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茨城県那珂市額田の観光案内(額田城・額田藩・神社・寺・祭り等の名所・パワースポット):額田城跡保存会

額田城想定図
有が池側から見た額田城
額田七運観光パワースポット
茨城県那珂市の額田城跡の空撮写真
茨城県最大の城跡 「額田城跡」
悠久の歴史のふるさと那珂市額田の観光案内

茨城県那珂市額田の額田城・額田藩等名所・パワースポットの観光案内ニュース


  • 6月18日額田城跡清掃をおこないます。街づくり委員会の協力がえられます。午前8時の集合となります。

  • 5月21日、額田地区市民運動会が好天の中、開催されました。例年ですと秋でしたが今年からとなりました。市民と小学校、保育園と合同での運動会はにぎやかに和気あいあいのうちできました。怪我もなく良かったですね。

  • 皆さんは「おもてなし」と聞いて、どのようなことを思い浮かべますか?お宿や観光地のスタッフなど、観光客を直接お出迎えする人たちのものと思うかもしれませんが、観光客が旅行中に接するのは、そういった人たちだけではありません。すれ違う地元の人が明るく笑顔で挨拶してくれたり、地元の美味しいお店を教えてくれたりしたら、那珂市のイメージアップに繋がるはずです。観光客のみなさんに那珂市の魅力を存分に体験してもらい..

  • 那珂市の観光スポットが読札で詠まれた地区は208中58が額田地区で、46が瓜連地区でした。個別では静神社が12、額田城は8、県民のもりが7、額田古墳群が7と言う具合です。寺社が多いですね。なお、読札については歴史民俗資料館、商工観光課、市民協働課、観光ボランテアガイドの手により審査された。この結果から絵札が書かれる予定。

  • 毘う遮那寺の150本の牡丹が満開である。当寺は大般若経600巻で有名、1192年文覚上人の開基、女流俳人中島素嵐の句碑がある。

  • さ萬秀山正法院と号する寺院で,延長元(923)年に平将門の父良将が創建。 創建当初は勝楽寺と号し,律宗で奉仕されていました。その後,貞王2(1223)に佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を,暦応4(1341)年に9代 貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き,同じ寺院内に正宗庵を創建。10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺としました。 勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えたが,正宗寺は佐竹..

  • 表向きは大日本史編纂など功績があった光圀は果して名君であったか。青年期の光圀は今の言葉でいえばぐれていたかぶきものといえる。そして女狂いは60を過ぎても続いたようだ。しかし常陸の国の殿様としては女狂いという価値基準が現代とは違うのかもしれないが。『水戸黄門 鈴木一夫著 中公文庫』からひも解いてみると、……老境六十過ぎても女色寵愛の癖は続き「女色に耽り給い、ひそかに悪所に通い……」と、 若き時代は云..

  • 5月6日、中央公民館で那珂市歴史愛護協会の小林副会長の講演があった。聴講者35名でテーマは水戸黄門と助さん、格さんの実像であった、テレビでお馴染みな水戸黄門であるが子の3名の関わりは大日本史編纂という水戸家の大事業を為さんがための光圀と学者の二人と言う実像についての講演であった。彰孝館総裁を後にやることになる助さん格さん。光圀の史臣と言われています。史臣たちは全国各地に史料を求めて旅をしましたが、..

  • 藩という定義は中国の歴史から来ています。江戸時代表立って藩と言うのは使われませんでした。江戸末期になって使われてきたと言われていますが、儒教の学者は使っていました。それは新井白石でした。『藩翰譜』(はんかんふ)は、江戸の家伝・系譜書。著者は儒者の新井白石で、全12巻藩譜との略称でも呼ばれる。元禄15年1703年成立。元禄13年の甲府藩主の徳川綱豊の命を受けて編纂したという諸大名337家の由来と事績..

  • 佐竹氏は1602年に秋田移封となった。この頃まで常陸の国では領民はわーほいという行事をしていた。鳥追いとかどんど焼きとかうわれた、正月のしめ飾り等を燃やしたと同時に鳥追い行事でもあった。ワーホイ、ワーホイ、今日はどこの鳥追いだ、 鎌倉様鳥追いだ、ワーホイ、ワーホイ、 いのしし、かのしし、かのめに追われれ、ワーホイ、ワーホイ」というはやし言葉であるが私の幼少の記憶では「わーほいだ。わーほいだ。今日は..

