千万円ほどかかるそうで、先人たちは大変な金銭面の苦労をした祭りです。現在、地元有志..

  • 懸案でありました那珂市の観光かるたは、平成29年3月15日に総数600セットが完成し、那珂市の小中学校や各種団体に寄贈することができました。平成29年11月には、一乗院の大かるた会や老人会、各種サークル、町づくり委員会でのかるた会で好評を得ています。絵札については、那珂市の水墨画の団体や、額田の三好会(老人会)の協力を得て完成に至りました。読み札については茨城新聞・那珂市報にて募集され、那珂市民俗..

  • 6月18日額田城跡清掃をおこないます。街づくり委員会の協力がえられます。午前8時の集合となります。

  • 5月21日、額田地区市民運動会が好天の中、開催されました。例年ですと秋でしたが今年からとなりました。市民と小学校、保育園と合同での運動会はにぎやかに和気あいあいのうちできました。怪我もなく良かったですね。

  • 皆さんは「おもてなし」と聞いて、どのようなことを思い浮かべますか?お宿や観光地のスタッフなど、観光客を直接お出迎えする人たちのものと思うかもしれませんが、観光客が旅行中に接するのは、そういった人たちだけではありません。すれ違う地元の人が明るく笑顔で挨拶してくれたり、地元の美味しいお店を教えてくれたりしたら、那珂市のイメージアップに繋がるはずです。観光客のみなさんに那珂市の魅力を存分に体験してもらい..

  • 那珂市の観光スポットが読札で詠まれた地区は208中58が額田地区で、46が瓜連地区でした。個別では静神社が12、額田城は8、県民のもりが7、額田古墳群が7と言う具合です。寺社が多いですね。なお、読札については歴史民俗資料館、商工観光課、市民協働課、観光ボランテアガイドの手により審査された。この結果から絵札が書かれる予定。

  • 毘う遮那寺の150本の牡丹が満開である。当寺は大般若経600巻で有名、1192年文覚上人の開基、女流俳人中島素嵐の句碑がある。

  • さ萬秀山正法院と号する寺院で,延長元(923)年に平将門の父良将が創建。 創建当初は勝楽寺と号し,律宗で奉仕されていました。その後,貞王2(1223)に佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を,暦応4(1341)年に9代 貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き,同じ寺院内に正宗庵を創建。10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺としました。 勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えたが,正宗寺は佐竹..

  • 表向きは大日本史編纂など功績があった光圀は果して名君であったか。青年期の光圀は今の言葉でいえばぐれていたかぶきものといえる。そして女狂いは60を過ぎても続いたようだ。しかし常陸の国の殿様としては女狂いという価値基準が現代とは違うのかもしれないが。『水戸黄門 鈴木一夫著 中公文庫』からひも解いてみると、……老境六十過ぎても女色寵愛の癖は続き「女色に耽り給い、ひそかに悪所に通い……」と、 若き時代は云..

  • 5月6日、中央公民館で那珂市歴史愛護協会の小林副会長の講演があった。聴講者35名でテーマは水戸黄門と助さん、格さんの実像であった、テレビでお馴染みな水戸黄門であるが子の3名の関わりは大日本史編纂という水戸家の大事業を為さんがための光圀と学者の二人と言う実像についての講演であった。彰孝館総裁を後にやることになる助さん格さん。光圀の史臣と言われています。史臣たちは全国各地に史料を求めて旅をしましたが、..

  • 藩という定義は中国の歴史から来ています。江戸時代表立って藩と言うのは使われませんでした。江戸末期になって使われてきたと言われていますが、儒教の学者は使っていました。それは新井白石でした。『藩翰譜』(はんかんふ)は、江戸の家伝・系譜書。著者は儒者の新井白石で、全12巻藩譜との略称でも呼ばれる。元禄15年1703年成立。元禄13年の甲府藩主の徳川綱豊の命を受けて編纂したという諸大名337家の由来と事績..

  • 佐竹氏は1602年に秋田移封となった。この頃まで常陸の国では領民はわーほいという行事をしていた。鳥追いとかどんど焼きとかうわれた、正月のしめ飾り等を燃やしたと同時に鳥追い行事でもあった。ワーホイ、ワーホイ、今日はどこの鳥追いだ、 鎌倉様鳥追いだ、ワーホイ、ワーホイ、 いのしし、かのしし、かのめに追われれ、ワーホイ、ワーホイ」というはやし言葉であるが私の幼少の記憶では「わーほいだ。わーほいだ。今日は..

  • 鍬入れの行事は額田でも行われていた。1月11日とされた。茨城の行事を読んでたら幼い時を思い出した。畑の真ん中に連れて行かれた。何をするのかと思った。毘盧遮那寺に向かって、大きな声で「からす からす」とどなったことをおぼえている。農家の仕事始めの儀式で広辞苑には『鍬初め:農家で正月の吉日に、吉方(エホウ)に当る畑に初めて鍬を入れ、餅または米を供えて祝うこと。田打正月。鍬初め。』とある。 『カラス、カ..

  • 那珂市協働の提案2年目のホームページおよび看板。ベンチ、幟旗の提案が正式に4月末に受理された。後半50万の助成金が受理された。今後の活動が期待さる。なお、プレゼンにあたった武藤博光会長、お疲れ様でした。

  • 観光かるたの市民協働提案が4月末に決定され正式通知が来た。これにより、観光ボランテア那珂の那珂市観光かるたセットの数百セット、さらに、絵手紙、水墨画、小学生の手作りのかるたも作成される予定である。額田城跡始め阿弥陀寺、鈴木家住宅、額田神社等がかるたに組み入れられる。

  • 4月29日那珂市へ結城からの観光ボランテアのお客様がやってきた。ところで今日も4月26日に続き、瓜連は静神社、静峰公園、常福寺の観光案内。瓜連から一乗院へと向かいボランテア交流の有意義な一日であった。機織りに繋がる結城紬の結城からのお客様。糸で結ばれた。額田城へは時間の都合上来れなかったがパンフレットを手渡し、次回に期待した。

  • 昔はお静さんと言うと静神社を指した。静神社は常陸の国の二の宮で奈良、平安の延喜式の名神大という鹿島、香取と並ぶ静神宮であった。常陸一の宮は鹿島、そして三の宮は水戸の吉田神社である。常陸風土記に倭文の里として出てくる。万葉集に防人として倭文部のから麻呂の名が残っている。火災のあった焼け跡てんぽ年間に銅印が発見され、本殿に収められている。

  • 茨城県とJRの提携の観光ツアーに21名が参加し、那珂市にやって来た。常福寺や静の桜祭りをみながら静神社、手接足尾神社、一乗院等を見物、観光客の意見としていろいろといいところあるのに宣伝不足かな。額田城跡も来てみたい。多数の声に励まされ、意欲も前向きだ。

  • 額田城跡保存会(武藤博光会長)は4月22日、まちおこしの一環として額田城ののぼり旗100本を製作するための提案を提出した。額田城、額田藩の名産物の冠銘柄品の振興策でもある。引き続きベンチ、看板やホームページ費用も出された。積極的提案が注目される。同時に観光かるたも注目される。

  • 本日、額田びる遮那寺の牡丹が咲いた。この花を見に常陸太田、日立から7名の観光客がおとずれた。牛久の神谷ミュウジアムに訪問の集合場所でもあったのだ。牛久もシャトーが震災の傷跡はあるもののシャトー正門、レストランは復旧していたし、庭園の池のコイも元気に泳いでいた。懐かしの蜂ぶどう酒をお土産に帰宅の途についた。

  • 4月16日、会員多数の参加をもって総会が終了しました。昨年は市民協働の一貫としてホームページを立上げ各方面から評価も高まりつつあります。また、街角案内人のTシャツもでき、4月2日、3日の両日、阿弥陀寺の桜祭りで額田城跡に誘導する作業に早速着用し活躍をいたしました。今年度の活動は城跡整備、額田観光スポットの看板立ち上げ、各種講演、機関誌『額田城跡』の発行等活動をしてまいります。また観光ボランティア、..

  • 東日本大震災の東北の被災地に5年も野菜を送っている仲間がいる。額田の畑で8名で耕作しているが何でも、4月に高校を卒業して50年を迎えたそうだ。4月16日に常陸太田市交流センターで太田一高在校生性や卒業生を含め総勢1000名をもって、卒業50周年記念式典が開催された。その卒業生の感想文が手に入ったので紹介したい。われわれにとって節目の太田一校卒業50周年が終わった。記念式典での来賓の方々、生徒会や代..

