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  • 念願であった額田城の歴史講演を開催しました。「額田城に関する歴史」講師 那珂市歴史民俗資料館館長 仲田昭一先生 にお越しいただきました。「先生すばらしいです」。 講演後には芋煮会を開催。参加者は当保存会会員とその知人とさせていただきました、スタッフ皆様の協力もあり賑やかにできました。仲田先生の講演の様子はこちら 講演(1/5)  講演(2/5)  講演(3/5)  講演(4/5)  講演(5/5)..

  • 助さんルートも格さんルートもそれぞれ、みと、太田をスタートし、一関で昼食。水戸から歩いて到着、即、写真撮影の水戸グループ。観光ボランティアガイド那珂の小田部、海野も参加しました。200名の中には中学校の同級生の奥さんが茨城町から、中学の後輩が常陸太田から、職場の先輩が水戸から、知り合いの若手議員さんが議長になっていた。随分時がたったね。高齢者になるとそれなりに知り合いが多くなるのを痛感。

  • 黄門漫遊ウォークから那珂市一関公園での撮影です。大きな印籠の後ろに市長さん、議長さんの顔も見えます。大きな印籠は黄門漫遊ウォークのシンボルです。

  • 黄門漫遊ウォークの花は水戸黄門、助さん格さんの参加である。今年も登場、引っ張りだこで写真撮影に応じていた。写真は長旅と撮影でお疲れ気味の黄門様一行。

  • 菅谷小学校3年生が白鳥がやってきた曲がりや見学、社会科授業で訪問でもある。観光ボランティアガイド那珂の3名 小田部、海野、中原で応じた。兜造りの入り口、龍の謂れ、水の文字で火災予防、江戸時代からの道具の説明をした。みの、高下駄、わらじ、じゅうのう、炭火アイロン、縄編み機、とうみの意味を理解したようだ。囲炉裏の上の燻製のあゆの藁筒を指さし、これが弁慶という。弁慶に矢がささった状況だからだと。5年前居..

  • 額田城跡保存会(武藤博光会長)は11月30日に芋煮会を開催します、講演も予定し、仲田昭一歴史民俗資料館長が予定されています。このほど、額田城おすすめランチが読売新聞のタウンニュースに掲載され、額田城が注目されています。お陰で、本ホームページもアクセス数が増えました。マスコミの力は大きいですね。

  • 11月17日 木崎町カフェを木崎まちづくり委員会(仲田精代表)は木崎交流センターで開いた。オープニングは門部の太鼓の威勢の良いうち音ではじまった。各町内ごとにテントがはられ、老若男女が集い、催しを盛り上げた。

  • 11月16日 水戸歩く会(渡辺代表)46名は額田城跡をおとづれた。額田城跡、額田神社、引接寺等を見学、額田駅から帰途に着いた。観光ボランティアガイド那珂の案内のもと、歩いたが11月の日の短いの中のウォーキングであり、額田全体をみれないのは残念であった。

  • 11月9日、横堀小学校で神崎祭が開催されました。また市民協働課主催のまちカフェも同時に行われ、多くの来場者でにぎわいました。なか環境市民会議では環境市民会議の各委員会で活動している活動状況を周知すべく、パネルに資料を添付して発表しました。また市民・事業者の守るべき行動指針として発表した、「なかアジェンダ21」を来場者に配布しました。11月3日の菅まちカフェでは、ソーラーフード・ドライヤーを展示し、..

