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2018年08月11日(土)

山野辺家の墓 水戸藩家老

瓜連常福寺山野辺家墓地がある。東京から同級生が来てその話になった。行ったことないから説明してくれとのことで掲載に及んだ。
水戸徳川家の代々家老も務めた山野辺氏のゆかりの人たちが出羽の国からやってきたわけでもある。常福寺は徳川家康、家光から100石の朱印状により寺領を与えられた。徳川家菩提寺の芝増上寺から常陸国本山の命を受けている。水戸徳川家も菩提寺として保護した。山野辺義忠は出羽の最上義光の4男であったが家督相続の最上騒動で岡山藩に預けられた。のちに許され、家光の幕命により、水戸藩徳川頼房の家老(1万石)となった。と同時に常福寺の旦那となった。境内にある山野辺家5輪塔の墓石は山形から村継ぎにより運ばれたという。義忠の息子義堅も家老職を継ぎ頼房の娘利津を婦人とした。代々家老職を継ぎ、斉昭の時代は義観(よしみ)となる。義観は文政12年(1829)の10月、水戸藩主継嗣問題が起こった。この継嗣問題で力を発揮、斉昭に落ち着くことになり、その後、助川海防城主ともなった。この時期斉昭の娘が山野辺家に嫁入りしており、水戸家とは2代にわたり姻戚関係となった。