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豊後の2孝女が常陸太田市で話題になっている。額田にも江戸時代の協力者がいた。豊後の二孝女が常陸の国から大分に帰るにあたり、関わった人が額田にいる。相阿(常念寺 住職)、政順(鈴木左内)、酔自庵(鈴木市兵衛)、紋女(加藤善兵衛の妻)、額田駅占春亭(原邦明)の五人である。これは大分県臼杵市の川野勝行氏蔵の和歌や俳句である。それぞれの歌が保存されていたのだから奇跡である。後に確認後披露する。この方々はお..
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12月25日午後5時より例年通り、額田城跡保存会蕎麦会を20名で額田中央公民館で開催されました。年末にあたっての反省と評価をし、新しい抱負が武藤博光会長から述べれました。続いて広報の小田部より今回のホームページの内容報告があり、そばを食べながらの歓談し、2時間で終了しました。
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額田城街角案内人による観光客案内情報。12月17日、額田城へ観光客がやってきた。額田城から柳沼パパイヤ農園そして上宮寺、三島神社、そして遅いお昼を取った。本米崎の元屋敷の精進料理だ。元屋敷には地元出身の佐川華谷の水墨画もさることながら、板垣退助、大隈重信からの手紙のあるのにはびっくりだ。当時の根本正衆議院議員からの手紙や郡役所からの手紙も残っている。天狗諸生の乱の刀傷も床柱にみられた。何と歴史的に..
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額田城跡保存会では額田藩観光七運パワースポットの企画を考案し、看板指定をし、観光客の誘致を考えています。額田藩、阿弥陀寺、引接寺、鱗勝院、鈴木家住宅、びる遮那寺、額田神社【鹿島八幡神社】です。
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那珂市観光かるたに額田城や周辺地区の歴史的遺産を5−7−5の句で応募し、額田城跡を知ってもらうという目的で皆さんに応募することをお勧めします。例 あー有が池 コウホネの花 咲きかおる。 しーしののめの 空はたなびく 額田城 ほー堀のなか 筍生えて 散歩道 ぬー額田城 昔をしのぶ 赤とんぼ広報 観光ボランティアなか 事務局 090−2412−8305
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地域の観光地や自然、歴史遺産【寺社仏閣や古民家等】俳句や川柳でもいい。5−7−5で読札作ってくださいね。額田神社、額田城、静神社、根本正、桜の木、大杉、もちの木、古徳沼等なんでも結構です。例る 瑠遮那仏 観音の空 輝きてさ 桜田門 世直しの剣 静の人歴史遺産、自然、観光地 那珂市ゆかりの人 なんでも結構です。ハガキにて観光ボランティアなか事務局まで応募して下さい。 事務局 09024128305 ..
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この問題は日本国憲法も絡む大きな問題だ、直接民主制と間接民主制。昭和30年まで直接民主制の村民総会が行われていた地域がある。地方自治法94条、95条は直接民主制も認めている。一橋大学の杉原泰雄理論は必ずしも地方自治の決定権において当然ながら議会の決定でなくとも重要な案件については住民投票による直接民主主義による決定を認めている。間接民主制の前提となる選挙による投票率はほぼすべての住民が投票すること..
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本田恒虎は慶応2年額田村北郷に生まれた。昭和の額田村村長の本田魁介氏の伯父であった。額田小学校を卒業後、司法省法学徒を拝命、後に東京帝国大学仏蘭西法学科に入学。卒業後司法省に入省、東京地方裁判所検事局検事となり、国政の大事件に関与していく。本田恒虎の親の石碑を弟信之介氏と建立し、額田元常念寺墓地に刻まれている。【平成27年12月7日確認】大事件に東京市疑獄汚職事件があり伊藤博文内閣の逓信大臣であっ..