  • 3月31日で読札投稿は締め切りました。お陰をもちまして200を超える読札が集まりました。ありがとうございました。日本の桜名所100銭の静峰ふるさと公園春の風物詩 静峰公園の八重桜まつり鎌倉時代の遺風を残す 常福寺鐘楼義家の忘れ形見の静の椋の木幻の古代織物倭文織の復元と製作を続ける倭文機グループ外濠、内濠今なお残る額田城跡光圀様の娘を迎えた鈴木家住宅ライトアップに浮かぶ阿弥陀寺のしだれ桜たっつぁいの..

  • びる遮那寺の山門前に咲く薄墨桜は額田で最も早く花をつけ、長もちもする。お彼岸の頃より2週間も花をつけ何とも言えぬ白さである。追うようにしてしだれ桜、一般的桜であるソメイヨシノも咲き始めた。

  • 4月1日からの咲き誇る阿弥陀寺の桜は満開を迎え、散り始めている。ガマの油売りや額田城跡への誘導もあり、1日1000名も来ている。老人会の協力により、1000枚のチラシも無くなってしまっている。露店も1日から出ていたが6日で終了した。観光案内人の方々、街角案内人の方々ご苦労様でした。

  • 4月に入り阿弥陀寺のしだれ桜が満開となりました。出店が出て盛り上がりをみせ、がまの油口上も3日にわたり熱演し好評を博しました。額田の街角案内人の額田城への誘導が行われました。地元の老人会の協力も得られ1000人の方々が見えました。

  • 飛来する白鳥の雄姿 古徳沼平安の朝廷の色 雛飾り空高く聳える 毘沙門 国守るわが郷土 ひまわりの色に輝きてつるし雛 色とりどりの布 ゆらら新しき地域おこしの旗印カミスガプロジェクトあなたにも七福もたらす七運汁有が池 水面(みなも)に映る あきあかね鐘楼としだれ桜に人集い 郷に響かん阿弥陀寺の鐘このようなかるた読札が続いて届いています。

  • 茨城県那珂市観光かるた応募つづき、明日締め切りになる。駆け込み的に応募が多数来ていて喜ばしい限り。『織媛』像凛として建つ静神社白鳥も好む自然美古徳沼『風土記』にも記録が残る『静織の郷』孫子マで継げ地域の大助まつり水面を優雅に泳ぐオオハクチョウの古徳沼わがふるさとの歴史をたどる3つの城跡 額田城 瓜連城 古徳城一乗院郷土を護る毘沙門天古代より湧き出る泉七つ洞絵のように静峰染める八重桜伝統誇る山車提灯..

  • 那珂市の額田城跡保存会の市民協働提案がなされた。ホームページの充実と寺社仏閣の看板およびベンチの作成についての補助金申請した。同時に観光ボランティアガイド那珂についても観光かるた作成の補助金申請の提案がなされた。

  • 4月29日、結城から女性の団体が那珂市にやってきます。結城紬で有名な所でかって訪問した際、静織の神様の静神社を参拝に来ると言っていましたが、今回は団体でくるという。静峰公園、静神社、常福寺、一乗院の予定です。

  • このほど、トップページに空撮による額田城跡をアップしました。いかがでしょうか。本丸、2の丸、3の丸が幸いにも開発されずに、自然環境が維持されています。本丸、2の丸に電線がなく、時代劇のシーンなどには最適ですね。

  • 1、那珂市は緑がいっぱい。2、那珂市は歴史があり、寺社仏閣もある・3、古くからのお祭りもある。4、全国でも有名ない偉人もいる。例、根本正5、公害がない。災害がない。これは小学生から見た那珂市の素晴らしいところです。確かに古くからの歴史があり、他市に比べて神社仏閣も多い民俗、風俗からも豊かな地域である。居住する側から見て、地理的にも平地であり、高台に位置し、災害もない。安全性からも、原子力はともかく..

  • 1192年にびる遮那寺は文覚上人の創建と言われています。文覚上人は武士で遠藤盛遠といいました。平安の神護寺の再興等歴史上も有名である。平安末期の神護寺は、大変衰微していた。  平家物語の作者によると、「久しく修造なかりしかば、春は霞にたちこめられ、秋は霧に交はり、扉は風に倒れて落ち葉の下に朽ち、甍は雨露におかされて仏 壇更にあらはなり、住持の僧もなければ、稀にさし入るものとては、日月の光ばかりなり..

  • 4月1日2日は額田城跡内阿弥陀寺のしだれ桜が咲き始めます。茨城県の歴女の皆さん、阿弥陀寺の桜は毎年NHKでも放映するくらい有名です。しだれ桜を見ながら、額田城跡に訪問したらいかがですか。面積で東京ドームの21.5倍ととてつもなく大きい城なんですよ。那珂市の観光ボランティアがご案内しています。

  • 那珂市に昨年名誉市民になった根本正がいる。明治初期から大正時代にかけての日本での政治家であり見直してみたい。 根本正は、茨城県でごく少数の人にJR水郡線を作った代議士として知られています。しかし、明治・大正 の時代の数ある政治家の中で、根本正ほど子供の立場に立って、子供が健全に成長し、自立できる人間になるよう努力した政治家はあまりいません。根本は明治 31年衆議院議員に当選すると「国民教育授業料..

  • 平成28年度額田地区三好会『中原昌幸会長』は4月11日、10時30分より那珂健康センターで開催される。今回10名をこえる新入会員が増加予定であり今後の活躍が期待される。

  • 3月末までの観光かるた募集みー源義家ゆかりの天をさえぎる大きな静の椋の木ひーひまわりの咲く季節に那珂を第2のふる里と決めた。むーむくろじの珠で名高い正覚寺へー紅花と万姫 鈴木御殿で咲き比べひなまつり 発祥の社 淡島の宮

  • 年配者に教えられた。久慈川につい先ごろまで架かっていた通称闇橋は東日本大震災で流され、無くなってしまった。額田の先輩が河合でこの橋を闇橋と呼んだら叱られたという。戦時中からの俗称であって、本当の名は岩船橋と云うそうな。近くにそういえば岩船神社がある。この岩船橋を通って、参勤交代が行われたというから尚びっくりだ。

  • 3月15日午前9時30分より額田城の歴史についての1時間の講義があり、つづいて実際の案内をし、昼前で終了した。額田城の創建から落城までの話、最後の殿様小野崎昭通の伊達家を頼っての逃亡劇を知ることができた。額田をテーマをに人に良くする額田人は年号が1249年をみんなに印象付けられたと思う。

  • 在郷の人たちは長年額田に住んでいるがゆえにあまりにも近すぎて額田城の存在意義が分からない。遠方から観光や学習のためにやってきているにも拘わらず、近隣の人は無関心でもある。土浦から中学生がインターネットのホームページを見て来訪してきた。このような現実のなか、基礎的な額田城を勉強しようという機運が高まりを見せた。文化体育活動と言いながら文化面は何があったろうか。城だけでなく寺社仏閣が廃寺を含め、こんな..

  • 歴女ブームが到来し、武将、刀剣、城と移ってきました。時代の流れは速いものですが、昔からの歴史は古文書等の発見により、変わることはあっても、悠久の歴史を刻んでいます。水戸市から日立から訪問者も増えてきました。額田城と言ってもピンとこない方がいるかもしれませんが、東京ドームの21.5倍の面積と言ったら大変なものであることが分かるでしょう。茨城県水戸市の歴女の皆さん、隣の那珂市にこんな城があるということ..

  • 那珂市額田城跡保存会は3月12日瓜連のラポールにおいて市民協働の提案ホームページを公開し、発表した。トップページに空撮による額田城跡光景は圧巻であった。悠久の額田の天然、文化遺産、人的遺産等沢山の項目からなるホームページに始めてみる人にとっては新鮮に映ったことであろう。

  • 1月から募集をしております観光かるたは那珂市のみならず、近隣の常陸太田市、大子町、ひたちなか市、水戸市から集まっています。句が重複する場合は先のものを取り上げています。有が池 コウホネの花 可憐かな阿弥陀寺の枝垂れ桜の花見事いにしえ人の 暮らし伝える 下大賀遺跡ウバユリの群生みられる額田城本丸瓜連は冬告げる白鳥の古徳沼玄関口梅の家の おすすめの味 額田城縁起だるまの一乗院お静さんと呼ばれる社に 歴..

