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  •  社会福祉協議会協力のもと、小学校、中学校、高校生等の皆さんにボランティア活動として、額田城跡の二の丸花壇の草取りを実施していただきました。たいへん猛暑のなか、体調がちょっと心配でしたが、元気いっぱいでした。高校生はじめ、みなさん一生懸命で、本当にご苦労さまでした。児童の保護者の方々も大汗をかいて頑張ってくださり、たいへんありがとうございました。 参加していただいた方から、以下事項についてアンケー..

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  • 有が池の河骨(コオホネ)が注目されている。一億四千年前の白亜紀日本の被子植物で最も古い植物である。茨城県は絶滅危惧種として指定している。那珂市の天然記念物の指定がなく。有が池の用水路の群生をコンクリート工事のために抜かれてしまい用水路から姿を消した。2007年ごろNHKが河骨の可憐な花を取り上げ撮影し、映像で流された。この直後額田城保存会の前代の原会長の時代、その重要性を認識して額田城跡に近い水田..

  • ※7月1日の管理作業は8日に延期されました

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  • 去る五月三日、額田北郷の毘盧遮那寺で牡丹まつりが開催され、お茶会が開かれた。今年は例年に比べ、四月に開花したため、やや残念のかんはあったが、近隣のお客様が野点のお茶を楽しんだ。桜も開花が早く、続いて牡丹、バラも早い開花となるのだろうか。年々早くなっており、開花時期とまつりの開催時期が微妙になりつつある。

  • このほど、月刊みとという雑誌を入手した。五月号である。那珂市額田の民話『三枚の鱗』の話が掲載され、鹿島八幡神社の写真が載っている。また、バラの季節を迎える額田北郷の中野ガーデンが紹介されている。額田地区が認知され、メデアに紹介されてきつつある。三枚の鱗も額田城に絡むお話である。(入手先茨城新聞小田内様)

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  • 城跡保存会では、城跡を散策していただく方のために、A4判の散策ガイドを作成しています。地区交流センターに置いてありますが、当ホームページからもダウンロード出来ますので、ぜひご活用下さい。城跡ホーム左側のバナー  をクリックするとガイドが表示されます携帯から見ていただいている方は下部の画像をクリックして下さい

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  • 油断していたら、満開になってしまいました        2023年3月26日7時24分撮影

  • 従来の活動の中で観光ボランティアガイドとしてオークリッジ市の国際交流で中学生の古民家案内があったがコロナ禍で途絶えてきた。今年度は、茨城高専の内山弘美先生のご協力により、那珂市のかるたを利用した授業や、7月の七夕まつりに参加できた。観光かるたを英訳したり、学生に茨城VRでの360度の観光地の光景をかるたから読み取らせることができ日本の子供の遊びを理解させることができた。また、七月の七夕は久慈川べり..

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  • 額田城跡保存会LINE公式アカウントのURLはこちら https://lin.ee/qNksodM

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  • ・公開講座については、直接大学にお問い合わせ下さい。  茨城女子短期大学 公開講座係  〒311-0114 茨城県那珂市東木倉960-2  Phone:029-298-0596 Fax:029-295-4868  iwjc-lecture@taisei.ac.jp ・既報の通り、LINEに公式アカウントを開設いたしました。  城跡の最新情報をリアルタイムでお届けして行きます。  みなさんの登録お待..

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  • 社会福祉協議会のご協力により、小学生児童の皆さんがボランティア活動に来てくれました。 暑さにも負けず、元気いっぱいの児童たち、その保護者の皆さんに、二の丸花壇の草取りをして頂きました。たいへんきれになりました。■出席児童の小学校横堀小学校菅谷小学校菅谷東小学校菅谷西小学校瓜連小学校

  • 額田の知りたいこと、知りたいものに、簡単にアクセスできるようにしてみました。画像をクリックするとポータルページにジャンプします。ご自分の知りたいもの・ことを探してみて下さい。額田の「こんなこと知りたい」のリクエストも、お待ちしております。ページ上部の【お問合せ】をクリックするか、下記までメールください。shouichi72@gmail.com 宮崎

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  • 額田まつりの駐車場情報です。

  • 額田まつりでは、祭りのフィナーレで花火の打ち上げを行います 打ち上げ時間  午後7:30より約20分 野村花火製 最大3号玉もしくは4号玉の予定 打ち上げ場所  額田神社東側ですお楽しみ下さい!

  • 額田城跡保存会会報「額田の城下町」第40号を発行しました。上の写真をクリックしていただくと、本文へジャンプしますバックナンバーはこちらから

  • 第4段は「渡御行列」今回の祭りでは、30人余りの行列になる予定です「額田まつりを楽しもう」は、今回で最終回です。7月30日(土)の祭りを、皆さんどうぞお楽しみ下さい。                                          シリーズ記事作成:宮崎 昇一

  • 第3段は、山車の歴史とともに受け継がれてきた「額田のまつり囃し」を取り上げました。

  • 第2段は、150年余の歴史を刻む額田地区各町内の山車を紹介します

  • 額田まつりをより楽しんでもらうための予備知識としてご活用下さいまずは額田神社から

  • 下の画像をクリックするか、左側のバナー「額田まつりと山車」をクリックして下さい

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  • 今年のウバ百合の蕾を数えてみた。1080本で数えるのをやめた。すごい数である。こんな群生地はあるのかな。まさしく額田百合が丘城跡だよ・ まだ蕾であるが、なかなか咲かない。7月の半ばになるのだろうか。二日に一度、観察してるのだが。こんなに増えたの初めてだ。

  • 額田城跡の散策には必須の「額田城跡散策ガイド」が、ホームページトップ画面から、ワンクリックでアクセス可能になりました。左側バナーをクリックしてください。ダウンロードも可能です。← タップしてダウンロード

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  • 額田北郷の中野ガーデンが茨城新聞に昨日、バラが満開であると掲載された。観光ボランティアガイドとして観光客に地元の旬のまさしくタケノコを配った。一部の方に額田城跡のしおりを配った。中野夫妻が丹精して育てて20年、300種の見事なバラである。。まだ1週間は見ごろである。日本のバラはそもそもいばらの『い』がぬけてバラとなったという。茨城の伝説にもバラのとげが出てくる。茨城県人はもっとバラに親しみがあって..

  • 本日、二の丸花壇を一新し、サルビアを植えました。今回は、円状にしてみました。おおきく咲き誇るのが今後の楽しみです。ぜひお立ち寄りください。*草花の苗は、今般「花育通信」様よりサルビア(レッド、ブルー)を調達しました。大量にもかかわらず、迅速にたいへんよい苗を育てていただきました。花育通信は、https://8719net.jp/を参照ください。質のよいものが手に入ります。

  • ウェルカム サンキュウ カミング フォー 額田城跡 外国人もたずねてくる時代となった。小学生も英語がカリキュラムの中に入ってくるという。観光ボランティアガイドとして10年を超える。改めて英語の必要性を感じるこの頃である。 侍ジャパンヘルメット、ストローレインケープ 私が鎧とみのを説明したときの横文字であった。それでも分かったらしい。鎧はヘルメット、ヘッドピース、みのはWINNOUからすると正解だっ..

  • かって大阪造幣局の八重桜は日本レベルで有名であった。今、那珂市の静峰ふるさと公園の八重桜は2000本で日本一。ここにも茨城での日本一がある。

  • 那珂市観光ボランティアガイドのメンバーは5ねん前に作成した観光かるたを英語に翻訳し、留学生、ホームステイの学生のために利用するため対応しました。国際交流役立つべく今後、前向きに活動をする予定です。  ここをクリックするとかるたが表示されます

  • 額田城跡を10年を超えて、案内している。江戸城の面積は東京ドームの25倍、額田城跡は21.5倍で大阪城、名古屋城と面積が同規模であると。 よく考えてみると、皇居である江戸城も、大阪城も、名古屋城も現存しているから城跡ではない。そう考えるとほかに見当たらないのでは。大きな城は現存している。熊本城も会津若松城も、仙台城も松山城も。結論として私は今後日本一の平城の額田城跡と言おうと思っています。異論あり..

  • 五月に入り、連休中は花めぐりの日々であった。偕楽園のつつじ、森林公園のつつじ、静峰公園のつつじが丘のつつじ、常陸太田市の西河内の一休園のつつじ、十国峠のつつじ、そして地元の毘盧遮那寺の牡丹である。疲れをいやすため梅乃家で城跡会員とのんだ。マスターのTシャツが額田藩。明日の案内はテーマは和歌山 毘盧遮那寺の六地蔵脇に熊野権現がある。そして、お宮の参道を通り、鹿島八幡神社の鳥居をくぐり、奥に淡島神社が..

  • 第31回の額田まつりは本年7月30日(土)に開催予定です。準備も含めて、祭りの様子をリポートして行く予定です。ご期待下さい。沢山の方々のご来場お待ちしております!「額田まつりと山車」のページも合わせてご覧ください左側バナーか、以下をクリックしてくださいhttps://www.nukada.jp/nukada-matsuri.html

  • 那珂市額田は阿弥陀寺の桜に続き、4月末から毘盧遮那寺の牡丹、そして、中旬から中野ガーデンの薔薇とまさに花の季節である。中野ガーデンは、額田北郷の稲川床屋さんの信号を西に入り、200mのところにあり、中野夫妻が20年をかけて作った庭園。300種類のバラがある。

  • 牡丹の見ごろの毘盧遮那寺、5月5日、野点が開催された。県内から観光客が朝から、新聞記事を見て詰めかけたようだ。毘盧遮那寺は大般若経600巻が県指定文化財であり、この日、特別公開された。一巻が一万字から2万字の文化財、戦国時代の宝に触れ合い感激した人も多い。お隣の鹿島八幡神社は遠方からの観光客に対応するため、山車4台を公開した。素晴らしい山車彫刻に人々は感激したようだった。額田の寺社の連係プレーに筆..

  • 毘盧遮那寺の牡丹が5月に入り、見ごろとなった。例年、新聞で紹介され、観光案内もされている。赤、黄、ピンク、白と160本の牡丹が境内のあちこちに咲いている。真言宗豊山派の本山長谷寺に倣い、檀家の方が20数年前に植えたという。5月5日はお茶会を企画し、皆さんのお出でを待っている。額田小学校の裏側に毘盧遮那寺は位置している。境内に咲く牡丹は年々檀家の人が植え、増えていいた。今では県北では随一の見どころと..

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  • お時間のある方はこちらにもどうぞ⇒額田城跡

  • お時間のある方はこちらもどうぞ⇒額田城跡

  • 雨にもかかわらずご来場いただきました。ありがとうございます。お時間のある方はこちらもどうぞ⇒額田城跡散策ガイド

  • 沢山の方、ご来場ありがとうございます。ついでにこちらにもお寄り下さい⇒額田城跡散策ガイド

  • 額田城跡保存管理計画詳細はここをクリック

  • 去る3月26日(土)、額田城跡保存管理計画-第2期改訂版についての説明会が、ふれあいセンターよこぼりにて開催されました。令和4年度から8年度まで、5年間の管理計画です。那珂市教育委員会からは、「単独で管理計画が策定されている指定史跡は、額田城跡だけです」との解説がありました。本丸の用地買収も3年度で終了し、いよいよ発掘調査に向けて、動き出すといったところでしょうか。来る5年間で、額田城跡は沢山の人..

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  • コロナウイルス問題でテレビも持ち切り、マスクのない世界にいきたい。久慈川も寒いので、絵をかいて我慢の一日。観光客も来ない。額田城跡も看板を立てて観光客を待っているのだが。

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  • この程、茨城県郷土文化研究会のメンバーが額田の社寺仏閣を視察に訪れた、毘盧遮那寺の茨城県指定文化財の大般若経600巻を見学その足で鹿島八幡神社の4台の山車と神輿を見学し、引接寺、阿弥陀寺を訪問、大谷たっつぁいの墓や万姫の墓を案内し一日を終えた。額田をはじめて訪問する人にとっては。近隣にこれほどの歴史的遺産があったことにびっくりしていた。写真は淡島神社奥殿です。

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  • 額田周辺あれこれ 今年7月で74歳、団塊の世代もこんな歳になった。郷土の文化を孫たちに伝えるのも役割だと思うようになった。地名や史実をである。  久慈川の河岸段丘が「クジラ」に似ていたところから、「久慈」の名がついたように、幸久橋も万葉集から採られ命名された。額田小学校二代目校長 野口勝一氏の選である。野口雨情の伯父にあたり、衆議院議員に北茨城からなった人でもある。 久慈川の下流に榊橋がある。土木..

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  • 当額田城跡ホームページのトップページ下段には「額田城周辺VRツアー」というコンテンツがあり、額田城跡を空から俯瞰した画像が閲覧できるようになっています。スマートフォンでもご利用いただけますので、ぜひお試し下さい。下記QR コードをスキャンしてURLを開いていただくと、ダイレクトに額田城跡の真上に行くことが出来ます。城跡訪問前の予備情報の収集や訪問時の遊歩ガイドとしてご利用下さい。

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  • ここは、阿弥陀寺から侵入して二の丸へ向かう途中、右手に本丸を見上げるお堀の中の遊歩道である。城跡内でも特に圧巻の法面が両脇に迫る、。小心者の小生にはここを乗り越えて本丸に侵入しようとは全く思えない。ましてや、我々額田城跡保存会メンバーといえども、この法面の草刈りは拒絶を見る。難攻不落のお堀なのである。本丸とお堀との高低差は実に6メートルにも達する。先人たちは、これを本当に人力で作ったのか?。現在の..

