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鱗勝院

元徳年間(1329年頃)に創立された。開山は群馬県沼田市の名高い迦葉山龍華院彌勒護国禅寺の高僧巨舟相済和尚。開基は義峰勝公庵主による。額田氏(佐竹氏)ゆかりの寺で初代額田義直が亡父義重のため守護寺とする。(1445年) 曹洞宗。閑静な中に時を忘れさせる雰囲気がある。少し奥まった所にある寺院である。 本堂は梅の木に囲まれおり、墓地が隣接している。額田城主関連の佐竹氏家紋(月丸に五本骨扇)の山門、額田佐竹氏の墓がある。また、額田佐竹氏の娘朝日姫の墓もある。何代目の城主の姫かは、不明。境内の杉の木(樹齢約500年)は市指定の天然記念物である。今はない鏡知院は、額田東郷岸桂寺にあった曹洞宗の寺 鱗勝院末寺とされている。佐竹ゆかりの秋田市にも佐竹義宣が建立した末寺鱗勝院がある。このことからも佐竹氏との深い繋がりは、伺い知れるところでもある。なお、迦葉山龍華院彌勒護国禅寺は、後に、徳川初代将軍の祈願所となり朱印百石、十万国の格式を有し、七百十八町歩が下賜された格式高い寺でもある。

鱗勝院のパワースポットの大杉

鱗勝院のパワースポットの大杉
火事で燃え続け、当時の消防団が諦めたが雨が降り消火出きた。今では考えられないがホースが当時は届かなかった。