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2016年01月14日(木)

黄門ウォークの棚倉街道のルート誤解

水戸から常陸太田の黄門ウォークが実際の歩いた道を歩いていないのでは疑問を投げかけられましたので、額田近辺についてご説明いたします。確かに江戸時代は南側に有が池を西側に迂回し、高岡から鱗勝院の西側を通り、額田城跡の西側の外堀に沿って北上し、八幡社の東側をとおって舟渡に向かい船にて河合岸に渡る道筋が正しいといえましょう。黄門ウォークは明治以降の車道を通り、阿弥陀寺に上がってきますがトイレ等が途中になく、止む無く阿弥陀寺を通っています。確かに有が池を歩いて行けるはずがありませんからね。それと棚倉街道は額田までは堤を通る横堀街道と菅谷宿から杉に抜ける2通りがありました。今は菅谷宿を歩いています。トイレの問題が解決さえすれば鱗勝院を通り、光圀山引接寺、光圀の書院鈴木家住宅の正式な水戸黄門ルートを歩くことになります。