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  • 11月12月にかけて菅谷西、木崎、額田小学3年生の社会科見学が観光ボランティアガイド那珂のガイドにより行われた。菅谷西、木崎小学校は曲がり屋見学、額田小は額田神社、額田城跡、阿弥陀寺を見学した。子供たちの率直な質問に戸惑う面もあったが楽しく歴史を伝えられたきがして一日を終えた。額田城跡は初めての試み、また、彫刻の素晴らしい山車に驚嘆の声が上がった。今後も孫たちの年代に歴史と伝統を伝えていきたい。

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  • 散策に来られる方はダウンロードしてご活用ください。以下をタップ(クリック)していただくと、表示されます

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  • 10月7日 稲刈りもほぼ終わり、ヒガンバナも真っ赤に咲く季節となりました。新米も例年より価格的には例年より安いとの情報コロナウイルスの中ではありますが、額田城の観光案内もマスク着用にて行っています。今年は黄門ウォークも中止となりましたが案内はつづけています。

  • 城跡保存会会報 第39号バックナンバーはこちら ⇒

  • 額田城主小野崎従通とは有名な小野崎昭通の兄にあたる。中世那珂の領主たちの本の中で明らかにされた。従来だと1391年に出てきたものが1500年代の人だったということになる。

  • 『常陸国石神城と石神小野崎氏の歴史』高橋裕文 著 700円
    この程、交友関係にある石神城関係者から、石神小野崎氏に関する小冊子を入手した。本の表題は『常陸国石神城と石神小野崎氏の歴史』である。著者は那珂市在住の高橋裕文先生である。かつて額田城と石神城は同族でありながら、合戦を繰り返してきた。現在はそういう時代ではない。強調と融和の時代でもある。額田城跡保存会として、茨城県指定文化財たる石神城をとり上げ、その流布に努めたいものである。常陸国の戦国時代の歴史を..

  • オオキンケイギクは栽培がきんしされている特定外来植物です。そこここで見受けられたとき、抜いてくださいね。注意を払うのは種を残さないように注意し処分しましょう。気になっていましたが米崎地区は抜かれていました。確かに花がきれいですが知らない人には教えてくださいね。

  • コロナ問題の中、観光ルートに注目というより、静かに目を向けてみてはいかがか。額田城跡というと城の内地区に目が行ってしまうが、11の丸を誇る額田の曲輪は大きい。面積だけ言えば、大阪城や名古屋城にも匹敵する大きさだ。東京ドームの21.5倍は驚くほどの面積である。なかには、歴史と伝統ある額田小学校がある。2代目校長は野口雨情の伯父野口勝一氏である。幸久橋の命名者である。そして、鈴木御殿こと鈴木家住宅があ..

  • 日ごろ、額田城跡の清掃作業に携わっている皆さんを引き連れ、三太の湯へ行ってきました。日々鞭、鞭、ムチばかりで、飴がまったくなかったので生き抜きとあいまって、お身体の休息の時間となりました。

  • あけましておめでとうございます。昨年は額田城跡をはじめ、環境問題、市内観光を取り上げていき、たくさんの関心が寄せられました。今年もその活動の充実に努め、皆様に最新の話題を提供していきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

  • 念願であった額田城の歴史講演を開催しました。「額田城に関する歴史」講師 那珂市歴史民俗資料館館長 仲田昭一先生 にお越しいただきました。「先生すばらしいです」。 講演後には芋煮会を開催。参加者は当保存会会員とその知人とさせていただきました、スタッフ皆様の協力もあり賑やかにできました。仲田先生の講演の様子はこちら 講演(1/5)  講演(2/5)  講演(3/5)  講演(4/5)  講演(5/5)..

  • 助さんルートも格さんルートもそれぞれ、みと、太田をスタートし、一関で昼食。水戸から歩いて到着、即、写真撮影の水戸グループ。観光ボランティアガイド那珂の小田部、海野も参加しました。200名の中には中学校の同級生の奥さんが茨城町から、中学の後輩が常陸太田から、職場の先輩が水戸から、知り合いの若手議員さんが議長になっていた。随分時がたったね。高齢者になるとそれなりに知り合いが多くなるのを痛感。

  • 黄門漫遊ウォークから那珂市一関公園での撮影です。大きな印籠の後ろに市長さん、議長さんの顔も見えます。大きな印籠は黄門漫遊ウォークのシンボルです。

  • 黄門漫遊ウォークの花は水戸黄門、助さん格さんの参加である。今年も登場、引っ張りだこで写真撮影に応じていた。写真は長旅と撮影でお疲れ気味の黄門様一行。

  • 菅谷小学校3年生が白鳥がやってきた曲がりや見学、社会科授業で訪問でもある。観光ボランティアガイド那珂の3名 小田部、海野、中原で応じた。兜造りの入り口、龍の謂れ、水の文字で火災予防、江戸時代からの道具の説明をした。みの、高下駄、わらじ、じゅうのう、炭火アイロン、縄編み機、とうみの意味を理解したようだ。囲炉裏の上の燻製のあゆの藁筒を指さし、これが弁慶という。弁慶に矢がささった状況だからだと。5年前居..

  • 額田城跡保存会(武藤博光会長)は11月30日に芋煮会を開催します、講演も予定し、仲田昭一歴史民俗資料館長が予定されています。このほど、額田城おすすめランチが読売新聞のタウンニュースに掲載され、額田城が注目されています。お陰で、本ホームページもアクセス数が増えました。マスコミの力は大きいですね。

  • 11月17日 木崎町カフェを木崎まちづくり委員会(仲田精代表)は木崎交流センターで開いた。オープニングは門部の太鼓の威勢の良いうち音ではじまった。各町内ごとにテントがはられ、老若男女が集い、催しを盛り上げた。

  • 11月16日 水戸歩く会(渡辺代表)46名は額田城跡をおとづれた。額田城跡、額田神社、引接寺等を見学、額田駅から帰途に着いた。観光ボランティアガイド那珂の案内のもと、歩いたが11月の日の短いの中のウォーキングであり、額田全体をみれないのは残念であった。

  • 11月9日、横堀小学校で神崎祭が開催されました。また市民協働課主催のまちカフェも同時に行われ、多くの来場者でにぎわいました。なか環境市民会議では環境市民会議の各委員会で活動している活動状況を周知すべく、パネルに資料を添付して発表しました。また市民・事業者の守るべき行動指針として発表した、「なかアジェンダ21」を来場者に配布しました。11月3日の菅まちカフェでは、ソーラーフード・ドライヤーを展示し、..

  • 待ちに待った額田小祭礼、黄色い額田神社と八幡様の家紋付きの旗が参道を飾った。小室宮司さんの支配で厳かに祭礼が始まった。天狗の面が正面に設置された。氏子の皆さん、総代さんが居並ぶ。額田通りばやしの会の太鼓の演技、額田サタデースクールの子どもたちやお母さん方も参加した。商工会の焼きそばもおいしそう。笠間から郷土文化研究会の方々も見えた。山車や神輿も公開された。いつ見ても素晴らしい彫刻である。

  • 11月3日、額田神社の小祭礼でもある。参道に新調した額田神社の黄色の旗がたなびいている。何本もの旗は見事である。明日は神輿や山車も公開するという。境内の上の町、本宿町、柄目町、新地町の山車がみられる。後藤流等の彫刻は近くで見ると素晴らしい。

  • 久慈川物語で400年に一度の災害がやってくると執筆した。2100年に向けてまさしくその一途をたどっている。気象庁始まっているがまだ100年である。400年周期説を言っても気象庁に記録はない。でも台風19号は確実に関東地方にやってきた。あらいる意味で未経験なのである。茨城を襲来するとなると、今から大きな覚悟が必要だ。山崩れやがけ崩れ、浸水。多くを予測しなければならない。杞憂となっても最善の策を取らね..

  • 本日より3日間、日本でプラスチックごみ排出規制の国際会議が始まった。2050まを目指す会議でその会議に注目が集まっている。将来に向けて、海洋を守らねばならない。地球は一つしかないのだから。

  • 10月は全国の八百万の神様が、一部の留守神様を残して出雲大社(島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと考えられてきました。その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月(かみありづき)」というわけです。また、「神無月」の無を"の"と解して「神の月」とする説もありますが、「神無月」も「神在月」も、神々が集う大切な月という..

  • 9月20日に彼岸入り、お彼岸となる。ここで、改めて日本の仏教を考えてみる。 仏教とは釈迦により開かれた宗教。その目的は悟りを開いて、苦悩を捨て去り、ブッダになることにある。悟りを開くと言ってもお釈迦様は相手の素質や境遇に合わせ説き分けるという方法を選んだ。一人一人が異なる言葉で教えを受けた。お釈迦様の時代には万人に共通な経典はなかった。お釈迦様の亡きあと弟子たちはお釈迦様の言われた言葉それぞれの解..

  • 佐竹義重 第五代 さたけよししげ (1186から1252年) 鎌倉時代の武将、承久3年の承久の乱で活躍、北条泰時に従って、京の宇治川で戦い、自ら、敵の首級をとる活躍ぶりを示した。右兵衛尉、常陸介 66才で死去。父秀義佐竹義重の次男の義直が額田城初代城主である。鱗勝院に祀られていると言われる。佐竹義重は後の世にも出てくるが第五代の義重である。

  • 茨城県植物園の四季は色とりどりの花が咲く。それぞれ春夏秋冬に花が咲き実をつけ、日本の美、茨城の美をつくりだしている。初春の梅、四月の桜、蘭、五月のバラ、6月のアジサイ、夏のユリ、朝顔、冬の椿 多くの花が咲く。そんな四季の花を写して展示会を開催している。植物園の四季というテーマでの開催。9月7日より16日までの9時から4時半までの時間。見る価値はあるね。受付で迎えてくれた大畠、鈴木、栗村さんありがと..

  • 那珂市の宿泊施設はなか健康センター北投の湯の1軒のみです。観光案内をしていてよく聞かれます。このほどリンクを張らせていただきました。昨日茨城県植物園を訪問し感動、リンク集に入れさせていただきました。茨城県植物園の展示スペースにて写真展や盆栽展が行われるとのことです。現在は植物園で写真を撮ったグループが植物園の四季として出品しています。自然の姿の植物や生物(鳥)のまさしく生きている姿を主張している姿..

  • 曲がり家の文化 小田部一彦 商工観光課や市民課からの要請で曲がり家への案内、オークリッジからの中学生が来たり、白鳥のシーズンに合わせ、多くの小学校が曲がり家見学にやってくる。那珂市役所の向かい側に移築された『古民家』曲がり家は建築が1862年であるから、150年を超えている。1680年が桜田門外の変であることからもその時代背景を考えるとき思いも複雑である。その8年後明治維新となるわけで、その古民家..

  • なか環境市民会議の活動で生物の保護活動がある。植物を主に行っているが茨城県植物園では野生の動物の保護活動をしている。 9月7日、茨城県植物園で猛禽ふれあいの催しが開催された:野生鳥獣で保護される個数は年間約500に上るという。自然復帰できるように保護活動をしている。自然復帰が無理な個体は終生保護をしているという。野生の鳥獣とのふれあいは関心を高めるべく開催しているという。

  • 8月24日 ひまわりフェスティバルが那珂総合公園で開催されました。なか環境市民会議の各部会も参加し、活動状況を発表しました。環境学習部会は太陽熱利用のソーラーフードドライヤーを展示し、大きな関心を集めました。茨城県クールアース茨城からも参加頂き、うちエコ診断をし、参加者のエネルギー使用状況を見える化し、エネルギー節約にむけた取組を推奨しました。

  • 菅谷延命院大般若経額田郷源成寿丸額田郷小野崎善十郎泰通額田住井野上六郎衛門額田の住井上藤衛門額田住堀口縫殿助額田の住長井重筑額田の住長井重範息女甲子額田の住左籐筑前守額田の住高岡形形部小輔額田住小泉周防守額田住須藤兵庫允通宗額田住内桶次郎左衛門重胤額田内桶丹後守通胤額田の住内桶駿河守小野崎従通花押富岡惣太郎額田小野崎氏家中城主 小野崎従通父  小野崎篤通叔父 小野崎泰通弟  小野崎昭通 額田城最後..

  • 。額田城家中の名前を書きぬいた。1570年代小野崎従通の時代、照通の兄の時代である。【中世那珂台地の領主】からの引用 額田八幡宮棟札、額田毘盧遮那寺、菅谷延命院の大般若経寄進者より書きぬいたもの。菅谷延命院大般若経額田郷源成寿丸額田郷小野崎善十郎泰通額田住井野上六郎衛門額田の住井上藤衛門額田住堀口縫殿助額田の住長井重筑額田の住長井重範息女甲子額田の住左籐筑前守額田の住高岡形形部小輔額田住小泉周防守..

