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2019年09月21日(土)

仏教を考える お彼岸に際して 観光ボランティアガイド那珂

9月20日に彼岸入り、お彼岸となる。ここで、改めて日本の仏教を考えてみる。
 仏教とは釈迦により開かれた宗教。その目的は悟りを開いて、苦悩を捨て去り、ブッダになることにある。悟りを開くと言ってもお釈迦様は相手の素質や境遇に合わせ説き分けるという方法を選んだ。一人一人が異なる言葉で教えを受けた。お釈迦様の時代には万人に共通な経典はなかった。お釈迦様の亡きあと弟子たちはお釈迦様の言われた言葉それぞれの解釈を書き残し、3000という膨大な経典ができたといってよい。やがて、仏教は数多くの経典とともに、中国に伝わっていく。中国は儒教のくにであり、多くの学派があり、子弟の関係でなりたっていた。同じように仏教も師弟関係にあり、学派ができていった。これが宗派であった。日本に仏教が伝えられたのは飛鳥時代であり、中国から朝鮮半島の百済を通じて伝来した。当時の仏教はこの百済仏教であり、ほかの宗派までなかったのである。やがて、奈良時代になると中国から6つの宗派が輸入される。これが南都六宗であり、法相宗、華厳宗、律宗、三論宗、?舎宗、成実宗である。この時代は宗教というより経典解釈の学問の域を出なかった。平安時代になるとただ学問では飽き足らず、日本流のアレンジを加え、衆生を救おうという二人の僧が現れた。それが最澄と空海である。
最澄と空海は遣唐使の一員として中国へ渡り、当時、中国で流行していた密教の要素を取り入れ、日本に持ち込み、日本オリジナルの最澄が806年に天台宗、空海が816年に真言宗を開いた。ここから仏教界は急速に加速し、平安時代から鎌倉時代に新しい宗派が誕生した。1117年良忍が融通念仏宗、1175年法然が浄土宗、そして、鎌倉時代に入り、1191年に栄西が臨済宗を、1224年、法然の弟子親鸞が浄土真宗をひらく。1227年には禅宗の臨済宗に続き、道元は曹洞宗を開く。1253年に日蓮が日蓮宗を、1274年に一遍が時宗を相次いで開いていく。江戸時代、隠元により1661年に黄檗宗が開かれ、日本仏教の代表的13宗派が出そろうことになる。ここで、江戸幕府は民衆に大きな影響を与える仏教教団を統制する本末制度を導入した。小さな寺院を末寺、大きな寺院を本山とし、全国にある末寺を本山の基に管理させ、勝手に寺を新たに建立することを禁止した。加えて、「檀家制度」を実施し、庶民はいずれかの寺に所属することになり、戸籍の原形のようなものが完成した。この管理のもと戦前まで新しい宗派を興すことは禁止され、13宗56派が確立された。
 ところで、奈良の東大寺に大仏に代表される仏像、右手は5本の指を開いて前に向ける「施無畏の印」を結び、人々のあらゆる恐れを取り払うという意味で、左手は同じような形で膝の上に乗せる「与願印」と言い、人々の願いをかなえる印だという。仏教の世界には五戒という5つの戒めがある。生物を殺してはならない。盗んではならない。色欲におぼれてはならない、うそをついてはならない、酒をのんではならない5つである。
彼岸での新たな学習で気も晴れ晴れである。