  • 待ちに待った額田小祭礼、黄色い額田神社と八幡様の家紋付きの旗が参道を飾った。小室宮司さんの支配で厳かに祭礼が始まった。天狗の面が正面に設置された。氏子の皆さん、総代さんが居並ぶ。額田通りばやしの会の太鼓の演技、額田サタデースクールの子どもたちやお母さん方も参加した。商工会の焼きそばもおいしそう。笠間から郷土文化研究会の方々も見えた。山車や神輿も公開された。いつ見ても素晴らしい彫刻である。

  • 11月3日、額田神社の小祭礼でもある。参道に新調した額田神社の黄色の旗がたなびいている。何本もの旗は見事である。明日は神輿や山車も公開するという。境内の上の町、本宿町、柄目町、新地町の山車がみられる。後藤流等の彫刻は近くで見ると素晴らしい。

  • 久慈川物語で400年に一度の災害がやってくると執筆した。2100年に向けてまさしくその一途をたどっている。気象庁始まっているがまだ100年である。400年周期説を言っても気象庁に記録はない。でも台風19号は確実に関東地方にやってきた。あらいる意味で未経験なのである。茨城を襲来するとなると、今から大きな覚悟が必要だ。山崩れやがけ崩れ、浸水。多くを予測しなければならない。杞憂となっても最善の策を取らね..

  • 本日より3日間、日本でプラスチックごみ排出規制の国際会議が始まった。2050まを目指す会議でその会議に注目が集まっている。将来に向けて、海洋を守らねばならない。地球は一つしかないのだから。

  • 10月は全国の八百万の神様が、一部の留守神様を残して出雲大社(島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと考えられてきました。その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月(かみありづき)」というわけです。また、「神無月」の無を"の"と解して「神の月」とする説もありますが、「神無月」も「神在月」も、神々が集う大切な月という..

  • 9月20日に彼岸入り、お彼岸となる。ここで、改めて日本の仏教を考えてみる。 仏教とは釈迦により開かれた宗教。その目的は悟りを開いて、苦悩を捨て去り、ブッダになることにある。悟りを開くと言ってもお釈迦様は相手の素質や境遇に合わせ説き分けるという方法を選んだ。一人一人が異なる言葉で教えを受けた。お釈迦様の時代には万人に共通な経典はなかった。お釈迦様の亡きあと弟子たちはお釈迦様の言われた言葉それぞれの解..

  • 佐竹義重 第五代 さたけよししげ (1186から1252年) 鎌倉時代の武将、承久3年の承久の乱で活躍、北条泰時に従って、京の宇治川で戦い、自ら、敵の首級をとる活躍ぶりを示した。右兵衛尉、常陸介 66才で死去。父秀義佐竹義重の次男の義直が額田城初代城主である。鱗勝院に祀られていると言われる。佐竹義重は後の世にも出てくるが第五代の義重である。

  • 茨城県植物園の四季は色とりどりの花が咲く。それぞれ春夏秋冬に花が咲き実をつけ、日本の美、茨城の美をつくりだしている。初春の梅、四月の桜、蘭、五月のバラ、6月のアジサイ、夏のユリ、朝顔、冬の椿 多くの花が咲く。そんな四季の花を写して展示会を開催している。植物園の四季というテーマでの開催。9月7日より16日までの9時から4時半までの時間。見る価値はあるね。受付で迎えてくれた大畠、鈴木、栗村さんありがと..

  • 那珂市の宿泊施設はなか健康センター北投の湯の1軒のみです。観光案内をしていてよく聞かれます。このほどリンクを張らせていただきました。昨日茨城県植物園を訪問し感動、リンク集に入れさせていただきました。茨城県植物園の展示スペースにて写真展や盆栽展が行われるとのことです。現在は植物園で写真を撮ったグループが植物園の四季として出品しています。自然の姿の植物や生物(鳥)のまさしく生きている姿を主張している姿..

  • 曲がり家の文化 小田部一彦 商工観光課や市民課からの要請で曲がり家への案内、オークリッジからの中学生が来たり、白鳥のシーズンに合わせ、多くの小学校が曲がり家見学にやってくる。那珂市役所の向かい側に移築された『古民家』曲がり家は建築が1862年であるから、150年を超えている。1680年が桜田門外の変であることからもその時代背景を考えるとき思いも複雑である。その8年後明治維新となるわけで、その古民家..