  • おのざきよりみち 小野崎昭通の兄で剃髪し徳月斎と号す。男子がなく、弟昭通が跡目を継ぐ。従通は那珂西郡大山郷の旧跡大山草庵を引き継いだ大山禅坊阿弥陀寺を額田城中に招聘している。永禄年間(1557年から1570年)の事である。阿弥陀寺の寺伝の1392年と不一致でもある。従通の生存年代から誤りであることが分かった。【中世那珂台地の領主】より引用。当時、菅谷福田村は額田領であった。従通の福田蔵人に宛てた官..

  • 1557年、額田東郷に楢原山上宮寺が創建された。。従来明法房が作った道場を上宮寺と名付けた。1583年、本米崎の松原に移る前のことである。創建者は明法房である。親鸞の19番の高弟であるがその昔山伏弁円と言って板敷峠で親鸞を待ち伏せした。そんな話が残っている。そもそも、楢原の谷は常陸大宮にある。常陸大宮市に法専寺がある。法専寺の創建者は弁円。山伏弁円が板敷峠で親鸞を待ち伏せし、失敗する。稲田の草庵で..

  • 額田大祭礼の23年前の画像です。高岡町が最後に山車をだした貴重なビデオが見つかりました。その時は古宿町、搦町、高岡町の3町内の山車でした。高岡町は坂を上がってくるので大変なのです。

  • 額田城跡は自然がいっぱい。198種もある中で群生はウバユリだ。この群生は那珂市の天然記念物候補と言える。何百本あるだろうか。その白い緑の花は何とも壮観である。

  • 毘盧遮那寺の境内を散歩 お施餓鬼法要の案内が出ている。いよいよお盆だ。額田でも4つのお寺がお施餓鬼をやる。お盆の前に草取りだな。日本の慣習としてある「お盆」を迎える前に、ぜひ、知っておいて頂きたいのが、「施餓鬼(せがき)」です。 宗派によっては寺院でお施餓鬼の合同法要が行われます。 菩提寺やお葬式でお世話になったお寺から初盆の読経と合わせて、施餓鬼会の案内が来ることも多いでしょう。 また、施餓鬼(..

  • 連日額田大祭礼の特訓だね。笛や太鼓。何処に売ってるって。小松屋太鼓店だ。水戸の平須町にある。メンバー変わるから公平を考えちゃう。一度法被着ての練習もいいね。雰囲気出るしね。額田だから額田城陣太鼓もやってよ。

  • 個人会員はワンコイン500円で入会できます。那珂市の自然観環境を守る。のみならず日本、世界の自然環境を守るという観点に立って地球規模での取り組みが話題となるこの頃です。産業の発展とは裏腹に知らず知らずに、環境は破壊されつつあります。また国際化は生物の世界にも大きな影響を与えていきます。特定の生物が移入することにより、従来の生物を駆逐するという現象も放置することはできません。このため諸問題に対し連携..

  • 「誰がやったんだっぺふしぎだな?」「ほんとだ。」原前会長との会話だ。本丸と二の丸の間の池にアジサイが浮かんでるんだ。びっくりだよ。

  • 水戸城はb29の爆撃で焼失した。再建されればいいのにね。

  • 水戸城大手門は先の大戦で焼失した。戦前の水戸城の写真を下市に住んでいたという知人が持ってきてくれた。大手門は現在再建中である。往時を偲んでの水戸城大手門である。次回は水戸城本体の写真だ。ご期待ください。

  • 茶は服のように点て炭は湯に沸くように置き冬は暖に夏は涼しく花は野の花のように生け刻限は早めに降らずとも雨の用意相客に心せよ当たり前のことをきちんと実行するのだそうだあの千利休の言葉である。しみじみとこの文を読む。一言一言が味わいがある。こんなゆとりを持ちたい。

  • 江戸時代の昔から額田まつりは行われた。大正13年まで平磯の磯前神社まで磯出をしていた。19年には13台の山車が出た。乗り手は芸者衆であった。一台に5から6人の太鼓の叩き手がいたという。多くの山車は明治初期にできた。戦後中断をしていたが3年に一度の大祭礼として開催されるようになった。那珂町史には祭りはある集団がその運命の重要な時期にその集団の守護神を迎え、その前に総力をあげて、食物を供え、また唄舞を..

  • みんなが集まった。太鼓じゃなくタイヤをたたいて練習する子、上級生に交じっての練習光景。早く上達したいな。休み時間はゆっくり休もう。いい塩梅にたたくと皮が破れるぞ。昼間太鼓屋さんで破れる太鼓を説明された、太鼓って高いんだって、大事に使おうな。

  • 7月24日7時より額田チルドレンズホームにおいて額田五区の子どもたちが太鼓や笛の練習に励んでいる。地元の伝統芸能を学ぼうと必死だ。3年に一度の額田まつりにあわせての伝統の額田通り囃子が宮崎昇一指導者の下夏休みに入って猛特訓である。

  • 有が池側の捨て曲輪の図をふくめてダイヤモンド社編集の額田城跡記事に掲載されたイラストである。よく描かれている。

  • 2年もたつと、額田城へようこその旗も風に引き裂かれてしまう。2年しか持たない。まあたらしい旗が付け替えられた。真っ赤に夏の緑に映えている。今年もたくさんの人が訪れればいいなー。みんなの願いを込めた旗が観光客を待っているのだ。

  • ユリが満開だ。そこここに白いユリがが咲き乱れる。二の丸の本丸の境の林の中だ。方々に咲く花。50はつけているだろうか。その白さが夏草に映えている。何とも言えない光景だ。

  • このほど日本赤十字の茨城支部の発行史から秋山みよの写真を入手した。秋山みよ 額田の偉人  秋山みよ 日本赤十字社発行 『百年のあゆみ』より秋山みよ(日本赤十字社本部病院看護婦長)那珂郡額田村額田東郷11番地に生まれる。明治22年7月26日明治41年4月救護看護婦生徒として日本赤十字社本部病院養成所に入所し44年3月卒業した。同年4月に本社救護看護婦として採用され本部勤務を命じられた。大正7年3月に..

  • 朝からしんぱいだった。草刈りが数日前にあったというから。函館コウホネは天然記念物。額田コウホネも有賀池の用水路にたくさんあったが新しい用水路ができて絶滅の危機がある、きれいに刈ってあるではないか。やばい。一個だけ黄色い花をつけたコウホネを見つけた。今年もやっと咲いた。何よりも残さねばならない植物だ。i

  • 夏の植物が開花する季節である。2の丸、本丸の状況を確認したい。特に群生するうばユリの開花状況だ。朝からカメラ準備。あじさいは終わりかな。河骨はどうかな。

  • 佐川華谷は慶応3年(1867)米崎村に生まれた。旧水戸藩士松平雪江に師事した。その後、辰の口の野沢白華の門人となり茨城県巡査をやりながら絵の制作に励んだ。明治37年(1904)師の白華が死去しため上京して小室翠雲に師事し、荒木十畝とも交流した。大正9年の第2回帝国美術展に初入選し、入選作品が宮内庁御用品となった。その後も帝展や茨城県美術展(無鑑査)出品し、創作活動に励んだ。華谷の「冨獄図」は県に寄..

  • 額田神社も磯出をしている。矛を競い礒前神社にむかった。鈴木為助氏が書いた額田大祭礼絵図にはそのような分がみうけられる。この話をしたら高校の同級生が真弓山神社もしていたという。光圀の指示に従ってやっていたという話だ。常井君の磯出について紹介しよう。真弓山もかっては東、西両金砂山と一緒に日立市水木浜に磯出していた。その後、真弓山は正徳5年(1715)の第13回からは磯浜(ひたちなか市の平磯浜)に磯出を..

  • 僕たち、なつやすみになったかな。環境問題について勉強だよ。環境問題ってなんだろう ?人間が活動することによって、地球の環境に変化が生じて起こるさまざまな問題のことです。地球温暖化や、ごみ問題、大気汚染(おせん)、土や水の汚染、生物多様性の喪失(そうしつ)などがありますが、それぞれの問題は決して無関係ではありません。たとえば日本は世界の国々からたくさんの物資を輸入していますが、運ぶのに多くの化石燃料..

  • ・妙見信仰とは妙見信仰とは北極星または北斗七星を神格化した、尊星王、北辰菩薩、北辰尊星妙見菩薩に対する信仰を指します。北極星は方向を指し示すことから、紀元前数千年前よりアッシリアやバビロニア、中央アジアの人たちを中心に盛んに信仰されていたといわれ、古代中国においても、北辰信仰は紀元前二千数百年前の「史記」にはすでに記録されており、七夕祭りのルーツである牽牛織女けんぎゅうしょくじょ伝説は、牧畜に携わ..

  • 苗字の基本形は「6大姓」は,山,川、海、田、神官、武士である。そして、基本は、源氏、平氏、藤原氏、橘氏を源流としている。額田近隣を例に「山族」は、たとえば 秋山、山崎、大山、坂本、柴山、横山、澤山、平山、住谷、根本、榊原、椎名、大森、富岡 、松本、中原などであり、 「川族」は小川、中川、助川、大沢、河合、石川、箕川、鶴川、清水,川又、黒澤、小沢、佐川、舟橋、小河原など「海族」は北島、中島、小島、磯..

  • 額田は他村に比べ、苗字や家紋の数が多い。それだけ人口の流入があったことを意味する。ここで名字と苗字について述べてみます。名字のもととなる氏姓制度は大化の改新後、出てまいりますが一般に導入されたのは貴族が平安時代となり京都の道筋の地名や寺の名を名字としました。一条家。九条家、武者小路家、西園寺家や徳大寺家といった具合でした。武士の台頭により名田開発が進み、その地名すなわち字(あざな)が出てきてそのも..

  • 棚倉街道は1249年に初代佐竹義直の時代どうだっただろうか。高岡から鱗勝院のある近辺が額田城だとすると、高岡から小堤に上がり、三軒ちょうを通り、古宿番場の八幡社を通り、舟渡へ行き、久慈川を渡った。寺は観音寺、遮那寺、天神様があった程度だったと思われ、天台、真言、修験の寺があった程度ではない。のちに鎌倉仏教が続々とできるが、それは小野崎氏の時代になってからだろう。佐竹時代は山の神に対する信仰は民間信..

  • リンク集の茨城県観光案内の茨城VRツアをみて面白い画像がてんかいされる

  • 本日の額田城跡奉仕作業に、第二自治区および額田地区以外の有志の皆さんを含め30名以上のご参加を頂きました。 二の丸周辺の草取り、本丸の草刈、遊歩道の草刈および遊歩道階段の土盛り等の作業を行いました。雨上がりの非常に湿度の高い中、たいへんご苦労さまでした。■額田城跡の花々 保存会のメンバーが年間を通じて写真に収めたものを動画にしました。これらの花々は、2019・7月の会報に掲載されます。https:..

  • コンビニエンスストアで目に付くのは必ずといっていいほどビニール袋をくれる。その便宜性からかスーパーではバッグをもっていってもコンビニ客はビニール対応である。紙袋だったり、バッグ対応の意識が必要なんだと思う。この頃私は雨の日以外はビニールをもらわないようにしている。暖かいものと冷たいものと分けますか。2枚もくれる。暖かいものはその場で食べる。ひとりひとりが注意すればビニールを使わなくなる。資源として..

  • プラスチックごみが問題となっている。このまま放置するととんでもないことになる。[??海に大量に流れ込むプラスチック??] 今日、海に年間少なくとも800万トンものプラスチックごみが流れこんでいて※1/※2、これをジャンボジェット機の機体の重さに換算すると、1年間に5万機分の重さのごみを海に捨てていることになります※3。 海には既に1億5,000万トンものプラスチックごみがあり※4、2050年にはそ..

  • 冲方丁の著書 光圀伝に頼房の4男としてしばしば登場する。光圀の弟である。光圀伝では長男とのかかわりが大義の実行として多く取り上げられているが額田生まれのものとしてはもっと佐竹監視の西山荘との絡みで額田藩を描いてほしかった。松平頼元1629−1693 江戸時代前期の大名。寛永6年7月14日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩主徳川頼房(よりふさ)の4男。寛文元年兄光圀(みつくに)から2万石を分与され,常陸額..

  • ル 小学校揺籃期と私たちの小学校の頃明治5年学制が発付され、教育の理念と制度の上で大きな転換をもたらした。文盲率からしても読み書きができるのが武士や有力商人の子弟に限られた、藩校や寺子屋が国民全体が一定年齢が来れば就学できるという制度は画期的でもあった。ただすんなり受け入れられなかったことも事実であった。小学校へ入学できる年齢は家族にとっては労働力の一部であったのである。それが一定時間、拘束される..