  • 那珂市からも桜田門外の変に参加した浪士が2人います。静神社と三島神社の宮司です。水戸藩への迷惑が及ぶことを考えて脱藩という手段をとり、事に及びました。それぞれ、斎藤監物と海後 磋磯之介 で3月3日は雛の節句にあたり、必ず大老井伊直弼が登城すると睨んだからでした。これが幕府崩壊の引き金になっていったわけです斎藤監物  静神社神官(一八二二〜一八六〇)名は一徳、号は文里。加倉井砂山や藤田東湖に学び、水..

  • 茨城県那珂市額田の観光スポットの一つ愛宕神社が東日本大震災の破損部が修繕され、安全性が確認されましたので観光スポットとして復活いたしました。因みに愛宕神社は防火の神様です。また、高台は愛宕山古墳もあります。

  • 3月15日、那珂市額田地区まちづくり委員会による講師小田部一彦による講演が行われるが10年前に日立市で講演した内容があり、予備学習をすべく掲載いたしました。内容ただいまご紹介いただきました那珂市額田の小田部と申します。今先生というようなことでご紹介されましたが歴史学者でもなく研究者でもなく単なる那珂市から来た観光案内人とお含みいただけたら、幸いです。本日の講義も皆さんと一緒に学習する機会を得たとい..

  • 今歴女ブームですが、茨城県那珂市にある額田城、額田神社、淡島神社が観光対象として注目されています。中でも日光東照宮の流れをくむ後藤流の彫刻山車や出産や針供養、人形供養の淡島神社は特に注目されています。常設の山車4台が見られ那珂市観光課へ申し込めば観光案内人が案内いたします。10名以上を目途に申し込んでください。茨城県内で歴史スポットでお勧めを質問されている問い合わせがありましたが額田城、鹿島八幡神..

  • 1月に那珂公報、茨城新聞にて掲載されました茨城県那珂市の観光スポットを句で読んでまとめる那珂観光かるたの読札が観光ボランティア事務局に引き続き集まっています。1、額田城 本丸 二の丸 三の丸 歴史を刻む散歩道2、有が池 コウホネの花の中 鯉雄々しく泳ぐ3、金色の小さな鳥の形して銀杏散る散る毘盧遮那の寺4、富士山の古墳の森に いにしえの誰をか眠る5、宮桜 大樹の皮に時刻み まだまだ枯れんと満開の花6..

  • 額田城が出来た時代、城を中心して、地区の名が命名された。城から見て有が池の向うの小山を向山、高い岡が高岡、城の後方が本後、辛目手門の柄目町、白鳥の飛んだ白鳥地区、岩桂寺のあった『がんげじ』等命名された。水戸の梅香町は岡本梅香斎の作った街である。久慈川に架かる榊橋が土木内の『木』と石神の『神』が合わさったという語源は面白い。

  • 観光ボランボティア那珂が額田地区交流センターで昨日開催された。その内容については、まちづくり委員会での3月15日の講演、茨城県主催の桜まつり那珂市訪問の観光客への対応、那珂市観光かるたの読札募集に対する経過報告等で会議がもたれた。また、おもてなし講座の小冊子の読み合わせも行った。それにより、観光ボランティアのおもてなしのヒントを得ることができた。次回開催を3月10日とし閉会した。

  • 平成28年2月17日現在で観光ボランティア那珂の那珂公報を通じての募集は100件の大台を超え、順調に推移している。今回読札は次のとおり。1、ウバユリの群生みられる額田城本丸2、縁起だるまの一乗院3、お土産はニッキの味のつぼ焼きを4、木内の酒とネストビール5、久慈川のたもとにさかえし額田宿6、古徳沼に白鳥群れ立つ7、桜百選静峰公園8、椎の大木三島神社9、つるし雛にてまちおこし10、額田城址東京ドーム..

  • このほど、水戸市史、常陸太田市史から棚倉街道は横堀街道が本街道であることがわかった。水戸市史には枝川、田彦、額田、太田、町屋等に駅があり、駅間の距離、馬の乗り賃が表であらわされている。参勤交代の東北の諸藩は当初、奥州街道を使ったが、財政逼迫で江戸への旅を宿等の安い棚倉街道を通行するようになった。郡山 に移った額田藩2万石は守山藩となった後も松川(大洗)を有し、棚倉街道の往来を行き来していた。

  • 文化財愛護協会の民俗部会では2月13日に那珂市中央公民館にて民俗部会としての発表会を行った。昨年7月に開催された額田まつりの前に実際に額田の屋台 山車を見学しようとの意図のもと、6月29日に観光ボランティア那珂の説明を聞きながらの内容把握を目的としたもので、歴史的遺産の逸話等を交えての発表があった。また、7月25日の額田まつりの内容と事前に開いた額田まつり今昔物語展の内容が茨城新聞のDVDを用いて..

  • ,那珂市の観光かるたの読札が観光ボランティア那珂の手によって募集され、平成28年2月に続々と集まってきました。読札は次の通りです。弘願寺 手あわせ なでる くすぐり地蔵 いにしえ人の 暮らし伝える 下大賀遺跡城跡と  社を結ぶ 静古徳古道源義家ゆかりの 静の椋の木 (秋山珠江様)白鳥の飛翔の雄姿 古徳沼南朝の 歴史を語る 瓜連城址倭織(しずおり)の神 荘厳に 静神社久慈川と玉川 逢瀬の鮎光る  鳥..

  • 水 戸市史、常陸太田市史から、江戸時代の棚倉街道は横堀街道が本街道であることがわかりました。水戸市史には枝川、田彦、額田、太田、町屋等に駅があり、駅間の距離、馬の乗 り賃が表であらわされています。参勤交代の東北の諸藩は江戸時代の当初、奥州街道を使ったが、財政逼迫で江戸への旅を宿等の安い棚倉街道を通行するようになりました。郡山 に移った額田藩2万石は守山藩となった後も松川(大洗)を有し、棚倉街道の往..

  • 額田高齢者の会、三好会(那珂市額田の中原昌幸会長)は2月10日(水)午前11時、今年初顔合わせの会を開きました。参加者26名と顔ぶれがそろった。これをもって今年度の活動は終えたが多数の新規加入者ができ、今後の活動も期待できる。今年度の活動はカラオケ大会の親睦、自転車競技、ボランティア清掃(額田城跡、額田神社、きだまり)等で幕をとじた。

  • 常陸太田市史を読んでいて、額田に関連する長久保赤水の七友立川敦美に当たった。那珂市史には単に原好誼軒の師であると書かれていたから繋がった。物事は裏から見るとすべてが繋がる。原好誼軒は白羽生まれで原家へ養子に入ったのである。そもそも婿入りする前から立川は師であった。明治に入って最初の代議士も立川だとすると常陸太田を長きに亘ってリードしてきた一族だね原好誼軒は久慈郡白羽の渡辺家に生まれ、寛政5年に額田..

  • 大和田内記の金砂日記は江戸の初期秋田から佐竹藩の使者が調査のため常陸の国へ来た時の資料である。それによると、常陸太田の久昌寺のあるところに佐竹菩提寺天徳寺は存在した。佐竹の秋田移封後、佐竹色を消すため久昌寺を建立したものと思える。(常陸太田市史より)

  • 額田高齢者の会、三好会(那珂市額田 中原昌幸会長)は2月10日(水)午前11時、今年初顔合わせの会を開く。今年度の活動はカラオケ大会の親睦、自転車競技、ボランティア清掃(額田城跡、額田神社、きだまり)等で活動を展開している。次年度から、新入会員も大きく増加するという。

  • 1591年額田城落城佐竹氏の北家、南家の叔母からの密使の手引きで久慈郡太田村天徳寺に逃げ込む。1462 年(寛正3年)当時の佐竹家当主佐竹義人(義憲)が夫人(佐竹義盛娘)を弔うため、常陸国久慈郡太田村(茨城県常陸太田市)に創建した。1590年(天 正18年)、水戸霊松山(水戸市宮町、現在の水戸東照宮所在地)へ移転。1602年(慶長7年)、佐竹氏の転封に伴い、出羽国秋田郡楢山村の楢山(現在の 金照寺..

  • 戦後パチンコ店が何軒も那珂市額田にあった。額田十文字近辺に3軒、北郷新道に一軒とあったのである。当時、在日朝鮮人の人たちが経営していた。ここで、足利時代から江戸期を振り返り、朝鮮との交易について、述べてみたい。額田城が出来た時代、対馬に宗氏がいて交易が認められ、大名たちも朝鮮を通じ、中国の者が手に入った。勘合貿易に準じた交易があった。14世紀末の朝鮮半島では、李成桂(り せいけい、イ・ソンゲ)が高..

