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2018年06月10日(日)

茨城県相撲考察

稀勢の里が本調子じゃない。茨城県民としては気が気ではない。相撲が始まっても稀勢の里が休場であると、身が乗らない。牛久に住んだ私にとって、萩原の時代から馴染みがある。番付け表をもらっては額田の居酒屋に貼っていただいた。十両萩原の時の後援会長が。牛久市長の池辺さんであった。萩原から稀勢の里に四股名をあらためて更に強くなって横綱まで這い上がった。ところで、茨城出身の歴代の力士を遡るとたくさんの関取を見てきた。私たちの年代は小学生時代は大内山であった。大内山平吉、平磯町出身、時津風部屋、体重42貫、身長6尺6寸6分であった。千代の山との優勝決定戦に負けたが翌場所大関になった。奇病があって手術、これがもとで横綱にはなれなかった。鏡里、千代の山、栃錦、若乃花、松登、琴ケ浜、時津山、朝潮、出羽錦等の時代であった。突っ張りや張り手を得意とした。中学時代は海乃山である。関脇までいって優勝した。海乃山は忘れられない。なぜかというと、当時の中学体育の砲丸投げの茨城県記録保持者、竜ケ崎中入江勇として教科書に載っていたのである。若浪もでた。次に多賀竜で日立市出身である。水戸から武双山と水戸泉と相次いで大関になった。それから、横綱稀勢の里、大関高安と繋がり現在に至る。茨城県の相撲史上で忘れられない人がいる。横綱常陸山谷衛門である。何と三段目まで、時の西山荘の御西山をしこ名に使い、幕下から茨城を代表する常陸山と改めた。水戸中学を中退し各界入りし活躍した。その偉業を讃え、銅像が茨城県武道館の敷地に建てられている。多くの歴史を輩出したが、今後の本県力士の活躍に期待したい。