  • 梅乃家 このほど額田藩の存在がクローズアップされてきたことを契機として地元の観光原資を宣伝すべく商品開発をしてきた。額田藩の当主が徳川光圀の弟である松平頼元であることから光圀も額田に隠居ならぬ書院を構えた。これが県指定文化財鈴木家住宅『鈴木御殿』である。水戸藩らーめんとしてラーメンが有名だが水戸に6カ月しか滞在していないことをもってすれば隠居した10年は常陸太田の西山荘にいて娘の嫁ぎ先である額田の..

  • 観光ボランティアガイドの小田部一彦はこのほど茨城県郷土文化研究会の発刊誌に投稿した。全文は次の通り久慈川物語 那珂市額田  小田部一彦 茨城県北部には久慈川が北西から東に流れ太平洋に注いでいる。江戸時代の流路変更により今の久慈川に近い形になったが、戦国時代は蛇行を繰り返し、多くの河岸段丘を作り出していたといえる。常陸風土記によると日本武尊が河岸段丘の一つを指さし、鯨の頭のようだといったことから久慈..

  • つくばマルチメディア様の協力により、【那珂市の観光名所・おすすめ観光スポット案内VRツアー】が完成しました。360°の空撮ツアーをお楽しみ下さい。→那珂市の観光名所・おすすめ観光スポット案内VRツアー(外部リンクです)

  • 環境市民会議なかは6月に入り、昨年に引き続き、オオキンケイギクを那珂市本米崎地区で除去作業を行った。高速道路付近できれいに除去した。オオキンケイギクは外来特定の生物で植えてはならない植物です。黄色い可憐な花ですが、繁殖力が旺盛で日本古来の植物を侵食します。皆さんも気が付いたら除去しましょう。

  • 額田城跡の二の丸駐車場に、プランターを設定しました。「いきいき茨城ゆめ国体那珂市実行委員会」主催のもと、プランター花苗育成の協力をさせていただいております。本プランターは、本年開催される茨城国体馬術大会に向けて、たいせつに育成します。開催時期には、馬術競技会場、もしくは近隣の駅等に設置します。看板には、額田城跡保存会の賛助会員様の名称を掲示させていただきました。

  • 令和元年6月茨城県立図書館に本部をおく茨城県郷土文化研究会はこのほど研究会誌60号を発刊した。那珂市から投稿は根本正に関する研究が会沢義男氏、久慈川物語が小田部一彦により執筆されている。今回は創立60周年記念誌でもある。

  • 本年度も、当額田城跡保存会活動にご賛同頂きまして、セブン・イレブン記念財団様より助成金を頂きました。おかげさまで刈払機を購入しました。

  • 本日、いきいき茨城ゆめ国体那珂市「花いっぱい運動」での馬術リハーサル大会におけるプランター花苗植えのボランティアに参加しました。那珂市いばらきゆめ国体2019はこちらhttp://www.city.naka.lg.jp/page/dir004228.html 本年6月に開催されるいきいき茨城国体馬術リーハーサル大会まで1月となりました。多くの選手や観覧者が訪れることから、会場となる茨城県立水戸農業..

  • 額田城跡保存会の総会が開催されました。役員、有識者、市議(古川様)、会員等多数出席のもと、以下について報告、協議されました。1.平成30年度事業報告2.平成30年度決算報告3.平成30年度会計監査報告4.令和元年事業計画5.令和元年予算6.役員の一部変更7.その他会員の皆様には、別途、詳細は、総会資料にて配布しております。なお、本年度のボランティア、管理作業の日程については、こちらhttps://..

  • 太陽は自然界をリードしてきた。日光・月光・星光を三光といい、農耕を営む人々は敬ってきた。五穀豊穣を願い雨乞いと称し、雷光をも呼んだのである。作物に光を与えるこの光を、稲の妻としてイナヅマ、イナピカリとも呼んだのである。長い歴史の中、日本民族の歩んだ道、自然界の光を忘れてはならない。それは人々への光でもあることを。それを受けての人々の間の光であることを。その光の根源は、思いやりと感謝ではなかろうか。..

  • 額田で昔から言い伝えられている七運汁、このほど、海野寿江さんを中心に活動している『食の教室ライス』は菅谷小の子どもたちとともにレシピから実用化し、七運汁の料理を試みた。昔から七運汁は『ん』のつく食材が運に繋がる縁起のいい食物とされ、伝承されていた。このほど、子供たちのために現代的七運汁がかいはつされ披露された。だいこん、にんじん、レンコン、ゴボウ(ごんぼう)、カボチャ(南瓜)、こんにゃく、ねぎ(グ..

  • 1月24日 10時30分 曲がり屋へ到着。観光ボランティアガイドのメンバーが説明。160年前、この曲がり屋が建てられた。その時代、桜田門の変が起きた。士農工商の身分制度があった時代。アメリカではリンカーン大統領の時代だ。奴隷解放宣言が出されたころだ。日米の間でこんなにも差があったのか。木崎小3年生、熱心に案内を聞き質問した。その当時から使われえた道具に興味を示した。へっつい、うまや、とおみ、囲炉裏..

  • 今日は晴れ、一関には白鳥、かも、かわうが羽をやすめている。横堀小学校は10時半、10時に瓜連保育園がやってきた。インフルエンザは大丈夫だったようだ。マスクをしての風邪予防。観光ボランティアガイド那珂の3名もマスクをしている。昨年もこの時期インフルエンザで中止を余儀なくされた。昨日の菅谷小は学級閉鎖で31日に延期だ。ランプやじゅうのう、炭ツボ、箕の質問があった。説明にへっついにひをくべると。くべるが..

  • 今週も一関のため池に白鳥は羽ばたいている。観光ボランティアガイド那珂のメンバーは連日のまがりや案内に大忙し。明日は横堀小、あさっては木崎小だ。白鳥も毎年、増えている感じだ。炭火アイロンやガラコン、さおばかり、唐笠、鍵ずるし、弁慶、じゅうのう等今の住宅にはみられない逸品だ。写真は説明をきく小学3年生たち。

  • 1月16日から曲がりや社会見学学習が.はじまった。那珂市の小学校を対象とした講座、芳野小学校、瓜連小学校の3年生が受講。曲がりやの歴史や道具等の学習をした。棟飾りの龍のじは家の繁栄を祈ったこと、水の文字は防火をいのったという。曲がり屋の池には30羽を超える白鳥がやってきた。曲がり屋が建立されたのが1862年であり、桜田門外の変の2年後であり、アメリカの大統領はリンカーンだった。62年奴隷解放宣言が..

  • 高校の同窓に会沢健二くんがいる。東北の居酒屋でからむしと書いた板を見つけたとかいている。青森ヒバの板に書かれたとある。青森ヒバについては中学の同窓の棟梁が神社を作るのに使ったと書いたばかりである。高級な木材なのである。一昨年だったか倭文織(しずおり)の会の田中会長さんからからむしで織られた掛け軸を見せられた。夏草であるが繊維が細く強い。72歳になるが最近いろいろと教えられることがある。画像は仙台の..

  • 額田の方言 最新版です。 あ あんべわるい 体の調子が悪い。体調がわるい。 あったらもんだ もったいない。あんぽんたん 馬鹿にした言い方。馬鹿 あっぺ あるでしょうね。あずっこい 厚い あじい 熱い 青馴染み 青あざ あっぱとっぱ どうしてよいかわからぬ不安定な状態 あくどい 狡猾な あます げろを吐く あったがい 暖かい あーだこと あんなこと  頭かる 床屋へ行くい いしこい いしけえ 悪い。..

  • 年頭所感 昨年末は殊の外、寒い日が続きました。年に数回の大寒波が日本列島を覆い、交通機関にも影響が出ました。一年間を振り返ってみると、西日本のや北海道で記録的な豪雨が襲い200人を超える死者が出ました。世界的にも異常現象が見られ、気候変動の一因と思われます。 なか環境市民会議でも、一昨年、策定いたしました「なかアジェンダ21」の普及啓発に取り組んでいますが、市民への浸透はまだまだです。自治会、各種..

  • 梨の礫や熟んだ柿をつかった果物のことわざがある。梨のつぶては 〔「投げた小石のように帰ってこない」の意。「梨は「無し」かけたもので返事のないこと。たよりのないこと。 「いくら聞いても返事のないこと。熟んだ柿潰れたでもねえ。熟んだ柿が潰れるははっきりしないさまを表す。よく祖父に言われたことがある。はっきり返事しなかったり、態度を表明しなかった時である。平将門にでてきた。茨城の方言である。

  • 皆様、あけましておめでとうございます。昨年はまた皆様方のおかげで充実した活動を展開することができました。金が信念は2020年に向けての五輪金メダルをもじったものです。いよいよあと一年でその年がやってきます。本HPは額田城跡保存会、環境市民会議なか、更には観光ボランティアガイド那珂の合同で運営されています。昨年は多くの方が額田をはじめ、瓜連やその他の那珂地区に訪問されてきました。多くの方々が年々お客..

  • 平成の年号もあとわずか、水戸市にこのほど、竜神神社が建立された。地域は水戸二高の通りである。建築棟梁は額田南郷の小田倉工務店の小田倉敏行氏の手によるもの。ビルの空き地に素晴らしい建築物が建立されている。

  • 11月17日にひたちなか市より額田駅に63名の万歩の会の皆さんが降り立ちました。鱗勝院、二本松藩士の墓、向山常福寺跡、阿弥陀寺、額田城跡と歩きました。額田城跡では保存会の皆さんのお出迎え、甘酒をふるまい、大歓迎。額田神社の山車に驚き、帰りに引接寺によって、帰途に着きました。

  • 小野崎氏の故郷は瑞竜小野でもある。その地域の皆さんがやってきた。瑞竜白鷺会文化部の人たち。沼田代表をはじめ15名の皆さん。茨城新聞の小田内さんも加わった。小野崎氏と小田内氏は同じ二つ巴の家紋である。額田城主の弟分が向山の小田内郷に入り、小田内を名乗ったとある。毘盧遮那寺、額田神社、阿弥陀寺を回って帰途に着いた。額田城郭の広さ、額田神社の山車にびっくりしていた。額田神社総代長原公史さんの協力も山車会..

  • 額田城跡へ観光客がやってくる。本日、10時、瑞竜白鷺会文化部の皆さんがやってきます。昨日は太田史学会の役員の皆さんが下見にやってきました。11月17日にはひたちなか万歩の会の皆さんが10キロのウォーキングに挑戦し、額田駅に集合します。40名の方々が額田を歩きます。出会ったら挨拶して迎えてください。額田城跡保存会の方々がアマ酒を沸かしおもてなしをするという情報が武藤博光会長のほうから得ています。当日..

  • 農作業の藁やくさ、林業者の枯れ木や小枝を燃やすことは認められています。また、神社仏閣のしめ縄やお札類も燃やすことを認められています。庭先の落ち葉や小枝等の焚火も認められています。植物を燃やすことはCO2を燃やして排出することは認められています。オゾン層の破壊にはつながりません。ビニールや発泡スチールのようなものを燃やすことは禁じられています。相手が農林業従事者か否かも判断の基準です。農業従事者も洗..

  • 茶は服のよきように点て炭は湯に沸くように置き冬は暖に夏は涼まいつき敷く花は野の花のように生け刻限は早めに降らずとも雨具の用意相客に心せよこれをおもてなしの利休の7則というそうだ。観光ボランティアガイドを含め、額田の人たちの顧客を迎える姿勢について考えさせられる。額田に団体客が毎月来るようになった。これをどうしていくかを考えねばならない。この原則から言えば普段着で自然体でごく当たり前のことを方言丸出..

  • 第4次伊藤博文内閣を総辞職に追いやった東京地検検事本田桓虎のルーツは額田北郷であるが上京して消息は不明であったがこのほどネット上からわかることができた。花谷守正 氏の情報より参照: 祖父の本田桓虎は茨城県那珂郡額田北郷において本田與八の長男として慶応2年(1866)7月25日出生、その後伯父兵七の養子となる。明治17年10月司法省法学生を拝命、次いで東京帝国大学に入学、同26年仏法科を卒業後司法省..

  • 戦国大名佐竹義宣について調査、義宣の母(義重の室)と伊達政宗の父とは、兄妹にあたる。よって、伊達政宗とりあえず従兄であることが分かった。義宣は江戸時代の1633年まで生きた。63歳で亡くなっている。父義重は鬼義重と綽名されるほど勇将ぶりを発揮して北関東に強大な勢力を築き上げた。義宣の弟に会津の葦名盛重がいる。盛重は佐竹から養子に入る。名族葦名氏の佐竹氏への従属の表れでもある。後に葦名盛重は改易とな..

  • 来たる11月14日に常陸太田市の小野崎氏の本拠地瑞竜小野より老人会の皆さんがやってきます。地元から出た小野崎氏が活躍した額田小野崎氏の居城を見たいという意図のもと訪問してきます。

  • 先日、発見された額田城主小野崎穐昭通の直筆の手紙の画像です。木田余氏へのあて先が書かれています。

  • 石川啄木の短歌で『故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く』という短歌があるのですが、この詩については上野駅に行けば故郷の方言に接することができる。ていしゃばと呼んでいるところが幼期を思い浮かべる。その当時、額田駅は有人駅であった。駅舎に何人かが働いていた。改札口で切符切りの人が立っていた。向かいに通運の倉庫があり、芋俵が高く積まれていた。乗用車がない時代で停車場は賑わっていた。いつ頃か..