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茨城新聞にトップ記事で市民条例がとりあげられた。市民として嬉しかった。県内初の快挙だと言うがその後委員会で否決との事、額田城跡保存会のの幹部庄司君の落胆の言葉がのった。次代を先取りした形の民主的ルールが開かれたと皆が喜んだにも拘わらず、残念の声が額田において耳に入る。市民協働からの立場として、庄司君同様大いに残念である。
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なか環境市民会議(海野宏幸会長)は講演会を先ごろ、那珂市中央公民館で開催した。生物の多様性と私たちのテーマで生物多様性センターの山根爽一氏を招いての講演であった。生物の多様性とその意義について語られ、環境の変化により生息する生物も変わっていくという。11月29日茨城新聞にその内容が掲載されています。ご覧ください。
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東日本大震災から4年半を迎えて、石巻にサツマイモを先ごろ送った。まだ、被災地は仮設住宅なのだ。復興への槌音は響くそうだがまだまだだ。野菜を送って4年、4000キロを超えた。周りの協力者に感謝したい。額田を見渡してもまだ爪痕はある。お墓や塀も完全とは言えない。幸久橋は通行不能となった。その他の公共物は大丈夫かな。再度、時が経ち、落ち着いた段階での再チェックが必要なのかもしれない。老朽化の中で見逃して..
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紙は燃えるごみだがリサイクルできるものもある。資源の再利用は二酸化炭素対策にも通ずるものである。地元の環境市民会議は極力、再利用できるもの選別し、対応することが確認された。各家庭でこれが徹底されれば、よりよい環境にも寄与するものだ。現在、紙の値段は鉄の値段の何と同じ重量で倍でもある。紙の再利用に皆で心がけよう。
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江戸時代の鈴木御殿に水戸徳川家のお殿様が立ち寄った。その際の準備は大変なものだった。近隣の村々に垣根を新しく吹き替えたので、萱を集めるよう指示が下った。井戸払いもし、三日三晩、毒殺を回避するための寝ずの番が水戸家から派遣された。歴代の殿様の尻に合わせ便所も改装された。畳替えは柿岡までイグサを取りに行ったという。その柿岡を見に行こうという案がかって、額田城を見学したグループが本日11月20日訪問する..
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茨城交通の路線バスが無くなり、列車を利用する客が増えつつある。それと、額田駅からの観光客も増えてきた。その人たちが額田駅に降り立ったとき、トイレがなく、戸惑うという。観光地の駅にはトイレが付き物だからである。観光案内をしていても交流センターまで、我慢出来ますかというのも切ないものがある。また、雨風の強い日、高校生の停めた自転車が横倒しになっている。駐車場に屋根つきのものがあればと常々思っている。地..
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ひたちなか市、水戸市からも参加し、那珂市菅谷の両宮水系遊歩道散歩が20名弱にて実施された。武田不動院の紅葉に京都の風情を感じながら、そして、圧巻は鹿島神社の36歌仙絵が見られたことだ。二人の絵師によって描かれた絵と和歌は拝殿内に飾られ、安政時代に人々の思いを遡らせた。午後、額田神社の山車の彫刻を見てさらに明治初期の作品に触れ、1日を終えた。参加者の皆さん、ご苦労さんでした。
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額田まちづくり委員会は額田の正式行事としてゴルフ競技を取り上げるべく委員長から方向性が示された。11月17日、額田のゴルフ愛好会が25名の参加のもと金砂郷カントリーで開催され、成田定男君のベスグロ優勝で大いに盛り上がった。レベルも高く70台が3名も出るなどの競技となったが全体的に60を超える年代で元気にプレーが展開された。此の盛り上がりをまちづくり委員会として親睦と体力づくりの観点から正式競技とし..
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皆が知らない額田の話現在、那珂市の案内人を10年もしている。10年もやっていると色んな観光客が来る。小学5年の担任の先生が90を過ぎて一緒に歩いた。一高の3級先輩が鎌倉の仏師となり仏像を彫っているが額田まつりの山車の彫刻に驚嘆していた。芙蓉城郭研究会の方々、仙台から、千葉から、会津若松から、横浜から大勢の訪問者が来る。このところ、伊達政宗の密書が見つかり、注目されてきたので一般的な知識は新聞や書物..