  • 額田中学校と検索すると岡崎市立額田中学校がでる。その筈である。私の卒業した那珂市額田中学校は50年前に無くなったからである。雲ひんがしの天を染めの小節で始まる校歌は無いのである。それでも額田中学校同窓会はあるのである。今月、20日に同窓会がある。毎年、2月にやっている。50年経っても額田中学校はあるのだ。青遥学園那珂第2中学校は教訓は引き継がれているのだろうが額田中学校が懐かしいとともに岡崎市立額..

  • 昨日、額田城址に太田一高卒業50周年実行委員会のメンバーが15名が訪れた。額田城跡の撮影のためである。案内は観光ボランティア那珂のメンバーである。額田城にとって、常陸太田との関わりは古くからであり長い。額田城創建は佐竹氏であり、家臣団も内桶氏や永井氏は常陸太田に住んでいる。薩都神社元宮司戸祭氏、金砂神社宮司も中嶋氏である。白鳥山梅照院も江戸中期額田より移っている。額田城主の後半170年も常陸太田瑞..

  • 3月15日(火)に額田交流センターにおいて那珂市額田まちづくり委員会(委員長 成田昭夫氏 体育文化部会長 戸祭守男氏)は講師に、観光ボランティア那珂会長の小田部一彦氏を招いて、額田の文化活動の一環として、歴史基礎講座を開催する。内容については、額田城の歴史と自然で、講座終了後額田城を散歩する;開催日は3月15日(火) 午前10時1、額田城のあらまし 額田城は約340年間額田地区を中心とし..

  • 那珂市観光かるたの応募が数日の間に水戸から、戸崎からと続々と届いている。かるたの内容は次のとおりである。お静さんと呼ばれる社に 歴史あり 友好の糸をたぐれば 戸崎城静織の里に今年も桜花萬姫の幸せ願う親心常陸野の古代を織りなす静織の里八重の桜 咲くころはうららうららの静の峰四季折々の色と香りを楽しませる茨城県植物園正門 楼門 唐門の参道奥に常福寺そびえ立つ一乗院の毘沙門天花の寺 一乗、弘願 文殊院南..

  • 茨城の観光地化を目指す額田城跡保存会『武藤博光会長』は那珂市ボランティアの観光かるたの読札募集に賛同し、後援をしていくことが決まった。後援団体は那珂市観光協会についで2団体。読札募集については茨城新聞掲載もあって、水戸市、大子町からの人たちから問い合わせがあった。那珂市ボランティアガイド事務局に届いている読札かるたは次の通り。 四季に咲く花が彩る県植物園 二十歳にてその法を知り、根本正の偉業を知る..

  • 棚倉街道は2通りある。江戸時代から棚倉街道は青柳渡しと枝川渡しを渡る街道である。なぜかと言うと枝川のほうが海への回漕が便利で荷物を運べたからである。塙の徳川将軍家の天領や水戸も副将軍家で江戸住まいであり大量の食物や木材は那珂川より海で江戸へ入った。青柳渡しは上町道といい、水戸城から西へ向かい、那珂川を青柳に渡り、五台、菅谷宿を通り、杉をとおり高岡、坂下。枝川渡しは下町道で水戸城からすぐに那珂川をわ..

  • 11月16日、那珂市額田びる遮那寺観音堂において、檀家の方々が集まり星まつりが行われた。星まつりでは大般若経600巻が披露され、読まれる。読まれると言っても、一巻5万字と言われるから、到底読めない。ぱらぱらとめくる程度で、読む真似をする煙管読みといわれる最初と最後を読むのである。キセル乗車と同じ意味で途中がないとの解釈である。戦前は村長を中心に村の行事であった。折しも、額田への観光客が観光ボランテ..

  • 1591年に額田城を陥落する佐竹義宣であるが同年33館の領主の謀殺等を経て、常陸国統一を果たし、水戸に入城。街づくりや水戸八幡宮の建設にとりかかった。梅香町は家臣の岡本梅香斎の名を取って今でも梅香町と言われている。『茨城新聞社 奥七郡からの出発 富山章一氏』から引用。

  • 1月16日において茨城新聞に那珂市観光かるたの読札募集の記事が掲載されている。観光ボランティア会長小田部一彦宅が事務局で申し込み先は電話番号090−2412−8305(後援 那珂市観光協会)5−7−5調でも自由ですが22字を限度とする。観光かるたの一人5首を基準としての募集である。白鳥が今年はまだかと古徳沼壺焼の焦げるにおいの 囲炉裏端金色の観音輝きて甍もまぶし びるしゃな寺有が池 コウホネの花 ..

  • 文化財愛護協会の民俗部会では2月に那珂市中央公民館にて民俗部会としての発表会を行う。昨年7月に開催された額田まつりの前に実際に額田の屋台山車を見学しようとの意図のもと、6月29日に観光ボランティア那珂の説明を聞きながらの内容把握を目的としたもので歴史的遺産の逸話等を交えての発表ならびに7月25日の額田まつりの内容と事前に開いた額田まつり今昔物語展の内容が茨城新聞のDVDを用いての発表となるという。..

  • 水戸から常陸太田の黄門ウォークが実際の歩いた道を歩いていないのでは疑問を投げかけられましたので、額田近辺についてご説明いたします。確かに江戸時代は南側に有が池を西側に迂回し、高岡から鱗勝院の西側を通り、額田城跡の西側の外堀に沿って北上し、八幡社の東側をとおって舟渡に向かい船にて河合岸に渡る道筋が正しいといえましょう。黄門ウォークは明治以降の車道を通り、阿弥陀寺に上がってきますがトイレ等が途中になく..

  • 鳥獣保護法なんて考えたことはなかったがこの頃、額田地区においてもイノシシやたぬきが出没してきた。害がなければ共存していくのが望ましいがそうも言ってられない現実がある。そして、我が家にもタヌキの子供が出没してきた。害獣だと言うが子ダヌキは可愛い。ついついリンゴなど餌をやってしまう。先日の那珂市広報においても高速道路以北のイノシシ狩りを実施するようなことが掲載された。野山に食糧があった時代は山のみで対..

  • 額田城跡の自然の中を散策してみてください。遊歩道から伝わる優しい感触、小鳥のさえずり、木々のささやき、爽やかな風、すべてが貴方をやさしく包み込みます。時には戦国時代を思い浮かべながら。『鈴木富士雄氏の額田城跡の活用』の前文引用。過去からの考察と将来に向けての昨年、額田住民に提案が出されている。額田城跡の在り方や特産物を活かしての地域づくりまでを述べており、興味深いものがある。

  • 大成学園の創始者を前述したので、常磐学園の創始者も紹介しよう。諸澤みよ    諸澤みよ 学校法人常磐大学の創立者である諸澤みよ(旧姓小田木)は,明治二十年(1887)に,東茨城郡飯富村(水戸市)で生まれた。     みよは明治四十二年(1909),水戸市馬口労町(水戸市末広町)に小田木裁縫伝習所を開設しました。ここは,近くの民家を借り受け..

  • 額田北郷の神奈川の先輩から日本で初めての保母って?電話がかかった。即座に諸沢みよと答えたが豊田ふゆと答えるのが正解だった。常磐と大成学園の創始者をごっちゃになっていたんだ。豊田ふゆは豊田天功の息子の嫁として豊田家に入った。水戸藩郡奉行・桑原信毅の次女として、水戸に生まれた。幼少時から学問を好み、穴沢流薙刀術の伝授も受けた。文久2年(1862年)、豊田天功の子・小太郎(豊田香窓)と結婚した。しかし、..

  • つつがなく新年をお迎えのことと存じます一年一年の積み重ねが歴史です。悠久の額田に居住していることを誇りに思いましょう。額田城は永久に不滅です。皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。

  • 豊後の2孝女が常陸太田市で話題になっている。額田にも江戸時代の協力者がいた。豊後の二孝女が常陸の国から大分に帰るにあたり、関わった人が額田にいる。相阿(常念寺 住職)、政順(鈴木左内)、酔自庵(鈴木市兵衛)、紋女(加藤善兵衛の妻)、額田駅占春亭(原邦明)の五人である。これは大分県臼杵市の川野勝行氏蔵の和歌や俳句である。それぞれの歌が保存されていたのだから奇跡である。後に確認後披露する。この方々はお..