  • なか環境市民会議の活動で生物の保護活動がある。植物を主に行っているが茨城県植物園では野生の動物の保護活動をしている。 9月7日、茨城県植物園で猛禽ふれあいの催しが開催された:野生鳥獣で保護される個数は年間約500に上るという。自然復帰できるように保護活動をしている。自然復帰が無理な個体は終生保護をしているという。野生の鳥獣とのふれあいは関心を高めるべく開催しているという。

  • 8月24日 ひまわりフェスティバルが那珂総合公園で開催されました。なか環境市民会議の各部会も参加し、活動状況を発表しました。環境学習部会は太陽熱利用のソーラーフードドライヤーを展示し、大きな関心を集めました。茨城県クールアース茨城からも参加頂き、うちエコ診断をし、参加者のエネルギー使用状況を見える化し、エネルギー節約にむけた取組を推奨しました。

  • 菅谷延命院大般若経額田郷源成寿丸額田郷小野崎善十郎泰通額田住井野上六郎衛門額田の住井上藤衛門額田住堀口縫殿助額田の住長井重筑額田の住長井重範息女甲子額田の住左籐筑前守額田の住高岡形形部小輔額田住小泉周防守額田住須藤兵庫允通宗額田住内桶次郎左衛門重胤額田内桶丹後守通胤額田の住内桶駿河守小野崎従通花押富岡惣太郎額田小野崎氏家中城主 小野崎従通父  小野崎篤通叔父 小野崎泰通弟  小野崎昭通 額田城最後..

  • 。額田城家中の名前を書きぬいた。1570年代小野崎従通の時代、照通の兄の時代である。【中世那珂台地の領主】からの引用 額田八幡宮棟札、額田毘盧遮那寺、菅谷延命院の大般若経寄進者より書きぬいたもの。菅谷延命院大般若経額田郷源成寿丸額田郷小野崎善十郎泰通額田住井野上六郎衛門額田の住井上藤衛門額田住堀口縫殿助額田の住長井重筑額田の住長井重範息女甲子額田の住左籐筑前守額田の住高岡形形部小輔額田住小泉周防守..

  • おのざきよりみち 小野崎昭通の兄で剃髪し徳月斎と号す。男子がなく、弟昭通が跡目を継ぐ。従通は那珂西郡大山郷の旧跡大山草庵を引き継いだ大山禅坊阿弥陀寺を額田城中に招聘している。永禄年間(1557年から1570年)の事である。阿弥陀寺の寺伝の1392年と不一致でもある。従通の生存年代から誤りであることが分かった。【中世那珂台地の領主】より引用。当時、菅谷福田村は額田領であった。従通の福田蔵人に宛てた官..

  • 1557年、額田東郷に楢原山上宮寺が創建された。。従来明法房が作った道場を上宮寺と名付けた。1583年、本米崎の松原に移る前のことである。創建者は明法房である。親鸞の19番の高弟であるがその昔山伏弁円と言って板敷峠で親鸞を待ち伏せした。そんな話が残っている。そもそも、楢原の谷は常陸大宮にある。常陸大宮市に法専寺がある。法専寺の創建者は弁円。山伏弁円が板敷峠で親鸞を待ち伏せし、失敗する。稲田の草庵で..

  • 額田大祭礼の23年前の画像です。高岡町が最後に山車をだした貴重なビデオが見つかりました。その時は古宿町、搦町、高岡町の3町内の山車でした。高岡町は坂を上がってくるので大変なのです。

  • 額田城跡は自然がいっぱい。198種もある中で群生はウバユリだ。この群生は那珂市の天然記念物候補と言える。何百本あるだろうか。その白い緑の花は何とも壮観である。

  • 毘盧遮那寺の境内を散歩 お施餓鬼法要の案内が出ている。いよいよお盆だ。額田でも4つのお寺がお施餓鬼をやる。お盆の前に草取りだな。日本の慣習としてある「お盆」を迎える前に、ぜひ、知っておいて頂きたいのが、「施餓鬼(せがき)」です。 宗派によっては寺院でお施餓鬼の合同法要が行われます。 菩提寺やお葬式でお世話になったお寺から初盆の読経と合わせて、施餓鬼会の案内が来ることも多いでしょう。 また、施餓鬼(..

