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額田のたっつあい民話


額田のたっつぁい民話

江戸時代、水戸6代藩主徳川冶保の時代、額田に大谷達才という頓知に長けたものがいた。
額田引接寺には1802年に没した大谷与市郎の墓があり、これがたっつぁいの墓とされている。
その当時は江戸時代でも佐竹小野崎を想い、表立って抵抗できない皮肉を言えないがため風刺した民話が残った。
水戸の殿様から愛馬を騙し取る話や嘘比べの中での名だたる一本の竹『佐竹』の話は興味深い。留守を訪ねた客人に「父は筑波山が倒れるからつっかい棒をしに行った。」
九里四方にまたがる藤の木があると言い行ってみると栗の木に藤がからまっていた話。
その当時の額田村は往来も多く、久慈川に橋もなく渡し船があった。
氾濫の時は川留となり、旅人は宿をとらねばならなかった。
こうしたことも民話が福島地方にも広がりを見せ、旅人に語り継がれた。
また、昔はどこの家にもお年寄りがいて、昔話としてお孫さんに聞かせたことも口伝えに語り継がれた由縁である。