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那珂市商工会青年部で立ち上げた那珂太鼓のメンバーが常陸太田の茨城の太鼓祭りに参加、額田城跡陣太鼓が勇壮な那珂に披露された。出陣の勢いそのものすばらしい演技だった。額田城跡を案内して10年になるがはじめて額田城陣太鼓の打ちならす打撃音を聞きましたがいいものですね。
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10月22日に茨城新聞に観光ボランティア那珂主催の両宮水系遊歩道を巡る歩く会の応募方法について掲載されました。開催日時11月18日 9時 那珂市役所集合上菅谷駅、不動院を経由して遊歩道、鹿島神社にて36歌仙の絵をみて宮司さんの説明があり、再び遊歩道 そして折り返し、遊歩道からとんがりハット、アンテナショップを経由して那珂市役所 掲載翌日 3名の申込みあり 申込期限11月10日 官製はがきにて連絡先..
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地元にいても額田城跡に何十年と来ていない友人M氏と常陸太田のその友人の知人で山歩きの達者なI氏、I氏は額田城は初めてである。たまたまその日は10名程度で額田城跡保存会のメンバーが草刈り作業をしていた。こんにちはきれいになりますねとあいさつを交わし、チップの敷いてある散歩道を歩いた。山歩きが達者なのでつい、植物に目が行く。きのこ、みょうが、咲き終わって、大きな実をつけているウバユリの群生に目が行く。..
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鈴木家住宅を訪ねてみるとご案内の鈴木家のおばあちゃんが案内してくれます。次の文章は古文で書かれたものを小田部が現代文に訳したものです。鈴木市十郎妻萬姫の素性等について額田村の鈴木市十郎は裕福にて大阪より綿を買い入れ資産家となりました。徳川光圀公は西山にご隠居のおり、水戸 からの往復時に市十郎宅に立ち寄ったりしておりました。殿様で居られたときか、ご隠居されたときかははっきりしませんが萬姫という婦人を..
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那珂市久慈川の額田岸から鮭の泳ぐ姿が見える。海から上がってくる時期を迎えた。かって、額田城があった時代、石神城(東海村)との間に鮭を巡っての争いの末、石神との合戦が行われたと石神合戦記に書かれている。7堰の中間で境を決め下流を石神、上流を額田と言う配分であったが、下で川留をして、取ってしまったため、鮭が上がってこなかったという。当時は河川改修により、久慈川が直線になる前の時代だったから、石神城の下..
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東京ドームの21.5倍の面積を誇る茨城の城、額田城 今日も仙台市から水戸から、常陸太田市から額田城跡にやってきた。広大な城跡に驚嘆するもなぜ、こんな史跡があっても何故、有名にならなかったか。額田神社の彫刻の屋台山車、此の彫り物を誰もが知らないのは観光の力が足りないのかとの言。会澤正志の掲額【額田神宮】が素晴らしいと。この積み重ねが額田を有名にしていくのだと思いつつの観光案内。今日も一応の成功だ。
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額田の小学生が観光スポットの絵を描いた。それをカレンダーにした。すばらしい絵だ。阿弥陀寺の桜や額田神社、小学校のもちの木が素朴ながらも少年少女らしい絵が描かれた。活動資金が足りないから、カレンダーにして売るんだと。悠久の額田のスポットを心の底から描いたその心を買いたい。
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久慈川の生物は自然の環境の現状を知る意味において重要だ、悠久の額田を流れる大河久慈川は久慈の流れにゆあみしてとかってあった額田中学校の校歌にあるほど、プールのなかった時代、水遊びをしたのである。下げ針でナマズをとった。川干しでうなぎや鮒が捕れた。放流により鮭やアユも今でも捕れてはいるが。そんな久慈川は今どうなっているのだろうか。興味深い。久慈川は、八溝山に源を発し、八溝山地と阿武隈山地の間を南流す..
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10月7日、額田駅に日立からの観光地巡りのお客様が11名やってきた。額田7運観光スポット巡りだ。額田城跡、阿弥陀寺、引接寺、鈴木家住宅、びる遮那寺、鹿島八幡神社、額田神社山車会館を巡った。日立ウォーキング同好会のメンバーで高齢であるが健脚ぞろい、ついていくのも精いっぱい。山車会館や淡島神社の彫刻にびっくりしていた。こんな山車、県北にあったなんて宣伝不足を指摘された。3年後、額田大祭礼に来たいと言う..