  • 連日額田大祭礼の特訓だね。笛や太鼓。何処に売ってるって。小松屋太鼓店だ。水戸の平須町にある。メンバー変わるから公平を考えちゃう。一度法被着ての練習もいいね。雰囲気出るしね。額田だから額田城陣太鼓もやってよ。

  • 個人会員はワンコイン500円で入会できます。那珂市の自然観環境を守る。のみならず日本、世界の自然環境を守るという観点に立って地球規模での取り組みが話題となるこの頃です。産業の発展とは裏腹に知らず知らずに、環境は破壊されつつあります。また国際化は生物の世界にも大きな影響を与えていきます。特定の生物が移入することにより、従来の生物を駆逐するという現象も放置することはできません。このため諸問題に対し連携..

  • 「誰がやったんだっぺふしぎだな?」「ほんとだ。」原前会長との会話だ。本丸と二の丸の間の池にアジサイが浮かんでるんだ。びっくりだよ。

  • 水戸城はb29の爆撃で焼失した。再建されればいいのにね。

  • 水戸城大手門は先の大戦で焼失した。戦前の水戸城の写真を下市に住んでいたという知人が持ってきてくれた。大手門は現在再建中である。往時を偲んでの水戸城大手門である。次回は水戸城本体の写真だ。ご期待ください。

  • 茶は服のように点て炭は湯に沸くように置き冬は暖に夏は涼しく花は野の花のように生け刻限は早めに降らずとも雨の用意相客に心せよ当たり前のことをきちんと実行するのだそうだあの千利休の言葉である。しみじみとこの文を読む。一言一言が味わいがある。こんなゆとりを持ちたい。

  • 江戸時代の昔から額田まつりは行われた。大正13年まで平磯の磯前神社まで磯出をしていた。19年には13台の山車が出た。乗り手は芸者衆であった。一台に5から6人の太鼓の叩き手がいたという。多くの山車は明治初期にできた。戦後中断をしていたが3年に一度の大祭礼として開催されるようになった。那珂町史には祭りはある集団がその運命の重要な時期にその集団の守護神を迎え、その前に総力をあげて、食物を供え、また唄舞を..

  • みんなが集まった。太鼓じゃなくタイヤをたたいて練習する子、上級生に交じっての練習光景。早く上達したいな。休み時間はゆっくり休もう。いい塩梅にたたくと皮が破れるぞ。昼間太鼓屋さんで破れる太鼓を説明された、太鼓って高いんだって、大事に使おうな。

  • 7月24日7時より額田チルドレンズホームにおいて額田五区の子どもたちが太鼓や笛の練習に励んでいる。地元の伝統芸能を学ぼうと必死だ。3年に一度の額田まつりにあわせての伝統の額田通り囃子が宮崎昇一指導者の下夏休みに入って猛特訓である。

  • 有が池側の捨て曲輪の図をふくめてダイヤモンド社編集の額田城跡記事に掲載されたイラストである。よく描かれている。

  • 2年もたつと、額田城へようこその旗も風に引き裂かれてしまう。2年しか持たない。まあたらしい旗が付け替えられた。真っ赤に夏の緑に映えている。今年もたくさんの人が訪れればいいなー。みんなの願いを込めた旗が観光客を待っているのだ。

  • ユリが満開だ。そこここに白いユリがが咲き乱れる。二の丸の本丸の境の林の中だ。方々に咲く花。50はつけているだろうか。その白さが夏草に映えている。何とも言えない光景だ。

  • このほど日本赤十字の茨城支部の発行史から秋山みよの写真を入手した。秋山みよ 額田の偉人  秋山みよ 日本赤十字社発行 『百年のあゆみ』より秋山みよ(日本赤十字社本部病院看護婦長)那珂郡額田村額田東郷11番地に生まれる。明治22年7月26日明治41年4月救護看護婦生徒として日本赤十字社本部病院養成所に入所し44年3月卒業した。同年4月に本社救護看護婦として採用され本部勤務を命じられた。大正7年3月に..