  • 日頃からの額田城跡管理作業でのチェーンソーの腕を買われ、額田神社に併設される淡嶋神社鳥居を直撃した倒木の撤去を行いました。淡嶋神社の鳥居は、先日の台風により鳥居近くの大木樫の枝が折れ、鳥居に直撃し無残な姿となってしまいました。枝の大木はワイヤーで吊りながら丁寧に切断して、除去しました。宮司はじめ総代、氏子の皆さんも大汗かいて撤去作業にあたりました。たいへんご苦労さまでした。後の鳥居修理がたいへんだ..

  • 水戸市、那珂市、常陸太田市合同開催の黄門ウォークが10月6日の7時半から実施されました。那珂市の休憩地点は清水洞の上公園、菅谷まがりや、阿弥陀寺、額田城跡とが中継ポイントとなり、観光ボランティアガイド那珂のメンバーらが対応いたしました。2年間、雨天中止で3年ぶり、懐かしい顔ぶれが見えました。清水洞、根本正、阿弥陀寺、額田城跡について説明をし、来年の再来を楽しみに帰途に就きました。なお、今回の参加人..

  • 9月4日、ふれせん五台で講演会が開催されました。講師小田部一彦による那珂市4回目の講演です。なか環境市民会議会長海野宏幸氏、額田城跡会長武藤博光氏からそれぞれの会の課題等の連絡事項の発表もありました。主催は那珂市元気一番歩く会(植田實会長)でした。講演内容次の通り。本日はお忙しい中ご来館いただきましてありがとうございます。本日のテーマは悠久の那珂と命という大きなものを掲げました。あまりに大きなタイ..

  • 先日の台風の影響により、額田城跡遊歩道に倒木が数箇所。応急的にチェーンソー切断して撤去しました。・片庭橋近辺、・本丸への順路途中、・ヒイラギ近辺2箇所(計4箇所) です。思いの他、大木が倒れていました。チェーンソーで切断するも、重量があり撤去にはたいへん苦労しました。これにより遊歩道に障害物はなくなりましたが、多数の小枝が散乱してますので、注意してご散策ください。

  • 額田城跡は県下随一の城である。東京ドームの21,5倍は面積で名古屋城に匹敵する。ちなみに江戸城(皇居)は東京ドームの25倍であるから地域住民として誇って良い城でもある。名城をめぐる伊東潤氏は戦国時代の県下随一の城と記している。この城に県下随一の柊の木がある。近くの鹿島八幡神社に茨城県最古の山桜がある。直径が乗用車の幅を超えているのだ。神社の参道の中ごろにある。この参道も鹿島神宮と肩を並べる長さで4..

  • 魅力度47番目からの脱却を目指している茨城県、観光客は19番目だという。せっかく観光客がきてもレピートがないという話だ。茨城の県民性なのか。タクシーに乗っても、いいところありませんかの問いに「なにもありませんねー。」と答える。何気なく答えてしまう。県民性なのか。素晴らしい額田城はどこですかの問いに「何にもねーよ。」と答える地域性では観光客も寄り付かない。偕楽園は日本一の都市公園だそうだ。ニューヨー..

  • 観光ボランティアガイド那珂の第4回講演はふれせんごだいで10月4日午前10時から午前11時半の開催予定です。テーマは『悠久の那珂と命』 那珂元気一番歩く会の要請によるもの。講師は小田部一彦観光ボランティアガイド那珂会長によるもの。

  • 9月28日、茨城県歴史館において茨城県主催の明治150周年記念講演会が開催された。講師は永井博氏、弘道館と偕楽園というテーマでの胡淵であった。江戸時代の日本一の藩校と梅だけではなく、四季の季節の花を植え、開園したという徳川斉昭についての設立の意図を話された。マルチにスト斉昭の優秀性を強調した弘道館と偕楽園の設立であったと。

  • なか環境市民会議では会報第4号が発行された。海野宏幸会長はその中で4年前に発足し、アジェンダ21を那珂市独自に策定、那珂市に各戸配布してきた取り組みを述べ、今後の具体的実践を力説した。多様で息の長い活動を推進すべく働きかけをしている。5月26日、30年度総会を開催、次年度より個人会費を100円から500円に値上げすることが決定されている。6月には県多様性センターの呼びかけに応じ、特定外来植物オオキ..

  • 昭通から木田余氏に宛てた手紙には木田余氏を信頼し、任せるので噂など気にせず、思う存分働いてくれとの処遇としては優遇した手紙で、米崎や島の領地を与えた手紙である。私の意見としては1550年から1560年時代は小田氏に仕え、土浦の地域を任されていた。土浦の木田余城主であった。信田郡からの名主たる信太氏(しだし.).を名乗った。小田氏の中では執事格で家老職に相当する地位にいた。佐竹との闘いや江戸氏の戦い..

  • 12月15日午前10時、太田史学会の50名が額田の観光にやってきます。額田城跡を中心に歩く予定ですので、おもてなしの心をもって迎えましょう。太田史学会は常陸太田の歴史を研究するグループです。常陸太田の歴史は佐竹、徳川と大きくかかわります。額田もその時代関わってきましました。切っても切れない常陸太田との関連性、改めて、観光ボランティアガイド那珂としても事前準備として学習しましょう。

  • 久慈川物語  茨城県北部には久慈川が北西から東に流れ太平洋に注いでいる。江戸時代の流路変更により今の久慈川に近い形になったが、戦国時代は蛇行を繰り返し、多くの河岸段丘を作り出していたといえる。常陸風土記によると日本武尊が河岸段丘の一つを指さし、鯨の頭のようだといったことから久慈という言葉が出たほど、下流には河岸段丘は多かったという。その流れに魚貝類がたくさん生息していた。私の小学生であった60年前..

  • 土浦市にある地区名であり、額田城陥落の記にも、今回の木田余氏宛の殿様の手紙で同一人物とみられている。その後額田から落城を機会に去っていったとみる。消息はつかめてないが関連性はあるのではなかろうか。

  • 額田城跡イメージ図はプレジデント社の情報として相田氏から得たものであり、公共性のものとして取り扱いを慎重にとのことで本件のみの掲載であり、コピーをすること固く禁じられています。プレジデント社の協力のもと、作成されたもので転用が禁じられていますので、その意をくみ取りご覧ください。掲載責任運営者 小田部一彦

  • ・温暖化に起因すると思われる最近の災害  今年の夏は梅雨明けも過去最も早く、水不足も予想される状況でしたが、7月  上旬、西日本で豪雨被害が発生、改めて気候変動の一因を見た感がします。  1週間で1300mlを越える異常降雨で河川の氾濫・土砂崩れ等の甚大な被害が発生生活が一変するのに驚愕しました。2005年8月29日アメリカ南部に上陸したハリケーン・カトリーナでは家屋の倒壊等で1800人以上の犠牲..

  • 先頃のロータリーの講話において環境問題を考えるというテーマで実施しました。地球上で起こっている災害やサンゴの白化現象、外来特定生物の除去等多岐にわたる講話です。地球規模での自然化の変化について私たちも認識を新たにしなければなりませんね。

  • 額田地区まちづくり委員会主催の「額田コミュニティ広場完成記念式典」に、額田城跡保存会でも出店のご協力をさせて頂きました。 出店内容は、おにぎり、漬物の無料サービス、刃物(家庭用包丁等)研ぎ、刈払機・チェーンソーのメンテナンス・修理、ソーチェーン目立て等です。おかげさまで、おにぎり、漬物は百食分用意したのですが、開店と同時に完売です。また刃物研ぎが思いの他大盛況で、約50丁分の研ぎ依頼があり、研ぎ士..

  • 本日、多数のボランティアの皆さんにご参加していただき、本丸の草刈り、二の丸の花壇の手入れおよび草取りなどしていただきました。暑い中、たいへんありがとうございました。今回は初の女性刈払機使い手の方にご参加いただきました(すばらしいです)。また社会福祉協議会のご協力により学生の皆さんにもご参加いただきまして、簡単な感想文をご記入していただきましたのでご紹介させていただきます。那珂高校3年 Kさん保存会..

  • 前回記事の伊東潤氏改めて紹介しよう。小生長期入院していたのでこの著作を知らなかった。『#ライトマイファイア』本日6/22発売!「よど号ハイジャック犯の中に公安がいた」という大胆な仮説を元に、予想不可能な展開の物語が始まる。あの熱い時代は何だったのか。過去と現代が結び付く時、巨大な陰謀が明らかになる! 。検索したら、このような記事にであった。拡散希望とのことで、那珂市の多くの額田城関係者ほかにお知ら..

  • 『歴史人』5月号を皮切りにこのほど横浜銀行の浜銀総合研究所のBest Partnerに掲載された、額田城の掲載はここ10数年の額田城跡保存会や観光ボランティアガイド那珂等の地道な活動の成果と思われる。那珂民俗資料館の額田城と伊達氏とのかかわりを取り扱ってきた役割も大きい。10数年前、ジャングル化していた額田城跡が全国規模になり、茨城県最大の面積を誇る城として紹介されるなど誰が予想したろうか。執筆者..

  • 瓜連常福寺山野辺家墓地がある。東京から同級生が来てその話になった。行ったことないから説明してくれとのことで掲載に及んだ。水戸徳川家の代々家老も務めた山野辺氏のゆかりの人たちが出羽の国からやってきたわけでもある。常福寺は徳川家康、家光から100石の朱印状により寺領を与えられた。徳川家菩提寺の芝増上寺から常陸国本山の命を受けている。水戸徳川家も菩提寺として保護した。山野辺義忠は出羽の最上義光の4男であ..

  • 悠久の額田から那珂へ西暦の年号ができて400年サイクルで大災害が起こってきた。大化の改新の頃、900年の平安時代、承久の変のあった1300年、光圀がなくなって7,8年後1708年、そして次は2100年となるとあと70年後にやってくる。一級河川が崩壊するような水害がやってくる。こんなテーマでNHKのテレビを見ていた人は何人いるでしょうか。ここ10年で気候は大きく狂って変化している。北極の氷河が溶ける..

  • 5月はじめの毘盧遮那寺の牡丹
    8月8日額田毘盧遮那寺ではお施餓鬼が行われた。お施餓鬼とは、お盆の時期に行われることが多い仏教行事の一つです。 餓鬼(がき)とは、俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指します。 施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことで餓鬼の供養を行う法要行事です。毘盧遮那寺に続き引接寺、鱗勝院..

  • これからの額田額田に生きて71年 昨年より茨城県知事より明日の茨域を考える会のメンバーを委嘱されている立場から私なりにふるさと額田を考えてみた。1,有形無形の文化遺産の維持と広告宣伝2,額田城の公園化3,自然対策 県有数の樹木の保持額田城跡198種の植物の維持観光シーズンと花対策さくら(額田城跡、阿弥陀寺、額田神社、額田小学校)、バラ(中野ガーデン)、ボタン(毘盧遮那寺)、アジサイ(額田城跡、毘盧..

  • 第30回額田まつりも、盛大裏に終了しました。古式豊かな祭礼行列をご覧いただけたでしょうか?祭礼行列のもとになる資料として、「額田まつり大祭礼絵巻」があります。現在はご当地、額田小学校に展示されていますが、2015年に那珂市立図書館で開催された、「額田まつり今昔物語」展のようすをYoutubeで見ることができます。そちらも覗いてみてください。→茨城新聞記事「額田まつり今昔物語」展

  • 悠久の額田を書いてきて何年になるか。古代。奈良時代、平安、南北朝、戦国、江戸、とつずってきた。長年にわたる人類の継承。2週間にわたる個人的にがんとの闘い。がんの除去に成功し、再び、筆をとる喜びに今浸っている。ドクター看護師、患者の同僚、そんな人たちに支えられ生還した。私を生んだ父母、そして祖父母、曾祖父母、そんなな人のことを考える機会を得た。6時間の手術に立ち会った娘、病院まで車で運んできた同僚、..

  • 第30回額田まつりは、7月29日(日)晴天のもと、盛大に開催され、多くの方のご来場をいただきました。ありがとうございました。

  • 7月28日(土)開催予定だった額田まつりは、台風による悪天候が予想されるため、翌29日(日)に順延されました。タイムスケジュールは変わりません。ご来場お待ちしております。詳しくはこちら→

  • 本日、二の丸の花壇の手入れ、二の丸付近のお堀の草刈、片庭橋周辺の草刈を実施しました。広範囲に渡る草刈です。猛暑でした、30分程で汗びっしょりになります。特にお堀の中の草刈は風通しも悪く、体力の消耗が激しいですので適度の休憩と水分補給が大切です。尚、本日は水戸森林クラブの方にもご参加いただいたので作業が思いのほか捗りました。休憩時のキューリ、ナスの漬物が絶品でした。毎回ご婦人の皆様が自前で作ったもの..