  • 12月25日午後5時より例年通り、額田城跡保存会蕎麦会を20名で額田中央公民館で開催されました。年末にあたっての反省と評価をし、新しい抱負が武藤博光会長から述べれました。続いて広報の小田部より今回のホームページの内容報告があり、そばを食べながらの歓談し、2時間で終了しました。

  • 額田城街角案内人による観光客案内情報。12月17日、額田城へ観光客がやってきた。額田城から柳沼パパイヤ農園そして上宮寺、三島神社、そして遅いお昼を取った。本米崎の元屋敷の精進料理だ。元屋敷には地元出身の佐川華谷の水墨画もさることながら、板垣退助、大隈重信からの手紙のあるのにはびっくりだ。当時の根本正衆議院議員からの手紙や郡役所からの手紙も残っている。天狗諸生の乱の刀傷も床柱にみられた。何と歴史的に..

  • 額田城跡保存会では額田藩観光七運パワースポットの企画を考案し、看板指定をし、観光客の誘致を考えています。額田藩、阿弥陀寺、引接寺、鱗勝院、鈴木家住宅、びる遮那寺、額田神社【鹿島八幡神社】です。

  • 那珂市観光かるたに額田城や周辺地区の歴史的遺産を5−7−5の句で応募し、額田城跡を知ってもらうという目的で皆さんに応募することをお勧めします。例 あー有が池 コウホネの花 咲きかおる。  しーしののめの 空はたなびく 額田城  ほー堀のなか 筍生えて 散歩道  ぬー額田城 昔をしのぶ 赤とんぼ広報 観光ボランティアなか 事務局 090−2412−8305

  • 地域の観光地や自然、歴史遺産【寺社仏閣や古民家等】俳句や川柳でもいい。5−7−5で読札作ってくださいね。額田神社、額田城、静神社、根本正、桜の木、大杉、もちの木、古徳沼等なんでも結構です。例る 瑠遮那仏 観音の空 輝きてさ 桜田門 世直しの剣 静の人歴史遺産、自然、観光地 那珂市ゆかりの人 なんでも結構です。ハガキにて観光ボランティアなか事務局まで応募して下さい。 事務局 09024128305 ..

  • この問題は日本国憲法も絡む大きな問題だ、直接民主制と間接民主制。昭和30年まで直接民主制の村民総会が行われていた地域がある。地方自治法94条、95条は直接民主制も認めている。一橋大学の杉原泰雄理論は必ずしも地方自治の決定権において当然ながら議会の決定でなくとも重要な案件については住民投票による直接民主主義による決定を認めている。間接民主制の前提となる選挙による投票率はほぼすべての住民が投票すること..

  • 本田恒虎は慶応2年額田村北郷に生まれた。昭和の額田村村長の本田魁介氏の伯父であった。額田小学校を卒業後、司法省法学徒を拝命、後に東京帝国大学仏蘭西法学科に入学。卒業後司法省に入省、東京地方裁判所検事局検事となり、国政の大事件に関与していく。本田恒虎の親の石碑を弟信之介氏と建立し、額田元常念寺墓地に刻まれている。【平成27年12月7日確認】大事件に東京市疑獄汚職事件があり伊藤博文内閣の逓信大臣であっ..

  • 茨城新聞にトップ記事で市民条例がとりあげられた。市民として嬉しかった。県内初の快挙だと言うがその後委員会で否決との事、額田城跡保存会のの幹部庄司君の落胆の言葉がのった。次代を先取りした形の民主的ルールが開かれたと皆が喜んだにも拘わらず、残念の声が額田において耳に入る。市民協働からの立場として、庄司君同様大いに残念である。

  • なか環境市民会議(海野宏幸会長)は講演会を先ごろ、那珂市中央公民館で開催した。生物の多様性と私たちのテーマで生物多様性センターの山根爽一氏を招いての講演であった。生物の多様性とその意義について語られ、環境の変化により生息する生物も変わっていくという。11月29日茨城新聞にその内容が掲載されています。ご覧ください。

  • 東日本大震災から4年半を迎えて、石巻にサツマイモを先ごろ送った。まだ、被災地は仮設住宅なのだ。復興への槌音は響くそうだがまだまだだ。野菜を送って4年、4000キロを超えた。周りの協力者に感謝したい。額田を見渡してもまだ爪痕はある。お墓や塀も完全とは言えない。幸久橋は通行不能となった。その他の公共物は大丈夫かな。再度、時が経ち、落ち着いた段階での再チェックが必要なのかもしれない。老朽化の中で見逃して..

  • 紙は燃えるごみだがリサイクルできるものもある。資源の再利用は二酸化炭素対策にも通ずるものである。地元の環境市民会議は極力、再利用できるもの選別し、対応することが確認された。各家庭でこれが徹底されれば、よりよい環境にも寄与するものだ。現在、紙の値段は鉄の値段の何と同じ重量で倍でもある。紙の再利用に皆で心がけよう。

  • 江戸時代の鈴木御殿に水戸徳川家のお殿様が立ち寄った。その際の準備は大変なものだった。近隣の村々に垣根を新しく吹き替えたので、萱を集めるよう指示が下った。井戸払いもし、三日三晩、毒殺を回避するための寝ずの番が水戸家から派遣された。歴代の殿様の尻に合わせ便所も改装された。畳替えは柿岡までイグサを取りに行ったという。その柿岡を見に行こうという案がかって、額田城を見学したグループが本日11月20日訪問する..

  • 茨城交通の路線バスが無くなり、列車を利用する客が増えつつある。それと、額田駅からの観光客も増えてきた。その人たちが額田駅に降り立ったとき、トイレがなく、戸惑うという。観光地の駅にはトイレが付き物だからである。観光案内をしていても交流センターまで、我慢出来ますかというのも切ないものがある。また、雨風の強い日、高校生の停めた自転車が横倒しになっている。駐車場に屋根つきのものがあればと常々思っている。地..

  • 11月21日 額田城保存会では額田城の草刈り作業を実施します、ボランティア作業ですのでかま、刈払機をご持参下さい。今月も自治会の協力で多くの参加が期待されます。

  • ひたちなか市、水戸市からも参加し、那珂市菅谷の両宮水系遊歩道散歩が20名弱にて実施された。武田不動院の紅葉に京都の風情を感じながら、そして、圧巻は鹿島神社の36歌仙絵が見られたことだ。二人の絵師によって描かれた絵と和歌は拝殿内に飾られ、安政時代に人々の思いを遡らせた。午後、額田神社の山車の彫刻を見てさらに明治初期の作品に触れ、1日を終えた。参加者の皆さん、ご苦労さんでした。

  • 額田まちづくり委員会は額田の正式行事としてゴルフ競技を取り上げるべく委員長から方向性が示された。11月17日、額田のゴルフ愛好会が25名の参加のもと金砂郷カントリーで開催され、成田定男君のベスグロ優勝で大いに盛り上がった。レベルも高く70台が3名も出るなどの競技となったが全体的に60を超える年代で元気にプレーが展開された。此の盛り上がりをまちづくり委員会として親睦と体力づくりの観点から正式競技とし..

  • 皆が知らない額田の話現在、那珂市の案内人を10年もしている。10年もやっていると色んな観光客が来る。小学5年の担任の先生が90を過ぎて一緒に歩いた。一高の3級先輩が鎌倉の仏師となり仏像を彫っているが額田まつりの山車の彫刻に驚嘆していた。芙蓉城郭研究会の方々、仙台から、千葉から、会津若松から、横浜から大勢の訪問者が来る。このところ、伊達政宗の密書が見つかり、注目されてきたので一般的な知識は新聞や書物..

  • 那珂市商工会青年部で立ち上げた那珂太鼓のメンバーが常陸太田の茨城の太鼓祭りに参加、額田城跡陣太鼓が勇壮な那珂に披露された。出陣の勢いそのものすばらしい演技だった。額田城跡を案内して10年になるがはじめて額田城陣太鼓の打ちならす打撃音を聞きましたがいいものですね。

  • 10月22日に茨城新聞に観光ボランティア那珂主催の両宮水系遊歩道を巡る歩く会の応募方法について掲載されました。開催日時11月18日 9時 那珂市役所集合上菅谷駅、不動院を経由して遊歩道、鹿島神社にて36歌仙の絵をみて宮司さんの説明があり、再び遊歩道 そして折り返し、遊歩道からとんがりハット、アンテナショップを経由して那珂市役所 掲載翌日 3名の申込みあり 申込期限11月10日 官製はがきにて連絡先..