  • 朝からしんぱいだった。草刈りが数日前にあったというから。函館コウホネは天然記念物。額田コウホネも有賀池の用水路にたくさんあったが新しい用水路ができて絶滅の危機がある、きれいに刈ってあるではないか。やばい。一個だけ黄色い花をつけたコウホネを見つけた。今年もやっと咲いた。何よりも残さねばならない植物だ。i

  • 夏の植物が開花する季節である。2の丸、本丸の状況を確認したい。特に群生するうばユリの開花状況だ。朝からカメラ準備。あじさいは終わりかな。河骨はどうかな。

  • 佐川華谷は慶応3年(1867)米崎村に生まれた。旧水戸藩士松平雪江に師事した。その後、辰の口の野沢白華の門人となり茨城県巡査をやりながら絵の制作に励んだ。明治37年(1904)師の白華が死去しため上京して小室翠雲に師事し、荒木十畝とも交流した。大正9年の第2回帝国美術展に初入選し、入選作品が宮内庁御用品となった。その後も帝展や茨城県美術展(無鑑査)出品し、創作活動に励んだ。華谷の「冨獄図」は県に寄..

  • 額田神社も磯出をしている。矛を競い礒前神社にむかった。鈴木為助氏が書いた額田大祭礼絵図にはそのような分がみうけられる。この話をしたら高校の同級生が真弓山神社もしていたという。光圀の指示に従ってやっていたという話だ。常井君の磯出について紹介しよう。真弓山もかっては東、西両金砂山と一緒に日立市水木浜に磯出していた。その後、真弓山は正徳5年(1715)の第13回からは磯浜(ひたちなか市の平磯浜)に磯出を..

  • 僕たち、なつやすみになったかな。環境問題について勉強だよ。環境問題ってなんだろう ?人間が活動することによって、地球の環境に変化が生じて起こるさまざまな問題のことです。地球温暖化や、ごみ問題、大気汚染(おせん)、土や水の汚染、生物多様性の喪失(そうしつ)などがありますが、それぞれの問題は決して無関係ではありません。たとえば日本は世界の国々からたくさんの物資を輸入していますが、運ぶのに多くの化石燃料..

  • ・妙見信仰とは妙見信仰とは北極星または北斗七星を神格化した、尊星王、北辰菩薩、北辰尊星妙見菩薩に対する信仰を指します。北極星は方向を指し示すことから、紀元前数千年前よりアッシリアやバビロニア、中央アジアの人たちを中心に盛んに信仰されていたといわれ、古代中国においても、北辰信仰は紀元前二千数百年前の「史記」にはすでに記録されており、七夕祭りのルーツである牽牛織女けんぎゅうしょくじょ伝説は、牧畜に携わ..

  • 苗字の基本形は「6大姓」は,山,川、海、田、神官、武士である。そして、基本は、源氏、平氏、藤原氏、橘氏を源流としている。額田近隣を例に「山族」は、たとえば 秋山、山崎、大山、坂本、柴山、横山、澤山、平山、住谷、根本、榊原、椎名、大森、富岡 、松本、中原などであり、 「川族」は小川、中川、助川、大沢、河合、石川、箕川、鶴川、清水,川又、黒澤、小沢、佐川、舟橋、小河原など「海族」は北島、中島、小島、磯..

  • 額田は他村に比べ、苗字や家紋の数が多い。それだけ人口の流入があったことを意味する。ここで名字と苗字について述べてみます。名字のもととなる氏姓制度は大化の改新後、出てまいりますが一般に導入されたのは貴族が平安時代となり京都の道筋の地名や寺の名を名字としました。一条家。九条家、武者小路家、西園寺家や徳大寺家といった具合でした。武士の台頭により名田開発が進み、その地名すなわち字(あざな)が出てきてそのも..