  • 額田城跡保存会は、いきいき茨城ゆめ国体(那珂市)の平成30年度花いっぱい運動ボランティアに参加しております。本日、那珂市瓜連支所にて、プランタ、培養土、苗等の配布があり、引き取りに行ってきました。当保存会の有識者がたくさんおりますので、大量のプランタ数となり軽トラいっぱいとなりました。引き取り者の団体、個人のなかでもかなり目立つ量でした。きっと花いっぱいに咲かせることでしょう。花苗は、バーベナ、ペ..

  • 本年度、当額田城跡保存会活動にご賛同頂きまして、セブン・イレブン記念財団様より助成金を頂きました。おかげさまで刈払機を購入しました。

  • 長年 額田城跡を案内していると多くの団体のお客様が来たものである。10年となると、他地区からのお客様が多いことか。那珂市は地元であるが、結構日立地区の方も見えている。日立製作所、日立電線のOBで組織している歴史同好会、日立ウオーキングクラブ、塙山まちづくり委員会、諏訪老人会、。常陸太田から峰山中同窓会、西小沢小同窓会、太田一高同窓会、黄門ウォーク太田組、水戸から国田まちづくり委員会、黄門ウォーク水..

  • 写真は、休憩タイムです。
    本日、二の丸周辺の管理作業を実施しました。花壇、植え込みの刈り込み、さらに刈払機での草刈作業です。雨上がりのタイミングでしたので非常に湿度が高いなか、みなさん汗だくでの作業です。また本日第三自治会の方もご参加いただき、思いのほか綺麗になりました。

  • 額田城跡、毘盧遮那寺、中野ガーデンを訪れた際に口々に「きれいね。」「いろんな花があるのね。」と女性陣。特に額田城跡では保存会のメンバーの植樹のおかげで多くの花が咲いている。まさしく見ごろである。今回は額田地区のアジサイ巡りは女性だけの団体であったが女性特有の感性に触れた。文章一つをとっても男子の場合は色がないと昔から言われている。女性の場合は色があるから、文章から情景が見とれる。改めてその感性に納..

  • おもてなしという言葉はオリンピックの東京誘致で一躍クローズアップされました。茨城県も数年前からおもてなし県民条例ができ観光客の誘い込みに力を入れてきています。額田城跡に単独で来られる環境客が増えてきました。東京、横浜、会津から来たといい、他県からのきゃくがふえてきました。佐竹氏や小野崎氏を祖先に持つ方や城巡りのガイドブックから、インターネットから見てきたという中学生、来訪理由はいろいろです。口々に..

  • 本日、額田城跡の南側(千石田側)の紫陽花周辺の広域について、清掃作業を実施しました。雑草の伸びる時期なため、うっそうとしたセイタカアワダチ草が乱立。足元は悪く、難関の作業となりましたが、 参加人数も多く、広域に渡りきれいすっきりとなりました。紫陽花は、今が見ごろです。

  • 6月9日第1段階除去作業を終え、その後、那珂市が業者依頼してほぼきれいになりましたが、小学校よりの沿道を2袋除去し、最終的に海野,小田部の両名で焼却作業までして、残らず除去いたしました。種ができている段階でこれを放置すると来年も繁殖してしまいます。この地域だけでなく、各自、自宅付近にあれば抜いてビニール袋に入れ、焼却に回しましょう。

  • 7月13日、那珂市と姉妹都市であるオークリッジ市から夏休みを利用して曲がりや等へやってきます。昨年も中学生の一行がやってきました。英語でみのをどう表現していいのか。囲炉裏端の弁慶をどう説明するのか昨年も苦労しましたが。昨日、那珂市の観光課より案内依頼が観光ボランティアガイドにありました。いまから和英辞典との取り組みが始まります。通訳はついているのですが極力英語で案内できればと今から準備しています。

  • 先日、特定外来種生物に指定されたオオキンケイギクの除去作業をいたしました。法律で定められ栽培が禁止されています。黄色の可憐な花であり、何でという方もいらっしゃるかもしれません。特定外来種は繁殖力が強く、日本固有の生物に害を与える可能性を秘めています。オオキンケイギクの種が自動車に付いて運ばれ、繁殖されるとのことです。日本の固有の植物なでしこなどが将来なくなる危険性をはらんでいるとしたら、大変です。..

  • 古希をこえて思うもの 観光ボランティアガイド那珂メンバーの独り言、現在、那珂市観光案内人を10年もしている。10年もやっていると色んな観光客が来る。小学5年の担任の先生が90才を過ぎて一緒に歩いた。「大丈夫、先生。」「大丈夫だよ。」力強く返ってきた。額田中学の3級先輩が鎌倉の仏師となり仏像を彫っているが額田まつりの山車の彫刻に驚嘆していた。「ふるさとにこんな彫り物あったんだ。」芙蓉城郭研究会の方々..

  • 第30回額田まつりは以下の日程で開催されます明治初期から現代までの歴史を刻む各町内の山車と、地元お囃し連の華やかなお囃子演奏をお楽しみ下さい!多数のご来場お待ちしております平成30年7月28日(土)開催(雨天:29日(日)順延) 宮出式(神事) 10:00〜 額田神社 山車神幸   13:00〜15:00 額田神社〜太田街道(旧道・歩行者天国)〜御仮屋【額田公民館】 山車還幸   17:00〜19..

  • 額田城跡ボランティア清掃は 本日 雨のため 明日の6/17 に延期となりました。

  • なか環境市民会議では、茨城県の「特定外来生物除去・啓発イベント」の一環として、6月9日(土)、オオキンケイギクの除去作業を実施いたしました。高齢者クラブ三好会(額田)の協力を得て、額田東郷より国道6号線二軒茶屋十字路までの街道沿いで、高速道路の上付近を作業しました。なぜオオキンケイキクが害を与えるのかとの質問、法律で禁止さるほど悪いのか。疑問ばかり。答えは秋の七草等がなくなると言われれば何も言えな..

  • 額田には、店名に「額田藩」を冠した食事処がある。 「額田藩梅乃家」である。 店内には、かつて茨城新聞に掲載された写真入りの記事が、高校の先輩方の手によって飾られている。 このほど額田藩の存在がクローズアップされてきたことを契機として、地元の観光資源を宣伝すべく新商品「額田藩しゃも(軍鶏)がらラーメン」を開発した。 江戸時代、額田藩の当主は徳川光圀の弟である松平頼元であり、光圀も額田に隠居ならぬ書院..

  • 終戦の翌々年に生まれた私たちは1クラス56〜7名と多かった。当時は今のグランドの体育館側が額田中学校、砂場側が額田小学校と同じ敷地に建っていた。中央に額田神社に繋がる道路があり、分けていたのである。職員室前にもちの木があり、その西側に大きなイチョウの巨木があった。のちに中学校は神崎中と統合し、那珂二中となり、今の場所にもちの木が移植された。私たちが小学生の時は男子は学生服を着ていた。夏は霜降りの半..

  • 額田まつりは、明日の地域社会を担う子供たちとともに、地域に残された優れた文化遺産や歴史を伝承し、確かな人間関係を構築し、地域全体の強調と連帯感を深め、健康で活力ある町づくりを目指し実施しております。今年も7月28日に開催されます。裃(かみしも)行列や2基の神輿と町内からの屋台(だし)が出、賑やかに展開されます。そのため、子供たちは太鼓の練習に奮闘中です。このまつりは、天保4年1833年磯くだりに変..

  • 船渡(ふなと)部落は亡き冨岡銀二郎氏がよく語ってくれた所でもある。久慈川の対岸の河合地区に堤防が作られるまで、額田岸には多くの人たちが居住していた。いわゆる船渡部落である。江戸幕府時代まで軍事上の考慮から重要な街道の河川への橋を架ける事が許されていなかった。水戸と岩代の棚倉を結び仙台青森を結ぶ棚倉街道は、江戸後期には参勤交代の街道でもあった。昔は幸久橋は無く、久慈川は舟で人や馬を渡した事実から部落..

  •  本日、額田城跡の片庭橋付近の草取り、および遊歩道(桜通り)の刈払機での草刈りを実施しました。NukadaCleanGirlsの皆さんが 菖蒲園の除草および土手の草刈りを いっしょうけめいやりました。たいへんきれいになりましたよ!

  • なか環境市民会議では、茨城県の「特定外来生物除去・啓発イベント」の一環として、来る6月9日(土)に「オオキンケイギクの除去作業」を実施いたします。高齢者クラブ三好会(額田)の協力を得て、額田東郷より国道6号線二軒茶屋十字路までの街道沿いで、作業を予定しております。集合場所は那珂市中央公民館です。申込み不要、当日参加大歓迎です。多数のご参加お待ちしております。お問い合わせは、なか環境市民会議 部会長..

  • 6月29日に那珂市のつるしびなのサークル『つるし美なのかい』が額田城跡をはじめ額田神社や阿弥陀寺等の史跡めぐりを予定されている。

  • 額田地区を南北にを通り抜ける国道349号線は、別名太田街道と呼ばれ、江戸時代まで遡れば、棚倉街道と呼ばれていた。しかし江戸時代の棚倉街道は、額田地内において、今の国道349号線とは違ったルートを辿る。何故なら、額田城の南の低地は今は干拓された田園風景なのであるが、江戸時代には有ヶ池という大きな沼が存在していたからである。そのため、水戸から額田坂下まで来た街道は、有ヶ池に行く手を遮られ、そこから東方..

  • 墳丘より真弓山・高鈴山を望む
    伊達古墳を久し振りに訪問してみた。雑木林の中を、篠竹をかき分けながら進み現地へ到着。北側に久慈川を挟んで遠く高鈴山の頂きを展望できるこの場所に立ち、ここに墓を造った古代の人々の思いが分かるような気がした。その足で、那珂市歴史民俗資料館を訪れ、伊達古墳から出土された「舟形石棺」に接した。さらに、伊達古墳をはじめ、新地古墳や森戸遺跡などから出土された石器や土器に接し、遠く古墳時代の悠久の歴史に浸った。..

  • 伊達政宗が額田城主小野崎昭通(あきみち)に宛てた密書が見つかって数年経つ。その伊達氏のルーツは……。額田地域にも伊達氏との関わりの痕跡が……。そんなことを少し書いてみました。「伊達氏と額田」のページへ

  • 5月5日(土)、五台・芳野地区の方が中心となって活動している『元気一番歩く会』のメンバー11名が、額田地区の歴史散歩にやって来ました。毘盧遮那寺での、渡邊真玉大僧正解説付きの大般若経(県指定文化財)600巻特別閲覧。そして、鹿島八幡神社(額田神社)の真榊の大木、茨城最古の山桜の大木見学と、一同からは何度も驚きの声が……。また淡島神社での、ウグイスや眠りウサギの精緻な彫刻にもビックリ!額田まつりの歴..

  • 4月末茨城新聞に掲載されたぼたんが満開。真言宗豊山派総本山長谷寺(奈良県)にならい、20年前に植えられた。200本もの花が咲き誇る様を見られるのは、近郊ではここだけかと思う。本日は雨、花が重たいぼたんは雨に弱い。一夜にして駄目になるのが心配だ。今年は開花が早かった。5月5日に訪れる「元気一番歩く会」の皆さんために、少しは残ってくれればと祈る思いである。それをお寺の大僧正に話したら、県指定文化財の大..

  • 今年度の支援事業活動は、観光かるたの増刷、倭文機(しづはた)「手しごと」の会との共催による観光かるた展示、更には額田紅花会との共同による、鈴木家住宅での4月〜8月中旬までの紅花栽培と5日間の鑑賞会の開催等、活動が長期間に渡った。かるた会も菅谷まちづくり委員会、額田サタデースクール、市内小学校・学童保育所等々で行われた。11月の一乗院での大かるた会には、多数の参加を得て市民が楽しむことができた。近々..

  • 5月12日(土)に額田城跡にて、額田城跡保存会(会長武藤博光氏)の総会が開催されます。前年度の活動実績や会計報告、今年度の活動予定や会計予算などが協議される予定です。

  • 5月5日(土)、元気一番歩く会(代表内藤様)が額田城跡、額田神社等の観光めぐりを致します。10名の参加で観光ボランティアガイドが案内の予定です。

  • 4月7日、那珂市文化協会のサークルである文学の会(小森会長)主催の観光かるた会が開催されました。文学の会は、川柳の会・万葉の会・読み聞かせの会の合同にて、額田町内の梅乃家食堂にて開かれました。また、観光ボランティアガイド那珂の小田部会長の講習もありました。

  • 『額田城跡 歴史を刻む散歩道』の読み札で親しまれている額田城跡、常陸地区・水戸地区・東海地区からの観光客・団体が毎日来ている。那珂市の団体も、那珂市川柳の会・万葉の会・読み聞かせの会が3月に訪問いただいた。トップページからの360度空撮全景をお楽しみ下さい。

  • 『阿弥陀寺のしだれ桜と鐘の音』阿弥陀寺のさくら祭りも3/29〜4/5で終わった。今年は開花が例年に比べて7日ほど早かったため、花の散るのも早かった。にも拘わらず1万人を超える観光客で賑わいを見せた。その時の360度の光景が見られるシステムが完成しました。トップページから入れますので、お楽しみ下さい。なお、システムは市民活動支援資金からの補助事業で作られました。

  • 平成30年7月28日(土)に、額田神社を中心とする3年に1度の額田まつりが開催されることが決定されました。額田地区の山車や神輿が勇壮に披露される様は、江戸時代からの歴史的行事です。大正9年に13台の山車が見えて、賑わいを見せた様子が写真に残っており、素晴らしい祭だったことが証明されています。いま造るとしたら1台1億5千万円ほどかかるそうで、先人たちは大変な金銭面の苦労をした祭りです。現在、地元有志..