  • 地元にいても額田城跡に何十年と来ていない友人M氏と常陸太田のその友人の知人で山歩きの達者なI氏、I氏は額田城は初めてである。たまたまその日は10名程度で額田城跡保存会のメンバーが草刈り作業をしていた。こんにちはきれいになりますねとあいさつを交わし、チップの敷いてある散歩道を歩いた。山歩きが達者なのでつい、植物に目が行く。きのこ、みょうが、咲き終わって、大きな実をつけているウバユリの群生に目が行く。..

  • 鈴木家住宅を訪ねてみるとご案内の鈴木家のおばあちゃんが案内してくれます。次の文章は古文で書かれたものを小田部が現代文に訳したものです。鈴木市十郎妻萬姫の素性等について額田村の鈴木市十郎は裕福にて大阪より綿を買い入れ資産家となりました。徳川光圀公は西山にご隠居のおり、水戸 からの往復時に市十郎宅に立ち寄ったりしておりました。殿様で居られたときか、ご隠居されたときかははっきりしませんが萬姫という婦人を..

  • 那珂市久慈川の額田岸から鮭の泳ぐ姿が見える。海から上がってくる時期を迎えた。かって、額田城があった時代、石神城(東海村)との間に鮭を巡っての争いの末、石神との合戦が行われたと石神合戦記に書かれている。7堰の中間で境を決め下流を石神、上流を額田と言う配分であったが、下で川留をして、取ってしまったため、鮭が上がってこなかったという。当時は河川改修により、久慈川が直線になる前の時代だったから、石神城の下..

  • 東京ドームの21.5倍の面積を誇る茨城の城、額田城 今日も仙台市から水戸から、常陸太田市から額田城跡にやってきた。広大な城跡に驚嘆するもなぜ、こんな史跡があっても何故、有名にならなかったか。額田神社の彫刻の屋台山車、此の彫り物を誰もが知らないのは観光の力が足りないのかとの言。会澤正志の掲額【額田神宮】が素晴らしいと。この積み重ねが額田を有名にしていくのだと思いつつの観光案内。今日も一応の成功だ。

  • 額田の小学生が観光スポットの絵を描いた。それをカレンダーにした。すばらしい絵だ。阿弥陀寺の桜や額田神社、小学校のもちの木が素朴ながらも少年少女らしい絵が描かれた。活動資金が足りないから、カレンダーにして売るんだと。悠久の額田のスポットを心の底から描いたその心を買いたい。

  • 久慈川の生物は自然の環境の現状を知る意味において重要だ、悠久の額田を流れる大河久慈川は久慈の流れにゆあみしてとかってあった額田中学校の校歌にあるほど、プールのなかった時代、水遊びをしたのである。下げ針でナマズをとった。川干しでうなぎや鮒が捕れた。放流により鮭やアユも今でも捕れてはいるが。そんな久慈川は今どうなっているのだろうか。興味深い。久慈川は、八溝山に源を発し、八溝山地と阿武隈山地の間を南流す..

  • 10月7日、額田駅に日立からの観光地巡りのお客様が11名やってきた。額田7運観光スポット巡りだ。額田城跡、阿弥陀寺、引接寺、鈴木家住宅、びる遮那寺、鹿島八幡神社、額田神社山車会館を巡った。日立ウォーキング同好会のメンバーで高齢であるが健脚ぞろい、ついていくのも精いっぱい。山車会館や淡島神社の彫刻にびっくりしていた。こんな山車、県北にあったなんて宣伝不足を指摘された。3年後、額田大祭礼に来たいと言う..

  • 那珂市、10月3日黄門ウォークが開催され、阿弥陀寺で鈴木家の畑の紅花が紹介された。那珂市が主体に5、6年前に栽培していたものを再開し、今年は花をつけた。現状での紅花畑の写真が紹介された。埼玉県桶川市から種をもらいうけてきたのを市長の指示で農政課が動いたという。まだ、満開にはなってないが何日か後、写真のようになるのが楽しみだ。水戸光圀ゆかりの万姫の嫁いだ鈴木家、紅花で産を成した。その当時の再現だ。

  • 那珂市のなか環境市民会議情報 講演案内 『生物多様性と私たち』場所 那珂市中央公民館 1F 大会議室11月13日(金) 講師 茨城県生物多様性センター センター長 山根爽一氏後援 那珂市教育委員会なか環境市民会議の自然環境部会、環境学習部会の主催で那珂市環境基本計画の『生物の多様性の保全』に鑑み講演会の企画をいたしました。問合せ先 市野沢伊司(☎029−296−0981)参加者は無料

  • 悠久の額田と言ってもここ生物に変化をもたらしている。先日、アメリカザリガニを池に1匹入れただけでメダカがいなくなり、口細がいなくなってしまった、残ったのは金魚とタナゴだけであった。自然界ではこんなことがいつも行われている。額田の田んぼの小川には以前は水すましがすいすいと泳いでいた。タナゴもきれいで『おしゃらくブナ』と呼んで多くいた。オバッケ貝がいた。でも少なくなった。まずイナゴがいなくなった。ナマ..

  • いよいよ、恒例の黄門ウォーク。旧県庁をスタートし、西山荘までウォーキング。準備万端。パンフレットも人数分用意され、那珂市の観光ボランテア那珂のメンバーも2組に分かれ、清水公園、阿弥陀寺で待ち、簡単な案内に入る。天候も良さそうだし、健脚に期待したい。額田城跡もきれいに清掃されて水戸、常陸太田の参加者を迎える。

  • 富士山が噴火して400年、1700初頭の大雨から400年を迎えようとしている。100年に1度の災害を事業仕分けの名のもとに切り捨てられた予算、それに批判が高まっている。政治をおこなうものは歴史を知らねばならないと先人は言ったが。水戸光圀が無くなって8年が経った1708年から災害は始まる。これが400年に1度の災害である。日本はとんでもない時期を迎えることになる。噴火や洪水に致命的ダメージを負う。2..

  • 9月27日、額田城跡の清掃作業が行われた。10月は3日に水戸市、那珂市、常陸太田市合同の黄門ウォークが開催されるし、10月7日、16日と観光客が額田城をはじめ額田古寺五山や鈴木家住宅にやってきます。このため快く受け入れるおもてなしの対応が叫ばれています。10年まえに来た人がきれいになりましたねと言ってくれるたびに喜びを感じます。ボランティアの方々ご苦労様です。

  • 9月26日の運動会に向け額田小学校では練習が追い込みです。悠久の住みよい額田の長い間にわたる歴史的伝統の秋の行事です。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんに素晴らしいダンスや競技を見せたいと頑張っています。運動会のための練習光景(額田小学校体育館)因みに、本運動会は額田保育所、額田小学校、額田市民の合同の大運動会です。戦後の復興を期して、額田村民運動会が前身の運動会で当時は額田村での村民..

  • 茨城県那珂市額田城跡保存会の今月の奉仕作業は9月19日と9月27日の2日間の予定でした。本日はもちの木少年団の額田の小学生8名も加わり25名で行われました。若い人たちが地元意識に燃えての応援態勢は素晴らしいものがあります。10月3日の黄門ウォークに備え、額田城跡を快く歩いていただくという【おもてなし】の心に感謝します。那珂市額田の観光案内にみんなで協力する姿勢に日本人の心の美しさを感じます。

  • 茨城県那珂市額田の阿弥陀寺の墓石工事でお馴染みの株式会社千石匠が額田城跡保存会の活動に感銘を受け、額田藩御用達店1号として、協賛してくれることとなりました。(株)千石匠は阿弥陀寺の桜祭りでそば等や石のピザを出店し、まつりを盛り上げています。茨城県桜川市真壁町下谷貝2004-2 TEL:0296-54-1586 FAX:0296-54-1972ホームページ http://www.ishinoyado..