  • 棚倉街道は1249年に初代佐竹義直の時代どうだっただろうか。高岡から鱗勝院のある近辺が額田城だとすると、高岡から小堤に上がり、三軒ちょうを通り、古宿番場の八幡社を通り、舟渡へ行き、久慈川を渡った。寺は観音寺、遮那寺、天神様があった程度だったと思われ、天台、真言、修験の寺があった程度ではない。のちに鎌倉仏教が続々とできるが、それは小野崎氏の時代になってからだろう。佐竹時代は山の神に対する信仰は民間信..

  • リンク集の茨城県観光案内の茨城VRツアをみて面白い画像がてんかいされる

  • 本日の額田城跡奉仕作業に、第二自治区および額田地区以外の有志の皆さんを含め30名以上のご参加を頂きました。 二の丸周辺の草取り、本丸の草刈、遊歩道の草刈および遊歩道階段の土盛り等の作業を行いました。雨上がりの非常に湿度の高い中、たいへんご苦労さまでした。■額田城跡の花々 保存会のメンバーが年間を通じて写真に収めたものを動画にしました。これらの花々は、2019・7月の会報に掲載されます。https:..

  • コンビニエンスストアで目に付くのは必ずといっていいほどビニール袋をくれる。その便宜性からかスーパーではバッグをもっていってもコンビニ客はビニール対応である。紙袋だったり、バッグ対応の意識が必要なんだと思う。この頃私は雨の日以外はビニールをもらわないようにしている。暖かいものと冷たいものと分けますか。2枚もくれる。暖かいものはその場で食べる。ひとりひとりが注意すればビニールを使わなくなる。資源として..

  • プラスチックごみが問題となっている。このまま放置するととんでもないことになる。[??海に大量に流れ込むプラスチック??] 今日、海に年間少なくとも800万トンものプラスチックごみが流れこんでいて※1/※2、これをジャンボジェット機の機体の重さに換算すると、1年間に5万機分の重さのごみを海に捨てていることになります※3。 海には既に1億5,000万トンものプラスチックごみがあり※4、2050年にはそ..

  • 冲方丁の著書 光圀伝に頼房の4男としてしばしば登場する。光圀の弟である。光圀伝では長男とのかかわりが大義の実行として多く取り上げられているが額田生まれのものとしてはもっと佐竹監視の西山荘との絡みで額田藩を描いてほしかった。松平頼元1629−1693 江戸時代前期の大名。寛永6年7月14日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩主徳川頼房(よりふさ)の4男。寛文元年兄光圀(みつくに)から2万石を分与され,常陸額..

  • ル 小学校揺籃期と私たちの小学校の頃明治5年学制が発付され、教育の理念と制度の上で大きな転換をもたらした。文盲率からしても読み書きができるのが武士や有力商人の子弟に限られた、藩校や寺子屋が国民全体が一定年齢が来れば就学できるという制度は画期的でもあった。ただすんなり受け入れられなかったことも事実であった。小学校へ入学できる年齢は家族にとっては労働力の一部であったのである。それが一定時間、拘束される..

  • 梅乃家 このほど額田藩の存在がクローズアップされてきたことを契機として地元の観光原資を宣伝すべく商品開発をしてきた。額田藩の当主が徳川光圀の弟である松平頼元であることから光圀も額田に隠居ならぬ書院を構えた。これが県指定文化財鈴木家住宅『鈴木御殿』である。水戸藩らーめんとしてラーメンが有名だが水戸に6カ月しか滞在していないことをもってすれば隠居した10年は常陸太田の西山荘にいて娘の嫁ぎ先である額田の..

  • 観光ボランティアガイドの小田部一彦はこのほど茨城県郷土文化研究会の発刊誌に投稿した。全文は次の通り久慈川物語 那珂市額田  小田部一彦 茨城県北部には久慈川が北西から東に流れ太平洋に注いでいる。江戸時代の流路変更により今の久慈川に近い形になったが、戦国時代は蛇行を繰り返し、多くの河岸段丘を作り出していたといえる。常陸風土記によると日本武尊が河岸段丘の一つを指さし、鯨の頭のようだといったことから久慈..