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那珂市、10月3日黄門ウォークが開催され、阿弥陀寺で鈴木家の畑の紅花が紹介された。那珂市が主体に5、6年前に栽培していたものを再開し、今年は花をつけた。現状での紅花畑の写真が紹介された。埼玉県桶川市から種をもらいうけてきたのを市長の指示で農政課が動いたという。まだ、満開にはなってないが何日か後、写真のようになるのが楽しみだ。水戸光圀ゆかりの万姫の嫁いだ鈴木家、紅花で産を成した。その当時の再現だ。
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那珂市のなか環境市民会議情報 講演案内 『生物多様性と私たち』場所 那珂市中央公民館 1F 大会議室11月13日(金) 講師 茨城県生物多様性センター センター長 山根爽一氏後援 那珂市教育委員会なか環境市民会議の自然環境部会、環境学習部会の主催で那珂市環境基本計画の『生物の多様性の保全』に鑑み講演会の企画をいたしました。問合せ先 市野沢伊司(☎029−296−0981)参加者は無料
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悠久の額田と言ってもここ生物に変化をもたらしている。先日、アメリカザリガニを池に1匹入れただけでメダカがいなくなり、口細がいなくなってしまった、残ったのは金魚とタナゴだけであった。自然界ではこんなことがいつも行われている。額田の田んぼの小川には以前は水すましがすいすいと泳いでいた。タナゴもきれいで『おしゃらくブナ』と呼んで多くいた。オバッケ貝がいた。でも少なくなった。まずイナゴがいなくなった。ナマ..
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富士山が噴火して400年、1700初頭の大雨から400年を迎えようとしている。100年に1度の災害を事業仕分けの名のもとに切り捨てられた予算、それに批判が高まっている。政治をおこなうものは歴史を知らねばならないと先人は言ったが。水戸光圀が無くなって8年が経った1708年から災害は始まる。これが400年に1度の災害である。日本はとんでもない時期を迎えることになる。噴火や洪水に致命的ダメージを負う。2..
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9月27日、額田城跡の清掃作業が行われた。10月は3日に水戸市、那珂市、常陸太田市合同の黄門ウォークが開催されるし、10月7日、16日と観光客が額田城をはじめ額田古寺五山や鈴木家住宅にやってきます。このため快く受け入れるおもてなしの対応が叫ばれています。10年まえに来た人がきれいになりましたねと言ってくれるたびに喜びを感じます。ボランティアの方々ご苦労様です。
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9月26日の運動会に向け額田小学校では練習が追い込みです。悠久の住みよい額田の長い間にわたる歴史的伝統の秋の行事です。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんに素晴らしいダンスや競技を見せたいと頑張っています。運動会のための練習光景(額田小学校体育館)因みに、本運動会は額田保育所、額田小学校、額田市民の合同の大運動会です。戦後の復興を期して、額田村民運動会が前身の運動会で当時は額田村での村民..
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茨城県那珂市額田城跡保存会の今月の奉仕作業は9月19日と9月27日の2日間の予定でした。本日はもちの木少年団の額田の小学生8名も加わり25名で行われました。若い人たちが地元意識に燃えての応援態勢は素晴らしいものがあります。10月3日の黄門ウォークに備え、額田城跡を快く歩いていただくという【おもてなし】の心に感謝します。那珂市額田の観光案内にみんなで協力する姿勢に日本人の心の美しさを感じます。
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那珂市額田の観光スポット毘盧遮那寺の住職に面談し、大般若経600巻のこれまでの保存の在り方において聞いた。お寺に銀杏があるのは古文書の防虫剤の役割として銀杏の葉が最適で保存されてきた、食用や薬としても効用はあったがこの銀杏の巨木の役割は大きかった。毘盧遮那寺のパワースポットとしては長い歴史の中で相応しい。
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那珂市額田のおじいちゃん、おばあちゃん、9月21日は敬老の日。いつまでもお元気に。長年のご苦労が戦後の日本の繁栄の支えとなりました。まだまだ長い人生、私たち後輩はあなた方のお知恵を拝借したいと思っています。何かあったら教えてくださいね。額田の歴史や民話の話をお孫さんに伝えてくださいね。
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10月1日を基準に国勢調査が始まり、インターネット回答が呼びかけられている。歴史的なことですね。那珂市額田でも調査員が回ってきて、インテーネット回答を進めたので応じてみた。9月10日からのインターネット回答受付であり入力すると簡単にできた。皆さんもやってみてはいかがですか。悠久の額田の人口の増減は歴史的にも将来に向けても大きな問題であり、其の趨勢に関心を持ちたい。
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観光ボランティアガイド那珂では鉄道での日帰りの旅を募集しております。額田駅着9時50分(常陸太田駅)10時徒歩にて30分、額田地区交流センタースタート 10時30分額田城跡ー阿弥陀寺ー引接寺ー鈴木家住宅ー昼食(うめのや)実費負担午後1時スタート びる遮那寺ー鹿島八幡神社(15時30分出発)ー40分徒歩ー額田駅水戸駅上り16時15分10名以上で観光ボランティアガイドが案内します。歴女大歓迎。観光ボラ..