  • 那珂市額田の観光スポット毘盧遮那寺の住職に面談し、大般若経600巻のこれまでの保存の在り方において聞いた。お寺に銀杏があるのは古文書の防虫剤の役割として銀杏の葉が最適で保存されてきた、食用や薬としても効用はあったがこの銀杏の巨木の役割は大きかった。毘盧遮那寺のパワースポットとしては長い歴史の中で相応しい。  

  • 那珂市額田のおじいちゃん、おばあちゃん、9月21日は敬老の日。いつまでもお元気に。長年のご苦労が戦後の日本の繁栄の支えとなりました。まだまだ長い人生、私たち後輩はあなた方のお知恵を拝借したいと思っています。何かあったら教えてくださいね。額田の歴史や民話の話をお孫さんに伝えてくださいね。

  • 10月1日を基準に国勢調査が始まり、インターネット回答が呼びかけられている。歴史的なことですね。那珂市額田でも調査員が回ってきて、インテーネット回答を進めたので応じてみた。9月10日からのインターネット回答受付であり入力すると簡単にできた。皆さんもやってみてはいかがですか。悠久の額田の人口の増減は歴史的にも将来に向けても大きな問題であり、其の趨勢に関心を持ちたい。

  • 観光ボランティアガイド那珂では鉄道での日帰りの旅を募集しております。額田駅着9時50分(常陸太田駅)10時徒歩にて30分、額田地区交流センタースタート 10時30分額田城跡ー阿弥陀寺ー引接寺ー鈴木家住宅ー昼食(うめのや)実費負担午後1時スタート びる遮那寺ー鹿島八幡神社(15時30分出発)ー40分徒歩ー額田駅水戸駅上り16時15分10名以上で観光ボランティアガイドが案内します。歴女大歓迎。観光ボラ..

  • なか環境市民会議は改めて環境問題に関する言葉の意味を学習しながらの取り組みを考えてみたいと思っています。オゾン層は、地上20〜30kmのところにあります。それを地上にもってくると約3mm(1気圧)の厚さしかありません。例えるなら、レースのカーテンのようなもので、地上すべてのものを紫外線から守ってくれるものです。それを私たちは、破壊しようとしている。それが「オゾン層破壊」です。すべてのオゾン層が破壊..

  • 那珂市 鹿島八幡神社(額田神社)で佐川華谷画の軍艦が見つかり話題を呼んでいる。大正から昭和にかけて活動した今の那珂市出身の日本画家である。佐川華谷の作品が県立近代美術館(水戸市)にも収蔵されている華谷は、優雅な山水や花鳥を中心に描いた画家で「そんな人も戦争画を描かなければならなかった時代を知ってほしい」と、那珂市歴史民俗資料館が9月6日まで展示していた。その絵の寄贈者の中に祖父はじめ、祖父の友達が..

  • 那珂観光ボラテア情報 両宮水系遊歩道を巡る歩く会参加者募集古の時代、鹿島神社、八幡神社の両宮がありました。八幡潰しの歴史的経過を辿り、現在は鹿島神社が残っています。両宮水系は残り、その上に遊歩道が造られ、今、市民の散歩コースとなっています。今年度は改めて遊歩道近くの鹿島神社、不動院を含め、市役所から散策したく企画いたしました。「観光ボランティアガイド那珂」のメンバーがご案内いたします。皆さまの参加..

  • 昭和41年度卒業の茨城県立太田一高同窓生20名が額田城跡、額田神社視察に額田地区来訪予定です。この皆さんは来年4月卒業して50年を迎える人たちで団塊の世代の1年目の方々です。なお、観光ボランテア那珂のガイドが案内スロ予定となった居ります。

  • 額田の高齢者クラブ三好会(会長中原昌幸氏)は10月5日、額田神社奉仕活動を宮司に申し入れ了解をとった。従来からボランティア活動は続けていて、前回の額田城跡活動に次ぐものであり、本殿の草取り、庭掃きを期待している。10月7日日立市からの観光客が額田神社を訪問してくるとの情報に基づいておもてなしの清掃をするという。歴史に関心を持つ団体が一つでも増えることは地域として心強い。

  • 来たる10月7日、日立ハイキング同好会が、JRにて額田駅に9時48分に到着する。この観光客の来訪には観光ボランティア那珂の皆さんが関わる。額田駅にトイレがないため、額田地区交流センターまで歩き、10時半に額田城跡案内が始まる。12時までに額田城跡、阿弥陀寺(トイレあり)引接寺、鈴木家住宅を経由し梅の家にて額田城弁当をとり、びる遮那寺、額田神社、山車会館を見学にて、帰途につく。15時23分の水戸駅行..

  • 観光ボランテア那珂では11月18日、本年度行事の一環として菅谷地区の両宮水系の遊歩道散策を予定いたしております。遊歩道そばの不動院、鹿島神社、商工会アンテナショップも巡りますので午前中のひと時をみんなで歩きましょう。詳しくは那珂公報で10月初旬にお知らせします。参加料無料

  • 避難所と避難場所の違いまずは避難場所に避難する。避難場所は一時的に集まるところをさす。まず安全な所に逃げる場所を避難場所と言い、安全確認後、元の居宅に帰れないケースは避難所にとどまる。この違いがあります。大きな広場は指定がなくとも避難場所としては安全が確保されればよいとの事。避難場所は家族で話し合って予め確認をしておくことが大事です。額田地区は古代の昔から災害がこれと言ってなく、歴史的に素晴らしい..

  • 雨が心配されたが曇りの中で那珂市戸のひまわり畑は満開に近い状況下で開かれた。入口で献血車、消防のはしご車の実演、舞台での陸自の演奏始め、数々のダンス等の盛り上げ、横手市からの出店もあり、数々の出店で賑わいを見せた。観光ガイドとしては日立、常陸太田と知り合いになった観光客とともに、ひまわり畑迷路を歩き、昼食を地元酒屋でそばを食べ、午後は額田観光をし、楽しい1日を過ごした。

  • なかひまわりフェスティバルは今年度で20回目を迎え、例年多くの方が訪れています。約4haの敷地に咲く約25万本のひまわりが会場周辺を黄一色に彩り、太陽に向かって満開となる風景は一見の価値があります。今年も、ひまわり畑の一角を利用した「ひまわり迷路」やひまわり畑が一望できる「見晴台」の設置、夜空を彩る「花火大会」も実施予定となっております。そのほかにも楽しいイベント等を予定しておりますの

  • 野口雨情は、明治15年(1882)5月29日茨城県多賀郡磯原村(現北茨城市磯原町)に父量平、母てるの長男として生まれ英吉と名付けられました。  生家は、かつて水戸徳川家藩主の御休息所で「観海亭」と称され「磯原御殿」とも言われた名家で、家業は廻船業を営み、父は村長を2期務めた人望家でもありました。  明治30年(1897)伯父の衆議院議員野口勝一(北厳)宅に寄宿し、同34年4月、東京専門学校高等予科..

  • のび伸び牛乳杯(ミルクカップ) 第35回茨城県ちびっ子野球選手権大会  主催 茨城新聞社 後援 茨城県教育委員会、那珂市、那珂市教育委員会、那珂市体育協会、那珂市軟式少年野球連盟、茨城新聞茨城会 協賛 茨城県牛乳普及協会 協力 筑波銀行 期日 平成27年8月22日(土)、23日(日)、25日(火)  会場 那珂総合公園野球場、上記球場で開催され熱戦を繰り広げた少年野球は地元額田ノ那..

  • 那珂市、水戸市、常陸太田市合同水戸黄門ウォークが今年も開催されます。額田地区観光ガイドは10月3日(土)の那珂市、水戸市、常陸太田市合同水戸黄門ウォークに際し、立ち合いをし、清水公園と額田阿弥陀寺において簡単なガイドを毎年実施いたしております。つきましては、体力のある多数の皆さんの参加をお待ちしております。

  • 8月27日に日立市、常陸太田方面からのお客様10名、額田からひまわりフェスティバルを見物。10月7日、日立市ハイキング同好会20名が額田城跡、阿弥陀寺、額田神社等の額田散策にまいります。9月2日、額田交流センターにて那珂市観光ボランテア会議を午後2時から開催いたします。

  • 8月27日、10時から那珂市中央公民館において、那珂市なか環境市民会議主催の基調講演が開催される。講師は石川幸太郎氏(JA常陸大宮地区枝物部会 部会長)演題【耕作放棄地を活用した枝物栽培の取り組み】放棄地を利用し、花もも栽培を通じ生け花市場に出荷し収益につなげるという実例を通じお話願うもの。後援那珂市、那珂市教育委員会、那珂市まちづくり協議会

  • 昨年、額田城跡の植物が那珂市菅谷の植物学の久下沼光始先生の手によって調査され195種あることが発表された。コウホネ、ウバユリ、ネコノメソウ等珍しい植物が生育している。コウホネ、ウバユリは群生化しており、貴重な植物群なのかもしれない。詳細の植物は額田城の自然の項目を参照ください。

  • 8月22日、額田城跡保存会は秋の観光シーズンを控え、毎月の草刈り作業を実施した。瓜連地区から社会福祉協議会の手助けもあり、夏草がきれいに刈られた。社会福祉協議会の高校生、小中学生ら17名、地元スポーツ少年団8名を含め40名の作業であった。「若い人たちの盛り上がりの意識の中に額田城跡が守られることは意義深いものがある。」との武藤博光会長の弁。同感である。悠久の額田、地域の至宝である額田城、みんなに守..

