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2019年08月06日(火)

板敷峠と親鸞 弁円の話

1557年、額田東郷に楢原山上宮寺が創建された。。従来明法房が作った道場を上宮寺と名付けた。1583年、本米崎の松原に移る前のことである。
創建者は明法房である。親鸞の19番の高弟であるがその昔山伏弁円と言って板敷峠で親鸞を待ち伏せした。そんな話が残っている。
そもそも、楢原の谷は常陸大宮にある。
常陸大宮市に法専寺がある。法専寺の創建者は弁円。山伏弁円が板敷峠で親鸞を待ち伏せし、失敗する。稲田の草庵で親鸞を殺そうとするが逆に諭され明法房と改め布教活動に加わる。
法専寺の明法房の後継は額田城主小野崎氏を頼り、額田東郷に来て上宮寺を建てる。のちに米崎に移る親鸞聖人19番目の弟子である。上宮寺は親鸞聖人二十四輩十九番の寺である。板敷峠から大覚寺方面に山道を下った場所には「弁円懺悔の碑」が建つ。布教に出掛けたまま帰りが遅い親鸞を心配してひたすら待つ弁円。刻まれた歌は「山も山 道も昔にかわらねど かわりはてたる我こゝろかな」。同じ山でも前は親鸞を殺そうとして待った山、今度は親鸞の帰りを心配して待つ山である。
自らを苦しめていた怒りや嫉妬の心は変わったが、親鸞聖人の包容力と穏やかさは変わらなかった。弁円の墓は法専寺の裏山に眠っている。
額田城落城のおり、小野崎氏所有の宝物は上宮寺に預けられた。それに関わるのが家臣の小林某である。家系本末抄額田小林家の項家系本末抄 【佐川礼勝著監修志田諄一】額田東郷草野家、助川家、船橋家、樫村家、秋山家、沢畑家等が檀家である。草野家へは額田城主小野崎氏の姫が嫁いでおり、助川家には小野崎氏と同じ家紋入りの孤島がある。