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なか環境市民会議は改めて環境問題に関する言葉の意味を学習しながらの取り組みを考えてみたいと思っています。オゾン層は、地上20〜30kmのところにあります。それを地上にもってくると約3mm(1気圧)の厚さしかありません。例えるなら、レースのカーテンのようなもので、地上すべてのものを紫外線から守ってくれるものです。それを私たちは、破壊しようとしている。それが「オゾン層破壊」です。すべてのオゾン層が破壊..
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那珂市 鹿島八幡神社(額田神社)で佐川華谷画の軍艦が見つかり話題を呼んでいる。大正から昭和にかけて活動した今の那珂市出身の日本画家である。佐川華谷の作品が県立近代美術館(水戸市)にも収蔵されている華谷は、優雅な山水や花鳥を中心に描いた画家で「そんな人も戦争画を描かなければならなかった時代を知ってほしい」と、那珂市歴史民俗資料館が9月6日まで展示していた。その絵の寄贈者の中に祖父はじめ、祖父の友達が..
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那珂観光ボラテア情報 両宮水系遊歩道を巡る歩く会参加者募集古の時代、鹿島神社、八幡神社の両宮がありました。八幡潰しの歴史的経過を辿り、現在は鹿島神社が残っています。両宮水系は残り、その上に遊歩道が造られ、今、市民の散歩コースとなっています。今年度は改めて遊歩道近くの鹿島神社、不動院を含め、市役所から散策したく企画いたしました。「観光ボランティアガイド那珂」のメンバーがご案内いたします。皆さまの参加..
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昭和41年度卒業の茨城県立太田一高同窓生20名が額田城跡、額田神社視察に額田地区来訪予定です。この皆さんは来年4月卒業して50年を迎える人たちで団塊の世代の1年目の方々です。なお、観光ボランテア那珂のガイドが案内スロ予定となった居ります。
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額田の高齢者クラブ三好会(会長中原昌幸氏)は10月5日、額田神社奉仕活動を宮司に申し入れ了解をとった。従来からボランティア活動は続けていて、前回の額田城跡活動に次ぐものであり、本殿の草取り、庭掃きを期待している。10月7日日立市からの観光客が額田神社を訪問してくるとの情報に基づいておもてなしの清掃をするという。歴史に関心を持つ団体が一つでも増えることは地域として心強い。
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来たる10月7日、日立ハイキング同好会が、JRにて額田駅に9時48分に到着する。この観光客の来訪には観光ボランティア那珂の皆さんが関わる。額田駅にトイレがないため、額田地区交流センターまで歩き、10時半に額田城跡案内が始まる。12時までに額田城跡、阿弥陀寺(トイレあり)引接寺、鈴木家住宅を経由し梅の家にて額田城弁当をとり、びる遮那寺、額田神社、山車会館を見学にて、帰途につく。15時23分の水戸駅行..
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観光ボランテア那珂では11月18日、本年度行事の一環として菅谷地区の両宮水系の遊歩道散策を予定いたしております。遊歩道そばの不動院、鹿島神社、商工会アンテナショップも巡りますので午前中のひと時をみんなで歩きましょう。詳しくは那珂公報で10月初旬にお知らせします。参加料無料
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避難所と避難場所の違いまずは避難場所に避難する。避難場所は一時的に集まるところをさす。まず安全な所に逃げる場所を避難場所と言い、安全確認後、元の居宅に帰れないケースは避難所にとどまる。この違いがあります。大きな広場は指定がなくとも避難場所としては安全が確保されればよいとの事。避難場所は家族で話し合って予め確認をしておくことが大事です。額田地区は古代の昔から災害がこれと言ってなく、歴史的に素晴らしい..