  • 懸案でありました那珂市の観光かるたは、平成29年3月15日に総数600セットが完成し、那珂市の小中学校や各種団体に寄贈することができました。平成29年11月には、一乗院の大かるた会や老人会、各種サークル、町づくり委員会でのかるた会で好評を得ています。絵札については、那珂市の水墨画の団体や、額田の三好会(老人会)の協力を得て完成に至りました。読み札については茨城新聞・那珂市報にて募集され、那珂市民俗..

  • 6月18日額田城跡清掃をおこないます。街づくり委員会の協力がえられます。午前8時の集合となります。

  • 5月21日、額田地区市民運動会が好天の中、開催されました。例年ですと秋でしたが今年からとなりました。市民と小学校、保育園と合同での運動会はにぎやかに和気あいあいのうちできました。怪我もなく良かったですね。

  • 皆さんは「おもてなし」と聞いて、どのようなことを思い浮かべますか?お宿や観光地のスタッフなど、観光客を直接お出迎えする人たちのものと思うかもしれませんが、観光客が旅行中に接するのは、そういった人たちだけではありません。すれ違う地元の人が明るく笑顔で挨拶してくれたり、地元の美味しいお店を教えてくれたりしたら、那珂市のイメージアップに繋がるはずです。観光客のみなさんに那珂市の魅力を存分に体験してもらい..

  • 毘う遮那寺の150本の牡丹が満開である。当寺は大般若経600巻で有名、1192年文覚上人の開基、女流俳人中島素嵐の句碑がある。

  • さ萬秀山正法院と号する寺院で,延長元(923)年に平将門の父良将が創建。 創建当初は勝楽寺と号し,律宗で奉仕されていました。その後,貞王2(1223)に佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を,暦応4(1341)年に9代 貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き,同じ寺院内に正宗庵を創建。10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺としました。 勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えたが,正宗寺は佐竹..

  • 表向きは大日本史編纂など功績があった光圀は果して名君であったか。青年期の光圀は今の言葉でいえばぐれていたかぶきものといえる。そして女狂いは60を過ぎても続いたようだ。しかし常陸の国の殿様としては女狂いという価値基準が現代とは違うのかもしれないが。『水戸黄門 鈴木一夫著 中公文庫』からひも解いてみると、……老境六十過ぎても女色寵愛の癖は続き「女色に耽り給い、ひそかに悪所に通い……」と、 若き時代は云..

  • 5月6日、中央公民館で那珂市歴史愛護協会の小林副会長の講演があった。聴講者35名でテーマは水戸黄門と助さん、格さんの実像であった、テレビでお馴染みな水戸黄門であるが子の3名の関わりは大日本史編纂という水戸家の大事業を為さんがための光圀と学者の二人と言う実像についての講演であった。彰孝館総裁を後にやることになる助さん格さん。光圀の史臣と言われています。史臣たちは全国各地に史料を求めて旅をしましたが、..

  • 藩という定義は中国の歴史から来ています。江戸時代表立って藩と言うのは使われませんでした。江戸末期になって使われてきたと言われていますが、儒教の学者は使っていました。それは新井白石でした。『藩翰譜』(はんかんふ)は、江戸の家伝・系譜書。著者は儒者の新井白石で、全12巻藩譜との略称でも呼ばれる。元禄15年1703年成立。元禄13年の甲府藩主の徳川綱豊の命を受けて編纂したという諸大名337家の由来と事績..

  • 佐竹氏は1602年に秋田移封となった。この頃まで常陸の国では領民はわーほいという行事をしていた。鳥追いとかどんど焼きとかうわれた、正月のしめ飾り等を燃やしたと同時に鳥追い行事でもあった。ワーホイ、ワーホイ、今日はどこの鳥追いだ、 鎌倉様鳥追いだ、ワーホイ、ワーホイ、 いのしし、かのしし、かのめに追われれ、ワーホイ、ワーホイ」というはやし言葉であるが私の幼少の記憶では「わーほいだ。わーほいだ。今日は..

  • 鍬入れの行事は額田でも行われていた。1月11日とされた。茨城の行事を読んでたら幼い時を思い出した。畑の真ん中に連れて行かれた。何をするのかと思った。毘盧遮那寺に向かって、大きな声で「からす からす」とどなったことをおぼえている。農家の仕事始めの儀式で広辞苑には『鍬初め:農家で正月の吉日に、吉方(エホウ)に当る畑に初めて鍬を入れ、餅または米を供えて祝うこと。田打正月。鍬初め。』とある。 『カラス、カ..

  • 那珂市協働の提案2年目のホームページおよび看板。ベンチ、幟旗の提案が正式に4月末に受理された。後半50万の助成金が受理された。今後の活動が期待さる。なお、プレゼンにあたった武藤博光会長、お疲れ様でした。

  • 観光かるたの市民協働提案が4月末に決定され正式通知が来た。これにより、観光ボランテア那珂の那珂市観光かるたセットの数百セット、さらに、絵手紙、水墨画、小学生の手作りのかるたも作成される予定である。額田城跡始め阿弥陀寺、鈴木家住宅、額田神社等がかるたに組み入れられる。

  • 昔はお静さんと言うと静神社を指した。静神社は常陸の国の二の宮で奈良、平安の延喜式の名神大という鹿島、香取と並ぶ静神宮であった。常陸一の宮は鹿島、そして三の宮は水戸の吉田神社である。常陸風土記に倭文の里として出てくる。万葉集に防人として倭文部のから麻呂の名が残っている。火災のあった焼け跡てんぽ年間に銅印が発見され、本殿に収められている。

  • 茨城県とJRの提携の観光ツアーに21名が参加し、那珂市にやって来た。常福寺や静の桜祭りをみながら静神社、手接足尾神社、一乗院等を見物、観光客の意見としていろいろといいところあるのに宣伝不足かな。額田城跡も来てみたい。多数の声に励まされ、意欲も前向きだ。

  • 額田城跡保存会(武藤博光会長)は4月22日、まちおこしの一環として額田城ののぼり旗100本を製作するための提案を提出した。額田城、額田藩の名産物の冠銘柄品の振興策でもある。引き続きベンチ、看板やホームページ費用も出された。積極的提案が注目される。同時に観光かるたも注目される。

  • 本日、額田びる遮那寺の牡丹が咲いた。この花を見に常陸太田、日立から7名の観光客がおとずれた。牛久の神谷ミュウジアムに訪問の集合場所でもあったのだ。牛久もシャトーが震災の傷跡はあるもののシャトー正門、レストランは復旧していたし、庭園の池のコイも元気に泳いでいた。懐かしの蜂ぶどう酒をお土産に帰宅の途についた。

  • 4月16日、会員多数の参加をもって総会が終了しました。昨年は市民協働の一貫としてホームページを立上げ各方面から評価も高まりつつあります。また、街角案内人のTシャツもでき、4月2日、3日の両日、阿弥陀寺の桜祭りで額田城跡に誘導する作業に早速着用し活躍をいたしました。今年度の活動は城跡整備、額田観光スポットの看板立ち上げ、各種講演、機関誌『額田城跡』の発行等活動をしてまいります。また観光ボランティア、..

  • 東日本大震災の東北の被災地に5年も野菜を送っている仲間がいる。額田の畑で8名で耕作しているが何でも、4月に高校を卒業して50年を迎えたそうだ。4月16日に常陸太田市交流センターで太田一高在校生性や卒業生を含め総勢1000名をもって、卒業50周年記念式典が開催された。その卒業生の感想文が手に入ったので紹介したい。われわれにとって節目の太田一校卒業50周年が終わった。記念式典での来賓の方々、生徒会や代..

  • 3月31日で読札投稿は締め切りました。お陰をもちまして200を超える読札が集まりました。ありがとうございました。日本の桜名所100銭の静峰ふるさと公園春の風物詩 静峰公園の八重桜まつり鎌倉時代の遺風を残す 常福寺鐘楼義家の忘れ形見の静の椋の木幻の古代織物倭文織の復元と製作を続ける倭文機グループ外濠、内濠今なお残る額田城跡光圀様の娘を迎えた鈴木家住宅ライトアップに浮かぶ阿弥陀寺のしだれ桜たっつぁいの..

  • びる遮那寺の山門前に咲く薄墨桜は額田で最も早く花をつけ、長もちもする。お彼岸の頃より2週間も花をつけ何とも言えぬ白さである。追うようにしてしだれ桜、一般的桜であるソメイヨシノも咲き始めた。

  • 4月1日からの咲き誇る阿弥陀寺の桜は満開を迎え、散り始めている。ガマの油売りや額田城跡への誘導もあり、1日1000名も来ている。老人会の協力により、1000枚のチラシも無くなってしまっている。露店も1日から出ていたが6日で終了した。観光案内人の方々、街角案内人の方々ご苦労様でした。

  • 4月に入り阿弥陀寺のしだれ桜が満開となりました。出店が出て盛り上がりをみせ、がまの油口上も3日にわたり熱演し好評を博しました。額田の街角案内人の額田城への誘導が行われました。地元の老人会の協力も得られ1000人の方々が見えました。

  • 飛来する白鳥の雄姿 古徳沼平安の朝廷の色 雛飾り空高く聳える 毘沙門 国守るわが郷土 ひまわりの色に輝きてつるし雛 色とりどりの布 ゆらら新しき地域おこしの旗印カミスガプロジェクトあなたにも七福もたらす七運汁有が池 水面(みなも)に映る あきあかね鐘楼としだれ桜に人集い 郷に響かん阿弥陀寺の鐘このようなかるた読札が続いて届いています。

  • 茨城県那珂市観光かるた応募つづき、明日締め切りになる。駆け込み的に応募が多数来ていて喜ばしい限り。『織媛』像凛として建つ静神社白鳥も好む自然美古徳沼『風土記』にも記録が残る『静織の郷』孫子マで継げ地域の大助まつり水面を優雅に泳ぐオオハクチョウの古徳沼わがふるさとの歴史をたどる3つの城跡 額田城 瓜連城 古徳城一乗院郷土を護る毘沙門天古代より湧き出る泉七つ洞絵のように静峰染める八重桜伝統誇る山車提灯..

  • 那珂市の額田城跡保存会の市民協働提案がなされた。ホームページの充実と寺社仏閣の看板およびベンチの作成についての補助金申請した。同時に観光ボランティアガイド那珂についても観光かるた作成の補助金申請の提案がなされた。

  • 4月29日、結城から女性の団体が那珂市にやってきます。結城紬で有名な所でかって訪問した際、静織の神様の静神社を参拝に来ると言っていましたが、今回は団体でくるという。静峰公園、静神社、常福寺、一乗院の予定です。

  • 1、那珂市は緑がいっぱい。2、那珂市は歴史があり、寺社仏閣もある・3、古くからのお祭りもある。4、全国でも有名ない偉人もいる。例、根本正5、公害がない。災害がない。これは小学生から見た那珂市の素晴らしいところです。確かに古くからの歴史があり、他市に比べて神社仏閣も多い民俗、風俗からも豊かな地域である。居住する側から見て、地理的にも平地であり、高台に位置し、災害もない。安全性からも、原子力はともかく..

  • 1192年にびる遮那寺は文覚上人の創建と言われています。文覚上人は武士で遠藤盛遠といいました。平安の神護寺の再興等歴史上も有名である。平安末期の神護寺は、大変衰微していた。  平家物語の作者によると、「久しく修造なかりしかば、春は霞にたちこめられ、秋は霧に交はり、扉は風に倒れて落ち葉の下に朽ち、甍は雨露におかされて仏 壇更にあらはなり、住持の僧もなければ、稀にさし入るものとては、日月の光ばかりなり..

  • 4月1日2日は額田城跡内阿弥陀寺のしだれ桜が咲き始めます。茨城県の歴女の皆さん、阿弥陀寺の桜は毎年NHKでも放映するくらい有名です。しだれ桜を見ながら、額田城跡に訪問したらいかがですか。面積で東京ドームの21.5倍ととてつもなく大きい城なんですよ。那珂市の観光ボランティアがご案内しています。

  • 那珂市に昨年名誉市民になった根本正がいる。明治初期から大正時代にかけての日本での政治家であり見直してみたい。 根本正は、茨城県でごく少数の人にJR水郡線を作った代議士として知られています。しかし、明治・大正 の時代の数ある政治家の中で、根本正ほど子供の立場に立って、子供が健全に成長し、自立できる人間になるよう努力した政治家はあまりいません。根本は明治 31年衆議院議員に当選すると「国民教育授業料..