  • つくばマルチメディア様の協力により、【那珂市の観光名所・おすすめ観光スポット案内VRツアー】が完成しました。360°の空撮ツアーをお楽しみ下さい。→那珂市の観光名所・おすすめ観光スポット案内VRツアー(外部リンクです)

  • 環境市民会議なかは6月に入り、昨年に引き続き、オオキンケイギクを那珂市本米崎地区で除去作業を行った。高速道路付近できれいに除去した。オオキンケイギクは外来特定の生物で植えてはならない植物です。黄色い可憐な花ですが、繁殖力が旺盛で日本古来の植物を侵食します。皆さんも気が付いたら除去しましょう。

  • 額田城跡の二の丸駐車場に、プランターを設定しました。「いきいき茨城ゆめ国体那珂市実行委員会」主催のもと、プランター花苗育成の協力をさせていただいております。本プランターは、本年開催される茨城国体馬術大会に向けて、たいせつに育成します。開催時期には、馬術競技会場、もしくは近隣の駅等に設置します。看板には、額田城跡保存会の賛助会員様の名称を掲示させていただきました。

  • 令和元年6月茨城県立図書館に本部をおく茨城県郷土文化研究会はこのほど研究会誌60号を発刊した。那珂市から投稿は根本正に関する研究が会沢義男氏、久慈川物語が小田部一彦により執筆されている。今回は創立60周年記念誌でもある。

  • 本年度も、当額田城跡保存会活動にご賛同頂きまして、セブン・イレブン記念財団様より助成金を頂きました。おかげさまで刈払機を購入しました。

  • 本日、いきいき茨城ゆめ国体那珂市「花いっぱい運動」での馬術リハーサル大会におけるプランター花苗植えのボランティアに参加しました。那珂市いばらきゆめ国体2019はこちらhttp://www.city.naka.lg.jp/page/dir004228.html 本年6月に開催されるいきいき茨城国体馬術リーハーサル大会まで1月となりました。多くの選手や観覧者が訪れることから、会場となる茨城県立水戸農業..

  • 額田城跡保存会の総会が開催されました。役員、有識者、市議(古川様)、会員等多数出席のもと、以下について報告、協議されました。1.平成30年度事業報告2.平成30年度決算報告3.平成30年度会計監査報告4.令和元年事業計画5.令和元年予算6.役員の一部変更7.その他会員の皆様には、別途、詳細は、総会資料にて配布しております。なお、本年度のボランティア、管理作業の日程については、こちらhttps://..

  • 太陽は自然界をリードしてきた。日光・月光・星光を三光といい、農耕を営む人々は敬ってきた。五穀豊穣を願い雨乞いと称し、雷光をも呼んだのである。作物に光を与えるこの光を、稲の妻としてイナヅマ、イナピカリとも呼んだのである。長い歴史の中、日本民族の歩んだ道、自然界の光を忘れてはならない。それは人々への光でもあることを。それを受けての人々の間の光であることを。その光の根源は、思いやりと感謝ではなかろうか。..

  • 額田で昔から言い伝えられている七運汁、このほど、海野寿江さんを中心に活動している『食の教室ライス』は菅谷小の子どもたちとともにレシピから実用化し、七運汁の料理を試みた。昔から七運汁は『ん』のつく食材が運に繋がる縁起のいい食物とされ、伝承されていた。このほど、子供たちのために現代的七運汁がかいはつされ披露された。だいこん、にんじん、レンコン、ゴボウ(ごんぼう)、カボチャ(南瓜)、こんにゃく、ねぎ(グ..

  • 1月24日 10時30分 曲がり屋へ到着。観光ボランティアガイドのメンバーが説明。160年前、この曲がり屋が建てられた。その時代、桜田門の変が起きた。士農工商の身分制度があった時代。アメリカではリンカーン大統領の時代だ。奴隷解放宣言が出されたころだ。日米の間でこんなにも差があったのか。木崎小3年生、熱心に案内を聞き質問した。その当時から使われえた道具に興味を示した。へっつい、うまや、とおみ、囲炉裏..

