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2019年07月22日(月)

苗字家紋のおこり

額田は他村に比べ、苗字や家紋の数が多い。それだけ人口の流入があったことを意味する。ここで名字と苗字について述べてみます。
名字のもととなる氏姓制度は大化の改新後、出てまいりますが一般に導入されたのは貴族が平安時代となり京都の道筋の地名や寺の名を名字としました。一条家。九条家、武者小路家、西園寺家や徳大寺家といった具合でした。武士の台頭により名田開発が進み、その地名すなわち字(あざな)が出てきてそのものの名字として名乗りました。名田の支配者、字の支配者といえます。源氏の源昌義が佐竹の地の佐竹氏を名乗り、甲斐源氏武田発祥地といわれるひたちなか市の武田の地をとって武田義清と名乗りました。常陸太田の太田城を追われ、小野崎に落ち着く藤原氏系の太田太夫も小野崎氏を名乗ります。那珂氏、江戸氏、大塚氏も同様に地名をとり名字とします。名田の連合体を示すのが後の戦国の大名に育って行きます。名田の主は名主とも言われました。その中で名をとらすなどと家来ができ苗字が生まれます。田と苗の関係といえば分かりがいいでしょう。主従関係も明確になりました。額田で多いのは加藤氏、中島氏、渡辺氏、鈴木氏、宮崎氏、寺門氏、武藤氏、関氏、船橋氏等であろう。家紋は九曜紋が多い。これは妙見信仰とつながるかもんである。根本氏、宮崎氏、高畑氏、千葉氏等に見られる。苗字や家紋はルーツを表す。自分のルーツを