  • 平成28年度額田地区三好会『中原昌幸会長』は4月11日、10時30分より那珂健康センターで開催される。今回10名をこえる新入会員が増加予定であり今後の活躍が期待される。

  • 3月末までの観光かるた募集みー源義家ゆかりの天をさえぎる大きな静の椋の木ひーひまわりの咲く季節に那珂を第2のふる里と決めた。むーむくろじの珠で名高い正覚寺へー紅花と万姫 鈴木御殿で咲き比べひなまつり 発祥の社 淡島の宮

  • 年配者に教えられた。久慈川につい先ごろまで架かっていた通称闇橋は東日本大震災で流され、無くなってしまった。額田の先輩が河合でこの橋を闇橋と呼んだら叱られたという。戦時中からの俗称であって、本当の名は岩船橋と云うそうな。近くにそういえば岩船神社がある。この岩船橋を通って、参勤交代が行われたというから尚びっくりだ。

  • 3月15日午前9時30分より額田城の歴史についての1時間の講義があり、つづいて実際の案内をし、昼前で終了した。額田城の創建から落城までの話、最後の殿様小野崎昭通の伊達家を頼っての逃亡劇を知ることができた。額田をテーマをに人に良くする額田人は年号が1249年をみんなに印象付けられたと思う。

  • 歴女ブームが到来し、武将、刀剣、城と移ってきました。時代の流れは速いものですが、昔からの歴史は古文書等の発見により、変わることはあっても、悠久の歴史を刻んでいます。水戸市から日立から訪問者も増えてきました。額田城と言ってもピンとこない方がいるかもしれませんが、東京ドームの21.5倍の面積と言ったら大変なものであることが分かるでしょう。茨城県水戸市の歴女の皆さん、隣の那珂市にこんな城があるということ..

  • 1月から募集をしております観光かるたは那珂市のみならず、近隣の常陸太田市、大子町、ひたちなか市、水戸市から集まっています。句が重複する場合は先のものを取り上げています。有が池 コウホネの花 可憐かな阿弥陀寺の枝垂れ桜の花見事いにしえ人の 暮らし伝える 下大賀遺跡ウバユリの群生みられる額田城本丸瓜連は冬告げる白鳥の古徳沼玄関口梅の家の おすすめの味 額田城縁起だるまの一乗院お静さんと呼ばれる社に 歴..

  • 那珂市からも桜田門外の変に参加した浪士が2人います。静神社と三島神社の宮司です。水戸藩への迷惑が及ぶことを考えて脱藩という手段をとり、事に及びました。それぞれ、斎藤監物と海後 磋磯之介 で3月3日は雛の節句にあたり、必ず大老井伊直弼が登城すると睨んだからでした。これが幕府崩壊の引き金になっていったわけです斎藤監物  静神社神官(一八二二〜一八六〇)名は一徳、号は文里。加倉井砂山や藤田東湖に学び、水..

  • 茨城県那珂市額田の観光スポットの一つ愛宕神社が東日本大震災の破損部が修繕され、安全性が確認されましたので観光スポットとして復活いたしました。因みに愛宕神社は防火の神様です。また、高台は愛宕山古墳もあります。

  • 3月15日、那珂市額田地区まちづくり委員会による講師小田部一彦による講演が行われるが10年前に日立市で講演した内容があり、予備学習をすべく掲載いたしました。内容ただいまご紹介いただきました那珂市額田の小田部と申します。今先生というようなことでご紹介されましたが歴史学者でもなく研究者でもなく単なる那珂市から来た観光案内人とお含みいただけたら、幸いです。本日の講義も皆さんと一緒に学習する機会を得たとい..

  • 今歴女ブームですが、茨城県那珂市にある額田城、額田神社、淡島神社が観光対象として注目されています。中でも日光東照宮の流れをくむ後藤流の彫刻山車や出産や針供養、人形供養の淡島神社は特に注目されています。常設の山車4台が見られ那珂市観光課へ申し込めば観光案内人が案内いたします。10名以上を目途に申し込んでください。茨城県内で歴史スポットでお勧めを質問されている問い合わせがありましたが額田城、鹿島八幡神..

  • 1月に那珂公報、茨城新聞にて掲載されました茨城県那珂市の観光スポットを句で読んでまとめる那珂観光かるたの読札が観光ボランティア事務局に引き続き集まっています。1、額田城 本丸 二の丸 三の丸 歴史を刻む散歩道2、有が池 コウホネの花の中 鯉雄々しく泳ぐ3、金色の小さな鳥の形して銀杏散る散る毘盧遮那の寺4、富士山の古墳の森に いにしえの誰をか眠る5、宮桜 大樹の皮に時刻み まだまだ枯れんと満開の花6..

  • 額田城が出来た時代、城を中心して、地区の名が命名された。城から見て有が池の向うの小山を向山、高い岡が高岡、城の後方が本後、辛目手門の柄目町、白鳥の飛んだ白鳥地区、岩桂寺のあった『がんげじ』等命名された。水戸の梅香町は岡本梅香斎の作った街である。久慈川に架かる榊橋が土木内の『木』と石神の『神』が合わさったという語源は面白い。

  • 平成28年2月17日現在で観光ボランティア那珂の那珂公報を通じての募集は100件の大台を超え、順調に推移している。今回読札は次のとおり。1、ウバユリの群生みられる額田城本丸2、縁起だるまの一乗院3、お土産はニッキの味のつぼ焼きを4、木内の酒とネストビール5、久慈川のたもとにさかえし額田宿6、古徳沼に白鳥群れ立つ7、桜百選静峰公園8、椎の大木三島神社9、つるし雛にてまちおこし10、額田城址東京ドーム..

  • このほど、水戸市史、常陸太田市史から棚倉街道は横堀街道が本街道であることがわかった。水戸市史には枝川、田彦、額田、太田、町屋等に駅があり、駅間の距離、馬の乗り賃が表であらわされている。参勤交代の東北の諸藩は当初、奥州街道を使ったが、財政逼迫で江戸への旅を宿等の安い棚倉街道を通行するようになった。郡山 に移った額田藩2万石は守山藩となった後も松川(大洗)を有し、棚倉街道の往来を行き来していた。

  • 文化財愛護協会の民俗部会では2月13日に那珂市中央公民館にて民俗部会としての発表会を行った。昨年7月に開催された額田まつりの前に実際に額田の屋台 山車を見学しようとの意図のもと、6月29日に観光ボランティア那珂の説明を聞きながらの内容把握を目的としたもので、歴史的遺産の逸話等を交えての発表があった。また、7月25日の額田まつりの内容と事前に開いた額田まつり今昔物語展の内容が茨城新聞のDVDを用いて..

  • ,那珂市の観光かるたの読札が観光ボランティア那珂の手によって募集され、平成28年2月に続々と集まってきました。読札は次の通りです。弘願寺 手あわせ なでる くすぐり地蔵 いにしえ人の 暮らし伝える 下大賀遺跡城跡と  社を結ぶ 静古徳古道源義家ゆかりの 静の椋の木 (秋山珠江様)白鳥の飛翔の雄姿 古徳沼南朝の 歴史を語る 瓜連城址倭織(しずおり)の神 荘厳に 静神社久慈川と玉川 逢瀬の鮎光る  鳥..

  • 水 戸市史、常陸太田市史から、江戸時代の棚倉街道は横堀街道が本街道であることがわかりました。水戸市史には枝川、田彦、額田、太田、町屋等に駅があり、駅間の距離、馬の乗 り賃が表であらわされています。参勤交代の東北の諸藩は江戸時代の当初、奥州街道を使ったが、財政逼迫で江戸への旅を宿等の安い棚倉街道を通行するようになりました。郡山 に移った額田藩2万石は守山藩となった後も松川(大洗)を有し、棚倉街道の往..

  • 額田高齢者の会、三好会(那珂市額田の中原昌幸会長)は2月10日(水)午前11時、今年初顔合わせの会を開きました。参加者26名と顔ぶれがそろった。これをもって今年度の活動は終えたが多数の新規加入者ができ、今後の活動も期待できる。今年度の活動はカラオケ大会の親睦、自転車競技、ボランティア清掃(額田城跡、額田神社、きだまり)等で幕をとじた。

  • 常陸太田市史を読んでいて、額田に関連する長久保赤水の七友立川敦美に当たった。那珂市史には単に原好誼軒の師であると書かれていたから繋がった。物事は裏から見るとすべてが繋がる。原好誼軒は白羽生まれで原家へ養子に入ったのである。そもそも婿入りする前から立川は師であった。明治に入って最初の代議士も立川だとすると常陸太田を長きに亘ってリードしてきた一族だね原好誼軒は久慈郡白羽の渡辺家に生まれ、寛政5年に額田..

  • 大和田内記の金砂日記は江戸の初期秋田から佐竹藩の使者が調査のため常陸の国へ来た時の資料である。それによると、常陸太田の久昌寺のあるところに佐竹菩提寺天徳寺は存在した。佐竹の秋田移封後、佐竹色を消すため久昌寺を建立したものと思える。(常陸太田市史より)

  • 1591年額田城落城佐竹氏の北家、南家の叔母からの密使の手引きで久慈郡太田村天徳寺に逃げ込む。1462 年(寛正3年)当時の佐竹家当主佐竹義人(義憲)が夫人(佐竹義盛娘)を弔うため、常陸国久慈郡太田村(茨城県常陸太田市)に創建した。1590年(天 正18年)、水戸霊松山(水戸市宮町、現在の水戸東照宮所在地)へ移転。1602年(慶長7年)、佐竹氏の転封に伴い、出羽国秋田郡楢山村の楢山(現在の 金照寺..

  • 戦後パチンコ店が何軒も那珂市額田にあった。額田十文字近辺に3軒、北郷新道に一軒とあったのである。当時、在日朝鮮人の人たちが経営していた。ここで、足利時代から江戸期を振り返り、朝鮮との交易について、述べてみたい。額田城が出来た時代、対馬に宗氏がいて交易が認められ、大名たちも朝鮮を通じ、中国の者が手に入った。勘合貿易に準じた交易があった。14世紀末の朝鮮半島では、李成桂(り せいけい、イ・ソンゲ)が高..

  • 那珂市観光かるたの応募が数日の間に水戸から、戸崎からと続々と届いている。かるたの内容は次のとおりである。お静さんと呼ばれる社に 歴史あり 友好の糸をたぐれば 戸崎城静織の里に今年も桜花萬姫の幸せ願う親心常陸野の古代を織りなす静織の里八重の桜 咲くころはうららうららの静の峰四季折々の色と香りを楽しませる茨城県植物園正門 楼門 唐門の参道奥に常福寺そびえ立つ一乗院の毘沙門天花の寺 一乗、弘願 文殊院南..

  • 茨城の観光地化を目指す額田城跡保存会『武藤博光会長』は那珂市ボランティアの観光かるたの読札募集に賛同し、後援をしていくことが決まった。後援団体は那珂市観光協会についで2団体。読札募集については茨城新聞掲載もあって、水戸市、大子町からの人たちから問い合わせがあった。那珂市ボランティアガイド事務局に届いている読札かるたは次の通り。 四季に咲く花が彩る県植物園 二十歳にてその法を知り、根本正の偉業を知る..

  • 棚倉街道は2通りある。江戸時代から棚倉街道は青柳渡しと枝川渡しを渡る街道である。なぜかと言うと枝川のほうが海への回漕が便利で荷物を運べたからである。塙の徳川将軍家の天領や水戸も副将軍家で江戸住まいであり大量の食物や木材は那珂川より海で江戸へ入った。青柳渡しは上町道といい、水戸城から西へ向かい、那珂川を青柳に渡り、五台、菅谷宿を通り、杉をとおり高岡、坂下。枝川渡しは下町道で水戸城からすぐに那珂川をわ..

  • 1591年に額田城を陥落する佐竹義宣であるが同年33館の領主の謀殺等を経て、常陸国統一を果たし、水戸に入城。街づくりや水戸八幡宮の建設にとりかかった。梅香町は家臣の岡本梅香斎の名を取って今でも梅香町と言われている。『茨城新聞社 奥七郡からの出発 富山章一氏』から引用。

  • 1月16日において茨城新聞に那珂市観光かるたの読札募集の記事が掲載されている。観光ボランティア会長小田部一彦宅が事務局で申し込み先は電話番号090−2412−8305(後援 那珂市観光協会)5−7−5調でも自由ですが22字を限度とする。観光かるたの一人5首を基準としての募集である。白鳥が今年はまだかと古徳沼壺焼の焦げるにおいの 囲炉裏端金色の観音輝きて甍もまぶし びるしゃな寺有が池 コウホネの花 ..

  • 文化財愛護協会の民俗部会では2月に那珂市中央公民館にて民俗部会としての発表会を行う。昨年7月に開催された額田まつりの前に実際に額田の屋台山車を見学しようとの意図のもと、6月29日に観光ボランティア那珂の説明を聞きながらの内容把握を目的としたもので歴史的遺産の逸話等を交えての発表ならびに7月25日の額田まつりの内容と事前に開いた額田まつり今昔物語展の内容が茨城新聞のDVDを用いての発表となるという。..