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2016年02月14日(日)

江戸時代の額田には棚倉街道

水 戸市史、常陸太田市史から、江戸時代の棚倉街道は横堀街道が本街道であることがわかりました。水戸市史には枝川、田彦、額田、太田、町屋等に駅があり、駅間の距離、馬の乗 り賃が表であらわされています。参勤交代の東北の諸藩は江戸時代の当初、奥州街道を使ったが、財政逼迫で江戸への旅を宿等の安い棚倉街道を通行するようになりました。郡山 に移った額田藩2万石は守山藩となった後も松川(大洗)を有し、棚倉街道の往来を行き来していました
なお、塙に徳川幕府の天領があり、代官が取り仕切っていましたが水戸へ輸送する米100石(270表)、これを久慈川で舟は無理で近隣の人足により、仮橋が架けられ、10 月から4月に通行、毎年、取り壊されたといいます。大名の中で、仙台御家中、奥羽諸御家中、盛岡御家中、出羽兵内御家中、相馬御家中等通行人馬差出が各駅へ届けられた。