  • 今日は晴れ、一関には白鳥、かも、かわうが羽をやすめている。横堀小学校は10時半、10時に瓜連保育園がやってきた。インフルエンザは大丈夫だったようだ。マスクをしての風邪予防。観光ボランティアガイド那珂の3名もマスクをしている。昨年もこの時期インフルエンザで中止を余儀なくされた。昨日の菅谷小は学級閉鎖で31日に延期だ。ランプやじゅうのう、炭ツボ、箕の質問があった。説明にへっついにひをくべると。くべるが..

  • 今週も一関のため池に白鳥は羽ばたいている。観光ボランティアガイド那珂のメンバーは連日のまがりや案内に大忙し。明日は横堀小、あさっては木崎小だ。白鳥も毎年、増えている感じだ。炭火アイロンやガラコン、さおばかり、唐笠、鍵ずるし、弁慶、じゅうのう等今の住宅にはみられない逸品だ。写真は説明をきく小学3年生たち。

  • 1月16日から曲がりや社会見学学習が.はじまった。那珂市の小学校を対象とした講座、芳野小学校、瓜連小学校の3年生が受講。曲がりやの歴史や道具等の学習をした。棟飾りの龍のじは家の繁栄を祈ったこと、水の文字は防火をいのったという。曲がり屋の池には30羽を超える白鳥がやってきた。曲がり屋が建立されたのが1862年であり、桜田門外の変の2年後であり、アメリカの大統領はリンカーンだった。62年奴隷解放宣言が..

  • 高校の同窓に会沢健二くんがいる。東北の居酒屋でからむしと書いた板を見つけたとかいている。青森ヒバの板に書かれたとある。青森ヒバについては中学の同窓の棟梁が神社を作るのに使ったと書いたばかりである。高級な木材なのである。一昨年だったか倭文織(しずおり)の会の田中会長さんからからむしで織られた掛け軸を見せられた。夏草であるが繊維が細く強い。72歳になるが最近いろいろと教えられることがある。画像は仙台の..

  • 額田の方言 最新版です。 あ あんべわるい 体の調子が悪い。体調がわるい。 あったらもんだ もったいない。あんぽんたん 馬鹿にした言い方。馬鹿 あっぺ あるでしょうね。あずっこい 厚い あじい 熱い 青馴染み 青あざ あっぱとっぱ どうしてよいかわからぬ不安定な状態 あくどい 狡猾な あます げろを吐く あったがい 暖かい あーだこと あんなこと  頭かる 床屋へ行くい いしこい いしけえ 悪い。..

  • 年頭所感 昨年末は殊の外、寒い日が続きました。年に数回の大寒波が日本列島を覆い、交通機関にも影響が出ました。一年間を振り返ってみると、西日本のや北海道で記録的な豪雨が襲い200人を超える死者が出ました。世界的にも異常現象が見られ、気候変動の一因と思われます。 なか環境市民会議でも、一昨年、策定いたしました「なかアジェンダ21」の普及啓発に取り組んでいますが、市民への浸透はまだまだです。自治会、各種..

  • 梨の礫や熟んだ柿をつかった果物のことわざがある。梨のつぶては 〔「投げた小石のように帰ってこない」の意。「梨は「無し」かけたもので返事のないこと。たよりのないこと。 「いくら聞いても返事のないこと。熟んだ柿潰れたでもねえ。熟んだ柿が潰れるははっきりしないさまを表す。よく祖父に言われたことがある。はっきり返事しなかったり、態度を表明しなかった時である。平将門にでてきた。茨城の方言である。

  • 皆様、あけましておめでとうございます。昨年はまた皆様方のおかげで充実した活動を展開することができました。金が信念は2020年に向けての五輪金メダルをもじったものです。いよいよあと一年でその年がやってきます。本HPは額田城跡保存会、環境市民会議なか、更には観光ボランティアガイド那珂の合同で運営されています。昨年は多くの方が額田をはじめ、瓜連やその他の那珂地区に訪問されてきました。多くの方々が年々お客..