  • 鍬入れの行事は額田でも行われていた。1月11日とされた。茨城の行事を読んでたら幼い時を思い出した。畑の真ん中に連れて行かれた。何をするのかと思った。毘盧遮那寺に向かって、大きな声で「からす からす」とどなったことをおぼえている。農家の仕事始めの儀式で広辞苑には『鍬初め:農家で正月の吉日に、吉方(エホウ)に当る畑に初めて鍬を入れ、餅または米を供えて祝うこと。田打正月。鍬初め。』とある。 『カラス、カ..

  • 那珂市協働の提案2年目のホームページおよび看板。ベンチ、幟旗の提案が正式に4月末に受理された。後半50万の助成金が受理された。今後の活動が期待さる。なお、プレゼンにあたった武藤博光会長、お疲れ様でした。

  • 観光かるたの市民協働提案が4月末に決定され正式通知が来た。これにより、観光ボランテア那珂の那珂市観光かるたセットの数百セット、さらに、絵手紙、水墨画、小学生の手作りのかるたも作成される予定である。額田城跡始め阿弥陀寺、鈴木家住宅、額田神社等がかるたに組み入れられる。

  • 4月29日那珂市へ結城からの観光ボランテアのお客様がやってきた。ところで今日も4月26日に続き、瓜連は静神社、静峰公園、常福寺の観光案内。瓜連から一乗院へと向かいボランテア交流の有意義な一日であった。機織りに繋がる結城紬の結城からのお客様。糸で結ばれた。額田城へは時間の都合上来れなかったがパンフレットを手渡し、次回に期待した。

  • 昔はお静さんと言うと静神社を指した。静神社は常陸の国の二の宮で奈良、平安の延喜式の名神大という鹿島、香取と並ぶ静神宮であった。常陸一の宮は鹿島、そして三の宮は水戸の吉田神社である。常陸風土記に倭文の里として出てくる。万葉集に防人として倭文部のから麻呂の名が残っている。火災のあった焼け跡てんぽ年間に銅印が発見され、本殿に収められている。

  • 茨城県とJRの提携の観光ツアーに21名が参加し、那珂市にやって来た。常福寺や静の桜祭りをみながら静神社、手接足尾神社、一乗院等を見物、観光客の意見としていろいろといいところあるのに宣伝不足かな。額田城跡も来てみたい。多数の声に励まされ、意欲も前向きだ。

  • 額田城跡保存会(武藤博光会長)は4月22日、まちおこしの一環として額田城ののぼり旗100本を製作するための提案を提出した。額田城、額田藩の名産物の冠銘柄品の振興策でもある。引き続きベンチ、看板やホームページ費用も出された。積極的提案が注目される。同時に観光かるたも注目される。

  • 本日、額田びる遮那寺の牡丹が咲いた。この花を見に常陸太田、日立から7名の観光客がおとずれた。牛久の神谷ミュウジアムに訪問の集合場所でもあったのだ。牛久もシャトーが震災の傷跡はあるもののシャトー正門、レストランは復旧していたし、庭園の池のコイも元気に泳いでいた。懐かしの蜂ぶどう酒をお土産に帰宅の途についた。

  • 4月16日、会員多数の参加をもって総会が終了しました。昨年は市民協働の一貫としてホームページを立上げ各方面から評価も高まりつつあります。また、街角案内人のTシャツもでき、4月2日、3日の両日、阿弥陀寺の桜祭りで額田城跡に誘導する作業に早速着用し活躍をいたしました。今年度の活動は城跡整備、額田観光スポットの看板立ち上げ、各種講演、機関誌『額田城跡』の発行等活動をしてまいります。また観光ボランティア、..

  • 東日本大震災の東北の被災地に5年も野菜を送っている仲間がいる。額田の畑で8名で耕作しているが何でも、4月に高校を卒業して50年を迎えたそうだ。4月16日に常陸太田市交流センターで太田一高在校生性や卒業生を含め総勢1000名をもって、卒業50周年記念式典が開催された。その卒業生の感想文が手に入ったので紹介したい。われわれにとって節目の太田一校卒業50周年が終わった。記念式典での来賓の方々、生徒会や代..

額田城周辺VRツアー


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