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額田藩七運観光パワースポット


額田藩七運パワースポット構想

額田まつり
ここ数カ月の新聞各紙が額田のたっつあい伝説の七運汁を取り上げ話題になっている。これをグローバル化し額田の7か所の観光地を七運パワースポットとすることを考えた。
七運じるとはだいこん、にんじん、レンコン、なんばん、ぎんなん、こんにゃく、うどんと考えられるがほうれんそう、こんぶやすいとん、だんごという人もいる。
額田藩の陣屋を額田城とし、万姫の墓のある証拠山阿弥陀寺、観音様のある鱗勝院、、光圀山引接寺、観音堂と両部山びる遮那寺、万姫の鈴木御殿(鈴木家住宅)、鹿島八幡神社とすべてが『ん』がつくスポットです。これを額田藩七運観光スポットとしてはいかがでしょうか。那珂市観光ガイドとして提言したい。

額田藩七運観光パワースポット行程 210分 休憩60分

額田交流センター〜額田城跡(2キロ)〜阿弥陀寺(500メートル)〜引接寺(500メートル)〜鱗勝院(300メートル)〜鈴木家住宅(500メートル)〜休憩所(500メートル)60分〜毘る遮那寺(10分)〜鹿嶋八幡神社(500メートル)淡島神社、屋台会館 4.8キロ 210分 説明抜きの時間ですので案内付の場合は1日がかりの時間がかかりますのでご承知置きください。

多連郭方式 額田城

額田城 堀道
額田城は建長年間(1249〜1256年)佐竹義重の次男義直が築城したことに始まる。10代義亮のとき、山入氏の乱に巻き込まれ、本家と対立、1443年に落城、佐竹本家の家来、小野崎氏が後継、7代小野崎照通の時、佐竹義宣に攻められ、常陸太田、黒羽、中禅寺を経て伊達政宗の陸奥に逃亡する。(1591年)なお、2013年ひたちなか市の土蔵から伊達政宗との佐竹氏攻略の密書が発見され、翌年額田の根本家から小野崎昭通の逃亡の経緯が記された額田城没落の記が発見されマスコミの話題となった。東西に1200M、南北840Mという中世で茨城最大級の面積を誇り、東京ドームの21.5倍の大きさで額田の宿の4分の3を占める。多連郭方式、群郭方式ともいわれる。本丸、2の丸、3の丸から11の丸まである。南側に昭和18年まで有が池という水戸の千波湖クラスの沼があり北側は久慈川であり自然の要害となり、難攻不落の城と言われた。
住所:〒311-0107 那珂市額田南郷103他

万姫の墓のある 真宗 証拠山 阿弥陀寺(しょうこざん)

阿弥陀寺
茨城県那珂市南豪の徳川光圀の養女万姫に関わる寺
真宗 証拠山阿弥陀寺
親鸞聖人が建保5年(1217年)に城里町に創建、それ以来直接血脈の古刹である。1391年小野崎額田城主の招きで額田に移り脈々と法灯を伝承。
本尊阿弥陀像、しだれ桜が有名。桜祭りに4000名が訪れる。
住所:〒311-0107 茨城県那珂市額田南郷375

たっつあい伝説の光圀山 引接寺(こうこくざんいんじょうじ)

引接寺
水戸黄門(徳川光圀)が元禄9年(1696年)に向山浄鑑院常福寺末寺として創建。江戸時代から明治初期まで水戸徳川家の葬式に際しての宿寺。大谷たっつあいのとんちに長けた話が有名であり大谷家の墓がある。また、徳川綱条公の婦人の皓月院の墓がある。平成7年に山門左右に金剛力士像を建立。あうんの金剛力士像に限りないパワーをかんずる。まさしくパワースポットだ。
住所:〒311-0107 茨城県那珂市額田南郷429

聖観音像の禅宗(曹洞宗) 鱗勝院

鱗勝院
1329年に創建 額田氏ゆかりの寺で五本骨月丸の佐竹家家紋 何代目か不明も朝日姫の墓がある。
1445年初代義直が父義重のため守護寺とする。境内に500年を過ぎる大杉があり天然記念物。額田岸桂寺にあった鏡知院は末寺である。
住所:〒311-0107 茨城県那珂市額田南郷558−2

万姫の嫁いだ鈴木家住宅(鈴木御殿)

鈴木家住宅
鈴木市十郎は江戸時代の豪商で紅花長者として有名です。光圀との親交もあり、養女万姫が嫁ぎました。度々光圀が常陸太田市に西山荘に隠居された10年に訪問され、光圀の書院がありました。鈴木市十郎は水戸の紀伊国屋とも言われ、吉原総あげをし、小判をまいた勢いが伝説的に残っています。
歴代の殿様が常陸太田市の瑞竜山に参拝する際には模様替えするなど大変なものでした。生垣の萱が近隣の村に用意することが命令されたり、大工、畳職人が入り、改築がなされました。特に厠は殿様の尻に合わせ便所がその度造り変えられました。井戸はらいもなされ、三日三晩、水戸から役人が毒殺されるのを防止するため警戒をしました。西山荘から万姫あてに酒がなくなると額田の鈴木家に連絡がはいり、鈴木家で酒を配達したそうです。御膳が呑むので御膳酒と言われました。
書院には久慈川をイメージした波欄間が造られ、廊下は当時のものが残っており、萱ぶきの建屋は県の指定文化財となっています。
紅花は江戸、大阪に販売され、財をなしました。庭先の2本のもちの木は3百数十年が経ち、大樹となっています。
住所:〒311-0107 那珂市額田南郷464

ぼたんと大般若経 両部山 毘盧遮那寺

毘盧遮那寺
1192年、文覚上人により開祖。本堂、弘法大師堂、観音堂、熊野権現等がある。宝物の県文化財 大般若経600巻は有名。
そのなかでひたちなか市の高野城主清水氏の般若経の寄贈もみえる。
境内に咲く5月初旬の牡丹は見事である。銀杏の巨木があり、その葉が大般若経の防虫剤として使われた。どの寺にも古くから銀杏の木があるのも納得。
真言宗豊山派 中島素嵐という女流俳人の句碑がある。
住所:〒311-0108 茨城県那珂市額田北郷542

鹿嶋八幡神社と淡島神社

鹿嶋八幡神社境内:拝殿
俗称 額田神社にて正式には鹿島八幡神社 額田神社の掲額は『額田神宮』にて会澤正志斎による。1063年の創立とされる。鹿嶋宮と西馬場にあった八幡宮を合祀し、鹿島八幡神社とされた。
会澤正志斎は新論を著わした水戸学のリーダーでもある。
八幡宮は水戸徳川となり佐竹の守護神であることから多くがとりつぶされたが常陸太田の馬場八幡、若宮八幡、高萩の安良川八幡とともに残された。
3年に1度の大祭礼は江戸時代より助川宮田の大祭『日立の風流物』と並び有名。鹿嶋宮、八幡宮の二つの神輿、屋台の彫り物は見事なものである。
淡島神社は江戸初期の額田藩主(那珂郡支配)により寄進されたもので伯父紀州藩主の勧めであった公算が強い。弟常陸宍戸藩主松平頼雄の領にも淡島神社が岩間に存在している。紀州の淡島神社本社はひな祭りの発祥の地で人形供養、針供養が行われている。額田の淡島神社も針供養や安産の神様として古くは賑わった。
住所:〒311-0108 茨城県那珂市額田北郷417