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雨が心配されたが曇りの中で那珂市戸のひまわり畑は満開に近い状況下で開かれた。入口で献血車、消防のはしご車の実演、舞台での陸自の演奏始め、数々のダンス等の盛り上げ、横手市からの出店もあり、数々の出店で賑わいを見せた。観光ガイドとしては日立、常陸太田と知り合いになった観光客とともに、ひまわり畑迷路を歩き、昼食を地元酒屋でそばを食べ、午後は額田観光をし、楽しい1日を過ごした。
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なかひまわりフェスティバルは今年度で20回目を迎え、例年多くの方が訪れています。約4haの敷地に咲く約25万本のひまわりが会場周辺を黄一色に彩り、太陽に向かって満開となる風景は一見の価値があります。今年も、ひまわり畑の一角を利用した「ひまわり迷路」やひまわり畑が一望できる「見晴台」の設置、夜空を彩る「花火大会」も実施予定となっております。そのほかにも楽しいイベント等を予定しておりますの
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野口雨情は、明治15年(1882)5月29日茨城県多賀郡磯原村(現北茨城市磯原町)に父量平、母てるの長男として生まれ英吉と名付けられました。 生家は、かつて水戸徳川家藩主の御休息所で「観海亭」と称され「磯原御殿」とも言われた名家で、家業は廻船業を営み、父は村長を2期務めた人望家でもありました。 明治30年(1897)伯父の衆議院議員野口勝一(北厳)宅に寄宿し、同34年4月、東京専門学校高等予科..
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のび伸び牛乳杯(ミルクカップ) 第35回茨城県ちびっ子野球選手権大会 主催 茨城新聞社 後援 茨城県教育委員会、那珂市、那珂市教育委員会、那珂市体育協会、那珂市軟式少年野球連盟、茨城新聞茨城会 協賛 茨城県牛乳普及協会 協力 筑波銀行 期日 平成27年8月22日(土)、23日(日)、25日(火) 会場 那珂総合公園野球場、上記球場で開催され熱戦を繰り広げた少年野球は地元額田ノ那..
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那珂市、水戸市、常陸太田市合同水戸黄門ウォークが今年も開催されます。額田地区観光ガイドは10月3日(土)の那珂市、水戸市、常陸太田市合同水戸黄門ウォークに際し、立ち合いをし、清水公園と額田阿弥陀寺において簡単なガイドを毎年実施いたしております。つきましては、体力のある多数の皆さんの参加をお待ちしております。
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8月27日に日立市、常陸太田方面からのお客様10名、額田からひまわりフェスティバルを見物。10月7日、日立市ハイキング同好会20名が額田城跡、阿弥陀寺、額田神社等の額田散策にまいります。9月2日、額田交流センターにて那珂市観光ボランテア会議を午後2時から開催いたします。
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8月27日、10時から那珂市中央公民館において、那珂市なか環境市民会議主催の基調講演が開催される。講師は石川幸太郎氏(JA常陸大宮地区枝物部会 部会長)演題【耕作放棄地を活用した枝物栽培の取り組み】放棄地を利用し、花もも栽培を通じ生け花市場に出荷し収益につなげるという実例を通じお話願うもの。後援那珂市、那珂市教育委員会、那珂市まちづくり協議会
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昨年、額田城跡の植物が那珂市菅谷の植物学の久下沼光始先生の手によって調査され195種あることが発表された。コウホネ、ウバユリ、ネコノメソウ等珍しい植物が生育している。コウホネ、ウバユリは群生化しており、貴重な植物群なのかもしれない。詳細の植物は額田城の自然の項目を参照ください。
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8月22日、額田城跡保存会は秋の観光シーズンを控え、毎月の草刈り作業を実施した。瓜連地区から社会福祉協議会の手助けもあり、夏草がきれいに刈られた。社会福祉協議会の高校生、小中学生ら17名、地元スポーツ少年団8名を含め40名の作業であった。「若い人たちの盛り上がりの意識の中に額田城跡が守られることは意義深いものがある。」との武藤博光会長の弁。同感である。悠久の額田、地域の至宝である額田城、みんなに守..