  • 被災地石巻からの電話でのやり取り。例年獲れるアナゴが獲れないと。海の水が暖か過ぎると。館山の海にサンゴが育ち、熱帯魚がすむようになった。千葉の海底がカラフルになったと。全国的にサメが出没している。本来熱帯地方の魚であり温暖化の影響が表れている。地球規模でおかしい。このような中、時宜を得て、  那珂市環境基本計画に基づき、市民や事業者、各種団体が一体となって市内の環境問題に取り組む「なか環..

  • 額田城、額田藩を冠銘柄にしている店舗、本ホームページの協力者、地元の生産者、額田の物産店舗、商工業者との皆様にご協力を求めるとともに、御用達店舗の宣伝活動していきたい存じます。御協力をよろしくお願いいたします。

  • 額田駅は無人駅。でも60年前は駅員もいて宿舎もあった。自家用車もなかった時代、学生はもとより一般通勤者でにぎわった。土浦から額田城を見学にと降り立った中学生。インターネットでホームページをみてきたという。茨城交通のバスが無くなり運転できないひとがいる。ここで無人駅にやってくる人が増加した。水戸へ、友部へ。病院の見舞いだという。風が強いから自転車がひっくり返っていた。自転車置き場が必要だ。このほど、..

  • 8月15日、茨城新聞の戦争への意見の特集記事が掲載された。那珂市額田の理容師関静香さんの声、平和への願いがのっている。「戦争の話は祖母から聞いた。広島や長崎の悲惨さを映像や記事で知るたびにみんな仲良く平和でありたい。」同感である。70年過ぎてもいまだに戦争の傷跡を引きずっている人がいる。南方で戦争体験者の看護婦さんの話、毎日死体を見ていると死体ではなく物体だと。額田でも久慈川にかかる幸久橋で婦人が..

  • 日本には多くの格言がある。かごにのるひと、かつぐひと、そのまたわらじをつくるひと。(みな、だれかの世話になってることに気づきなさいということ。)こんな格言が江戸時代からある。御先祖様の定義ってなーに?父母、祖父母位は名前が分かる。曾祖父の段階になると名前がわからなくなる。この名前が分からない人たちを総称してご先祖様と呼んでいる。父母から数えて2、4、8、16と数えて平安時代に遡っていくと父母の累計..

  • 9月26日市民大運動会におきまして、体育館で例年通りバザーを開催いたします。つきましては、バザー品を額田小学校児童のいる方ならびに額田小学校までお届け願います。

  • 8月初旬はお施餓鬼というお寺の行事がある。浄土真宗ではないが日を変えて行われた。鱗勝院、びる遮那寺、引接寺と続いた。施餓鬼とは、お盆の時期に行われることが多い仏教行事の一つです。 餓鬼(がき)とは、俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指します。施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などのお供物を施すこ..

  • いま、茨城県那珂市観光額田が注目されている。悠久の歴史の古代からの理想郷であり、歴史的資産の宝庫なのだ。一休さんの漫画に出てくる額田義亮や伊達政宗の密書で注目された小野崎昭通や徳川光圀の関わりのある寺社仏閣、巨木。徳川家康の孫松平頼元が藩主だった額田藩(知行地)と話題は続々。そして、額田の王や推古天皇の幼名額田部姫命と同族の額田部氏が古墳の中の豪族だったらまさしく面白い。歴女にとって話題の満載の土..

  • 那珂市青遥学園第2中学校の創立50周年記念式典は平成27年10月24日(土)に開催されます。50周年を記念し、各種行事が行われます。ついては1口2000円の寄付の募集されています。半世紀の間に多くの卒業生が巣立って行きました。また、これを機会に新たなる飛躍を期待いたします。なお、今年から4月青遥学園として小中一貫教育が決定され施行されています。二中文化祭はかつてより「青遙祭」として生徒はもとより、..

  • 那珂市青遥学園額田小学校6年生の額田歴史に関する質問として多かったのは、額田城に関する質問でした。どの時代、どのような人が領主だったか、大蛇の鱗の話はどのような話ですか。どんなに大きかったんですか。額田小学校の北側に堀は回っていました。淡島神社のミイラは今もあるんですか。あります改築の際座布団にのせて戻しました。額田城跡の大きさはどんなでしたか。東京ドームの21.5倍です。本丸、2の丸、3の丸の他..

  • 額田保育所の近くには額田のたっつぁい話のある引接寺の質問、鱗勝院の西側にある富士山古墳に誰が埋まっているか等難問がありました。額田の久慈川南部にかけて多くの古墳群があります。額田のたっつぁいの話を2,3話してあげました。ちなみにおじさんの育つ頃は額田保育所も額田幼稚園もありませんでした。引接寺は徳川光圀(水戸黄門)公が造りました。引接寺の北に光圀の娘がお嫁さんになった鈴木家住宅があります。小学生の..

  • 那珂市額田北郷の出身渡辺平氏がいる。団塊の世代で防災士の資格を持ち、茨城町からやってきて活動中だ。地球の温暖化に伴い、予測のつかない災害が起こる。自然現象の変化だけではなく、公的施設の老朽化にも関心を示す。幸い額田は歴史的にも災害のない地域であり、水もきれいであり、環境としては悠久の額田そのもの。理想的な地域である。当面橋が通行止めとなり、当面の災害は免れた。学校も耐震設備となっている。当面見渡す..

  • 何年となく毎月額田城跡保存会のメンバーによる草刈り作業が続けられている、富岡会長から始まり、原会長、そして武藤会長に3代を迎えた。賛助会員も増え、皆が額田城の復興なり、再建なりを願ってやまないがまずは資金であり、行政のバックアップである。ようやく額田城跡の知名度もあがり、認知度も高くなりつつあるがまだまだでもあるが、観光客も年間5000人程度を数えるようになった、中世城郭研究会の資料に載り、改めて..

  • 額田三好会(中原昌幸会長)は8月27日(木)に成田方面の研修視察を実施する。航空博物館や成田新勝寺の日帰りコースで瓜連の高ク連との合同研修となる。三好会の活動は活発で地域の高齢者の評判も良好、お風呂やカラオケを通じ親睦の輪がますます深まり、地域のボランテア活動にも顔を出すなど充実した活動に共感を覚える。

  • 額田地区市民大運動会は9月26日(土)に開催される。(雨天順延) 例年、額田市民と額田小学校の合同で行われる。9月16日から小学校では練習が開始されるとのこと、残暑厳しい折ですので、水分等を十分にとり、頑張ってもらいたい。

  • 那珂市額田交流センターは額田城跡の入口にある。猛暑の中、成田まちづくり委員長と対談した。秋の運動会が来年から、春に季節的要因により、変更を余儀なくされるということである。理由を聞いてみると秋になっても残暑が続き、夏休み明けの小学生の練習が熱射病等の発生の可能性があり、秋季運動会は無理だとのこと。連日の猛暑に耐えられないほどの気候は変化してるんだと実感した。 運動会やソフトボール、バレー等レクリエー..

  • 那珂市にある会員数140名の観光地、額田城跡保存会の公式ホームページがほぼ完成いたしました。額田城跡だけではなく周辺の寺社仏閣をはじめ、まちづくり、防災、古代からの悠久の歴史等多岐にわたり紹介いたしております。まずは額田を知ってもらう。来てもらう。『行って見っぺよ額田城』のパンフレットを持って額田を歩いてね。

  • 7月21日、台湾からの一行が国際交流の一環として総勢30名をこえる団体が来市となった。額田まつりを見学するなど一週間からの滞在でホームステイとなる。以前から台湾との交流は少年野球のホームステイに30年の交流になる。今後も良好な関係を維持し未来にわたる親善を期待したい。

  • 額田大祭礼
    本日、何気なく額田大祭礼の7月25日の準備にとりかかって昼食の相談にはいった矢先、ところで、写真撮影したよねの問いに「額田大祭礼今昔物語展」で検 索して、びっくりだ。先日、自転車で転び、歯が折れたたまま、大写しの顔があった。でも、11日間で600人も来てくれた。みんなが乗用車で来るという。 駐車場は額田小学校の校庭だと言うが大丈夫かなと感じているほどだ。ムードは上がっている。