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被災地石巻からの電話でのやり取り。例年獲れるアナゴが獲れないと。海の水が暖か過ぎると。館山の海にサンゴが育ち、熱帯魚がすむようになった。千葉の海底がカラフルになったと。全国的にサメが出没している。本来熱帯地方の魚であり温暖化の影響が表れている。地球規模でおかしい。このような中、時宜を得て、 那珂市環境基本計画に基づき、市民や事業者、各種団体が一体となって市内の環境問題に取り組む「なか環..
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額田城、額田藩を冠銘柄にしている店舗、本ホームページの協力者、地元の生産者、額田の物産店舗、商工業者との皆様にご協力を求めるとともに、御用達店舗の宣伝活動していきたい存じます。御協力をよろしくお願いいたします。
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額田駅は無人駅。でも60年前は駅員もいて宿舎もあった。自家用車もなかった時代、学生はもとより一般通勤者でにぎわった。土浦から額田城を見学にと降り立った中学生。インターネットでホームページをみてきたという。茨城交通のバスが無くなり運転できないひとがいる。ここで無人駅にやってくる人が増加した。水戸へ、友部へ。病院の見舞いだという。風が強いから自転車がひっくり返っていた。自転車置き場が必要だ。このほど、..
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8月15日、茨城新聞の戦争への意見の特集記事が掲載された。那珂市額田の理容師関静香さんの声、平和への願いがのっている。「戦争の話は祖母から聞いた。広島や長崎の悲惨さを映像や記事で知るたびにみんな仲良く平和でありたい。」同感である。70年過ぎてもいまだに戦争の傷跡を引きずっている人がいる。南方で戦争体験者の看護婦さんの話、毎日死体を見ていると死体ではなく物体だと。額田でも久慈川にかかる幸久橋で婦人が..
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日本には多くの格言がある。かごにのるひと、かつぐひと、そのまたわらじをつくるひと。(みな、だれかの世話になってることに気づきなさいということ。)こんな格言が江戸時代からある。御先祖様の定義ってなーに?父母、祖父母位は名前が分かる。曾祖父の段階になると名前がわからなくなる。この名前が分からない人たちを総称してご先祖様と呼んでいる。父母から数えて2、4、8、16と数えて平安時代に遡っていくと父母の累計..
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8月初旬はお施餓鬼というお寺の行事がある。浄土真宗ではないが日を変えて行われた。鱗勝院、びる遮那寺、引接寺と続いた。施餓鬼とは、お盆の時期に行われることが多い仏教行事の一つです。 餓鬼(がき)とは、俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指します。施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などのお供物を施すこ..
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いま、茨城県那珂市観光額田が注目されている。悠久の歴史の古代からの理想郷であり、歴史的資産の宝庫なのだ。一休さんの漫画に出てくる額田義亮や伊達政宗の密書で注目された小野崎昭通や徳川光圀の関わりのある寺社仏閣、巨木。徳川家康の孫松平頼元が藩主だった額田藩(知行地)と話題は続々。そして、額田の王や推古天皇の幼名額田部姫命と同族の額田部氏が古墳の中の豪族だったらまさしく面白い。歴女にとって話題の満載の土..
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那珂市青遥学園第2中学校の創立50周年記念式典は平成27年10月24日(土)に開催されます。50周年を記念し、各種行事が行われます。ついては1口2000円の寄付の募集されています。半世紀の間に多くの卒業生が巣立って行きました。また、これを機会に新たなる飛躍を期待いたします。なお、今年から4月青遥学園として小中一貫教育が決定され施行されています。二中文化祭はかつてより「青遙祭」として生徒はもとより、..
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那珂市青遥学園額田小学校6年生の額田歴史に関する質問として多かったのは、額田城に関する質問でした。どの時代、どのような人が領主だったか、大蛇の鱗の話はどのような話ですか。どんなに大きかったんですか。額田小学校の北側に堀は回っていました。淡島神社のミイラは今もあるんですか。あります改築の際座布団にのせて戻しました。額田城跡の大きさはどんなでしたか。東京ドームの21.5倍です。本丸、2の丸、3の丸の他..
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額田保育所の近くには額田のたっつぁい話のある引接寺の質問、鱗勝院の西側にある富士山古墳に誰が埋まっているか等難問がありました。額田の久慈川南部にかけて多くの古墳群があります。額田のたっつぁいの話を2,3話してあげました。ちなみにおじさんの育つ頃は額田保育所も額田幼稚園もありませんでした。引接寺は徳川光圀(水戸黄門)公が造りました。引接寺の北に光圀の娘がお嫁さんになった鈴木家住宅があります。小学生の..
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那珂市額田北郷の出身渡辺平氏がいる。団塊の世代で防災士の資格を持ち、茨城町からやってきて活動中だ。地球の温暖化に伴い、予測のつかない災害が起こる。自然現象の変化だけではなく、公的施設の老朽化にも関心を示す。幸い額田は歴史的にも災害のない地域であり、水もきれいであり、環境としては悠久の額田そのもの。理想的な地域である。当面橋が通行止めとなり、当面の災害は免れた。学校も耐震設備となっている。当面見渡す..
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何年となく毎月額田城跡保存会のメンバーによる草刈り作業が続けられている、富岡会長から始まり、原会長、そして武藤会長に3代を迎えた。賛助会員も増え、皆が額田城の復興なり、再建なりを願ってやまないがまずは資金であり、行政のバックアップである。ようやく額田城跡の知名度もあがり、認知度も高くなりつつあるがまだまだでもあるが、観光客も年間5000人程度を数えるようになった、中世城郭研究会の資料に載り、改めて..
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額田三好会(中原昌幸会長)は8月27日(木)に成田方面の研修視察を実施する。航空博物館や成田新勝寺の日帰りコースで瓜連の高ク連との合同研修となる。三好会の活動は活発で地域の高齢者の評判も良好、お風呂やカラオケを通じ親睦の輪がますます深まり、地域のボランテア活動にも顔を出すなど充実した活動に共感を覚える。
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額田地区市民大運動会は9月26日(土)に開催される。(雨天順延) 例年、額田市民と額田小学校の合同で行われる。9月16日から小学校では練習が開始されるとのこと、残暑厳しい折ですので、水分等を十分にとり、頑張ってもらいたい。
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那珂市額田交流センターは額田城跡の入口にある。猛暑の中、成田まちづくり委員長と対談した。秋の運動会が来年から、春に季節的要因により、変更を余儀なくされるということである。理由を聞いてみると秋になっても残暑が続き、夏休み明けの小学生の練習が熱射病等の発生の可能性があり、秋季運動会は無理だとのこと。連日の猛暑に耐えられないほどの気候は変化してるんだと実感した。 運動会やソフトボール、バレー等レクリエー..
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那珂市にある会員数140名の観光地、額田城跡保存会の公式ホームページがほぼ完成いたしました。額田城跡だけではなく周辺の寺社仏閣をはじめ、まちづくり、防災、古代からの悠久の歴史等多岐にわたり紹介いたしております。まずは額田を知ってもらう。来てもらう。『行って見っぺよ額田城』のパンフレットを持って額田を歩いてね。
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7月21日、台湾からの一行が国際交流の一環として総勢30名をこえる団体が来市となった。額田まつりを見学するなど一週間からの滞在でホームステイとなる。以前から台湾との交流は少年野球のホームステイに30年の交流になる。今後も良好な関係を維持し未来にわたる親善を期待したい。
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本日、何気なく額田大祭礼の7月25日の準備にとりかかって昼食の相談にはいった矢先、ところで、写真撮影したよねの問いに「額田大祭礼今昔物語展」で検 索して、びっくりだ。先日、自転車で転び、歯が折れたたまま、大写しの顔があった。でも、11日間で600人も来てくれた。みんなが乗用車で来るという。 駐車場は額田小学校の校庭だと言うが大丈夫かなと感じているほどだ。ムードは上がっている。
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